人類の歴史の中で、国際社会が法律によって支配されていたことなど、一瞬たりともないと感じます。
世界中の国々が受け入れる法律を作ることなど、不可能だと考えられてきたからかもしれません。
しかし世界に秩序が必要だという認識は、多くの人が抱いてきたと思います。
そこで国連という話し合いの場を作ったような気がします。話し合いで、国際社会の秩序を守ろうとしたのだと感じます。
そしてそれは今日に至るまで続いていると見られます。
何とかそれなりに秩序が守られてきたからだと思います。
しかしそれがこれから先も永く続くだろうかと考えると、随分と怪しいような気がします。
人類が話し合いで解決する能力を失いつつあると感じるからです。
“交渉力の低下”という表面的なことでなく、決着を想定することが出来なくなっていると感じます。
つまり“どのようにして決着させるか”、それを思い描くことも、考えることも出来ないということです。
また人類全体に“引くことが出来ない”傾向が強まっているような気がします。
対立している事柄で、双方が一歩も引かなければ、交渉は必ず決裂すると思います。
しかし現代社会では、完全勝利することなど稀だと思います。
力が拮抗している場合、どちらかが完全勝利することは難しいと思います。
また、対立の構図が複雑である場合、どこかの勢力が完全勝利することは難しいと思います。
また、現代の人間の社会では、力を持つものが、力のないものを徹底的に叩き潰すことなど出来ないと思います。
ここ70年の間、世界では武力を駆使したぶつかり合いが、各地で何度も起きていると思います。
そのなかで、どこかが完全勝利したことがあっただろうかと考えると、一つもないような気がします。
“完全勝利などない”
当事国では、その認識を持っている人は少ないと感じます。
完全勝利などないにも関わらず争いを続ければ、双方が疲弊しきってしまうと思います。
その時になって、“とにかく何らかの形で終わらせよう”という意識が湧くこともあると思います。
そして誰も勝たないまま、争いが終わることがあると思います。
しかし争いが終わるのは“当面”ということもあるように見えます。
“完全勝利などない”それを認識することが出来なければ、“どうやって終わらせるか”など考えようとしないと思います。
そして現代は、人類全体にその傾向が強まっていると感じるのです。
完全勝利はなく、終わらせることを考えようとしない。それでは、ただ争うばかりになると思います。
それは愚かしいことだと思います。
しかし人類は愚かしさに気づかないまま、それを強めていると感じます。
そうはいうものの、争いを終わらせる方法を考えている人がいないわけではないと思います。
しかし現代の人間社会は、一人の人間の意思で動くほど単純ではなくなっていると感じます。
強い権力を持っている人物であろうと、一存で物事を決められなくなっていると思います。
権力を維持するためにも、大衆や実力者を軽んじるわけにはいかないと思います。大統領が独裁的に物事を進めているわけでないように見られます。
しかしそのおかげで、ますます“終わらせ方”が考えられなくなっていると感じます。
権力者でもあっても大衆や実力者に媚びなければならない。それは、どこの国でも同じに見えます。
しかも権力者のなかにも、完全勝利などあり得ないことを認識できない人物もいるように見えます。
『どうすればこの争いを終わらせることが出来るんだ?』
それをまったく考えずに、争いを続けているということです。
完全勝利のない争いは、終わらせようという意識を持たなければ、終わることはないと思います。
しかし権力者のなかにも、実力者のなかにも、大衆のなかにも、“争いの終わらせ方”など何も考えていない人がいるように見られます。
頭の中の片隅には、『争いが続くことは良くないことだ』という意識がある人もいると思います。
しかし『こっちが絶対的に正しく、向こうが完全に間違っているのだ』という意識が大部分を占めている人が多いと感じます。
人々が“争いの終わらせ方”を考えられない今の状況では、争いが終わるはずがないと思います。
まして過激派には、『争いを終わらせよう』という意識など、頭の片隅どころか、一切持ち合わせていない人間も多いと思います。
“完全勝利などない”という認識も、一切持ち合わせていない人間も多いと思います。
このままでは、国際社会の秩序を保つことが出来なくなるのではないかと思います。
ほんの数年前から比べると、世界は随分ときな臭くなったと感じます。
もはや話し合いの場があるだけでは、人間の独善性や対立意識や攻撃性を収めることが難しいのかもしれません。
そしてその傾向は、これから加速しながら強まっていくような気がします。
そうなると、法によって国際社会に秩序を作ることが求められるような気がします。
それはとても難しいことですので、早く手をつけなければならないような気がします。