2015年3月31日火曜日

「乗り遅れるな」症候群

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2015年3月 31日「『乗り遅れるな』症候群」

概要
アジアインフラ投資銀行に、日本も参加するべきか。否か。どちらの主張にもその根拠に具体性が乏しいと感じます。
 中国経済は、これからも世界に強い存在感を示すと見られています。そして東南アジアでは、これからもインフラ整備が活発に行われると見られます。
 アジアインフラ投資銀行は、それを繋げる金融機関ですから、世界経済に大きな影響を与えることが予想されます。
 今のところ、そのイメージによって参加の是非が論じられているような気がします。具体性がないと感じるのです。しかしアジアインフラ投資銀行の内容が、まだ具体的に見えないのですから、参加の是非を巡る論理に具体性が乏しいのも、無理はないと思います。
 ただそれにしても『乗り遅れちゃう』という漠然とした不安に、思考が主導されていると感じます。
 それでいながら、日本人は中国に対する対抗意識や反撥心、自国に対する自負心が強く、それが思考に影響していると思います。
 予測や主張に、乗り遅れることへの不安感と、中国に対する感情が入り込んでいると思うのです。
 今の時点でAIIBは具体的な形が見えていないのですから、参加することの是非は、結局、数年後、数十年後に、結果論として評価されるしかないと思います。
『ほらみろ、やっぱり創設時に参加するべきだったんだ。いわんこっちゃない』

『ほらみろ、創設時に参加しなくてよかったじゃないか。慌てて参加していたら今頃大変なことになっていたぞ』

2015年3月30日月曜日

中東、アフリカ、他所者

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2015年3月 30日「中東、アフリカ、他所者」


概要
中東は過去に何度も、国と国との戦争が起こっています。しかし近年は、過激派武装勢力との戦闘が目に付きます。ただ国の軍事力を動かしているのですから、国としての思惑があると思います。
現在の中東の争いの構図は非常に複雑だと感じます。今の状況と比べると、国と国が直接争うことはとても単純な構図に思えてきます。ただ構図が単純だからこそ、争いが収まらず、激化してしまうこともあると思います。
また争いの構図が複雑でも、収めることは難しいと思います。複雑な争いは、他所者が介入すればするほど、複雑さが強まると思います。様々な思惑が絡み合うのですから、争いは収まりにくくなると思います。
資源による利権は、中東に争いが絶えない大きな要因だと思います。ただ、エネルギー資源が見つかる前から、この地域には根深い対立要因があったのではないかと思います。民族対立、宗教対立、宗派対立などです。それがなくなることはないのかもしれません。怒りの感情が反芻することで高ぶるように、対立する要因は争うごとに重さが増すような気がします。
そこに、他所者が自分の利益のためにちょっかいをだしたのでは、対立を激化させ、事態を悪化させるような気がします。中東にはそういうリスクがあり、それは当分の間なくならないと思います。エネルギー資源の中東依存を、本気で見直すべきときだという気がします。
また民族対立や、宗教対立、宗派対立などの対立要因が潜在しているのは、アフリカ大陸の国家にもいえるような気がします。
 今後、開発が進むことで、それが顕在化する可能性があると思います。

2015年3月29日日曜日

利害や信仰や思想や主張より感情

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2015年3月 29日「利害や信仰や思想や主張より感情」

概要
 多くの戦争は利害の対立から起こるものだと思います。テロの多くは思想や信仰などから起こるものだと思います。デモの多くは主張するために行うのだと思います。
 しかしそれ以上に感情によるところが大きいと思います。
人間は他者と対立すると、怒りや対抗意識や闘争心が掻き立てられるものだと思います。そしてそれを対立する相手にぶつけるものだと思います。
 ぶつけられた方は、さらに怒りや憎しみや闘争心や対抗意識が高ぶらせるものだと思います。そして高ぶったその感情を、また相手にぶつけるものだと思います。
 それが繰り返されることで、対立は深まっていくものだと思います。人間の世界で起こる戦争の多くは、感情が強く関わっていると思います。
 それは一般的に認識されているより、遙かに強いのではないかと思います。
 政治家も、軍人も、市民も、みな人間ですので、自分で思っている以上に感情に支配されているのだと思います。
 人間の争いは感情によるところが大きいと思います。
 そして感情は争いを激化させることが多いと思います。
 そう考えると、人間社会は本質的に争いが起こりやすく、また収まりにくいのではないかと思います。
 さらに現代の人間社会は、怒りの感情が高ぶりやすくなっていると感じます。
 それは、争いがおこりやすく、争いが激しくなりやすく、争いが収まりにくくなっているといえるような気がします。

 その傾向は強まるばかりだと感じます。

2015年3月28日土曜日

現実的な食料自給力

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2015年3月 28日「現実的な食料自給力」

概要
食料の輸入が完全に止まっても、イモを中心に生産すれば国民が必要とするカロリーを賄えるそうです。
そのような数字を示すことは、外交や安全保障上意味があると思います。食料の輸入が止まったら国民が飢えてしまうとなると、それは外交上の弱みになります。有事の際でも国民が生きていけるだけの食料を国内で賄うことが出来るとなれば、弱みは軽くなると思います。
ただあまり現実的な数値ではないような気がします。また食料の輸入が一切止まってしまうという状況も、現実的ではないと思います。
しかし食料が不足する状況は長期的にも、短期的にも起こり得ると思います。世界の人口が増加するなか、新興国が食料確保のために食料から農地から買占めることはあり得ると思います。そこに投機目的に金が動くことで、食料の価格がどんどんつり上がっていくことは、決して非現実的な予想ではないと思います。
 またこの10年間を振り返ってみると、異常気象による不作のなどの理由で、何度も食料の値段があがったと感じます。
ところで食料自給率については、主にカロリーベースの計算法が取りざたされますが、生産額ベースの計算法もあり、数字は随分と違います。
どちらも『食料自給率』ですので、主張や持論に沿う数字だけを取り上げたり、都合のいい方の数字だけを重んじたりすることが目に付く気がします。

別の計算法による別の数字ですので、両方を示し、どちらも指標にすればいいと思います。

2015年3月27日金曜日

ドローンにサリンを積んで

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2015年3月 27日「ドローンにサリンを積んで」

概要
複数のプロペラをもつ小型ドローンに、プラスティック爆弾を載せ、接触することで爆破する信管を付ければ、人間が自爆せずとも爆弾テロを起こすことが出来ると思います。
飛行路を事前に設定して自動飛行させれば、人間は現場から離れられると思います。
また小型ヘリコプター型ドローンは、同時に複数の機体を飛ばすことができるようです。軍の駐屯地などに、爆弾を搭載した数十機のドローンが編隊を組んで向かってきた場合、防ぐことが難しく、大きな破壊をもたらすことが出来るのではないかと思います。
それに多くの小型ドローンにサリンの液体を載せ、目的地で墜落するなり、液体を散布するなりするという化学テロが起こる可能性もあると思います。
 大型の扇風機を使うより、広い範囲にサリンによる攻撃をすることが出来るかもしれません。
 ドローンを使えば、化学攻撃の対象を絞ることも出来るような気がします。例えば小型ドローンに、小さなプラスティック爆弾と接触すると爆発する信管を載せて、国会議事堂の窓に激突させます。窓を爆破して開口部を作るのです。そこから液体のサリンを積んだドローンを侵入させ、室内で散布します。それを複数の階のいくつかの窓に向かって同時に行ったら、国会議事堂の建物内で大きな被害が出ると思います。
建物内の通路などの情報を事前に得ていれば、非常口など人間が逃げる通路にサリンを積んだドローンを向かわせることで、さらに被害を大きくすることができると思います。

サイバー攻撃だけでなく、多様化すると思わる現実世界の攻撃に対する備えも必要だと感じます。

2015年3月26日木曜日

兵器として無用でも、テロの道具としては

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2015年3月 26日「兵器として無用でも、テロの道具としては」


概要
 化学兵器も核兵器も、味方がいる場所に向けて使うことは出来ないと思います。敵味方が入り乱れている戦闘地域で核兵器や化学兵器を使えば、味方の損害も多いと思われます。
 また核攻撃や大規模な化学兵器攻撃した直後、そこに兵を入れることは出来ないと思います。それは、ただ破壊しただけで、制圧できないということになると思います。戦術的にみると、核兵器も化学兵器も役に立たないと思います。
 核兵器の場合、あまりにも威力がある、敵軍や政治中枢だけを破壊するわけにはいかず、多くの民間人を犠牲にすると思います。そもそも核兵器は、大量の民間人を殺戮する目的で生みだされたものだと思います。
『核兵器によって大量の民間人を殺戮し、降伏させる』
 現在では、戦略として成立しないと思います。相手側も核兵器を持っているのですから、降伏することなどなく、報復することが確実だからです。
『化学兵器によって大量の民間人を殺戮し、降伏させる』
国際的に敵を増やし、大規模な報復を受ける大義を与えるだけだと思います。実際、内戦で大統領側が化学兵器を使ったと見られています。
 それが軍事的、政治的に有効だったかといえば、明らかに不利に働いたと思います。
 自軍を不利にしたのですから、軍人は相当に無能だということになります。軍人の無能ぶりを世界中に示したと思います。
 化学兵器は戦略的にも、戦術的に軍事的に見ると決して有用な兵器ではないと思います。

2015年3月24日火曜日

監獄実験

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2015年3月 24日「監獄実験」


概要
数人の被験者を囚人役と看守役に振り分け、一定期間、疑似刑務所で暮らすという実験があったそうです。人間は役割や肩書や立場を与えられると、自然とそれに則した言動をとるようになることを証明する意図だったようです。
当初2週間の予定だった実験は、6日目で中止になったそうです。看守役があまりにも残虐になり、囚人役を非人道的に虐待したためだと聞きます。
 この実験において“看守”という役割を与えることは、即ち絶対的に優位な立場と、絶対的な権力を与えることだと思います。
そして疑似刑務所という限られた空間に、絶対的な権力をもつ者と、絶対的に服従しなければならない者の、二種類の人間だけを置いたのだと思います。
人間は他者を支配することに、本能的な心地よさを感じるものだと思います。理性や倫理観の強さなど、個人差もあるでしょうが、人間は他者を支配したり、他者を痛めつけたり、辱めたりする時に、脳が麻薬のような成分を分泌するのかもしれません。人間は誰でも残虐性を持っているものだと思います。
 それは本能的であり、麻薬のようでもあるために、抗うことが出来ないのではないかと思います。
この実験は人間の残虐性がいかに簡単に湧きあがるか、そしてそうなると抑えがきかないかを表しているような気がします。看守という役割は、設定を作ったに過ぎないと思います。

2015年3月23日月曜日

双方の精神に

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2015年3月 23日「双方の精神に」


概要
“マインドコントロール”は、基本的に心理的な面に働きかけることで、他者を精神的に支配することだと聞きます。それに対して“洗脳”は身体を拘束したり、肉体的に苦痛を与えたり、薬物を使ったりするそうです。
 洗脳は、マインドコントロールに拷問を加えたといえるかもしれません。拷問は受ける側の人間だけでなく、行う側の人間の精神にも、大きな影響を与えると思います。洗脳もしかりです。
 拷問をする側の人間の精神は、倫理観が薄らいだり、慈悲や寛容さを失ったり、残虐性を強めたりすると思います。
 また、拷問によって何かを聞き出したり、自白をさせたりすることが出来れば、それは成功体験となると思います。成功体験は心地よさを伴うものだと思います。その心地よさから、拷問を好むようになることがあると思います。
 洗脳をする側の人間も、それと同じようなことがあるような気がします。
 またマインドコントロールも、行う側の人間も、精神に影響を受けているものだと思います。他人をマインドコントロールする行為が、自分自身のマインドコントロールすることにもなるような気がします。
 他人に信じさせようと手間をかけ、知恵を絞り、努力する、そのようなことをすると、自分もさらに強く信じることになると思うのです。
 多くの人にマインドコントロールをかけてきた人物ほど、自身も強いマインドコントロールに掛っていると思うのです。

2015年3月22日日曜日

カルト化

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2015年3月 22日「カルト化」

概要
地下鉄サリン事件を起こしたカルト教団は、ヨガ教室から始まったそうです。そのころから反社会的だったのか、あるいは当時はそのようなことはなかったのかわかりません。
ただカルトのなかには、元々は反社会的でも破壊的でもなかった集団があるような気がします。少数集団が大きくなる過程で、次第に、または急速にカルト化することがあるような気がします。
それには中心的人物の心理が大きく関わっていると思います。人間は、権威を得ること、権威を示すこと、権力を行使すること、他者を支配すること、それらに心地よさを感じるものだと思います。集団が大きく、上下関係が明確であると、この心地よさは強いと思います。また規律を厳格にすることや、教義を極端にすることは、上下関係を明確にすると思います。極端な教義と厳格な規律があることは、カルトにはよく見られる傾向だと思います。
そして外部から批判や非難されることで、むしろ信仰に固執し、集団は強く結束し、集団を守ろうという意識を強め、敵愾心や攻撃性を強めることがあると思います。
それが自己催眠のような心理的作用を及ぼすような気がします。意図せずに、マインドコントロールになっているということです。集団の中心的人物たちは、その状態で信者の心理を誘導していると感じます。その行為自体が、中心的人物たち自身のマインドコントロールになることがあるような気がします。

しかし外部の人間どころ、中心的人物自身も、それに気づいていないような気がします。それではマインドコントロールが解けるはずがないと思います。それを解かないと、カルトは解体しないような気がします。

2015年3月21日土曜日

風化

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2015年3月 21日「風化」

概要
よど号ハイジャック事件、あさま山荘事件、どちらも僕が就学前に起きた事件です。
日本中を震撼させた大事件で、連日大きく報道されていたようですが、当時のことはほとんど記憶に残っていません。
 あれから現在まで40数年の間に、事件を取り上げたものを見たり読んだりしたことで、事件のあらましを少しずつ知ってきたと感じます。 
ところで地下鉄サリン事件が起きたのは20年前です。あの時、僕はすでに大人でした。強い衝撃を受けましたし、事件について詳しく知りたいと思っていました。
今の若者のなかには、この事件をほとんど知らなかったり、漠然とした印象で捉えていたりする人が少なくないようです。
 僕自身が若かった頃を思い起こすと、無理もないというか、当たり前だと感じます。
 ただ、今でも地下鉄サリン事件を起こした宗教団体の教祖をあがめている集団があるという話を耳にします。かの教団による数々の残虐な事件を知らない若者が入信しているという話を耳にします。
 もしそのようなことがあるのなら、それは大きな危険を孕んでいるという見方が出来ると思います。
 そしてそれを防ぐためにも、事件を風化させてはならないと感じます。
 そしてそれはマスコミが果たすべき役割だという気がします。


2015年3月20日金曜日

無自覚の傲慢と圧力

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2015年3月 20日「無自覚の傲慢と圧力」


概要
 昨年首相がテレビ番組に出演した際、番組の内容に偏りがあるという趣旨の批判をしたそうです。首相は『自身にも言論の自由があり、それに基づいて放送内容を批判した。放送中に発言したのだから、テレビ局側出演者もその場で反論出来たはず。反論しなかったのは、論破されることをおそれたのかもしれない』といった旨の答弁をしたようです。
たしかに言論の自由は報道機関にもあれば、総理大臣にもあると思います。
マスコミが言論機関であるなら、権力者に対しても反論するべきだと思います。
そしてマスコミが言論機関であるなら、権力者に対して反論出来ないようなことは、端から報じるべきではないと思います。
ただ権力者からの批判や要請は、そのつもりがなくても圧力の意味合いを帯びるものだと思います。権力者はそれを踏まえて行動するべきだと思います。
権力者から圧力を受ければ、誰でも萎縮するものだと思います。それを権力者が情けないというのは、その発言自体に傲慢さを感じます。
今の日本の政治は政党一強ではなく、首相一強の感があります。一人が強い状況は、その一人はどうしても傲慢になるものだと思います。多くの場合、それを自覚していないものだと思います。
または自覚しながらも、それを小さく認識しているものだと思います。『確かに俺には傲慢な一面もあるのだろう。だがちゃんと皆の声を聞いている』
あるいは自覚しながら、自己弁護し、自己容赦しているものだと思います。『確かに俺には傲慢な一面もあるのだろう。しかしようや登りつめたのだ。少しくらい傲慢になっても許されるべきだ』

2015年3月19日木曜日

獅子の虚勢

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2015年3月 19日「獅子の虚勢」

概要
近年、世界各地でナショナリズムが強まっていると感じます。今、ロシア大統領は国内のナショナリズムをよりどころにしていると感じます。
 ほんの少し前には、BRICsの一角をなすほどの経済成長をしていたのに、今のロシアでは景気低迷が深刻だと聞きます。
 ウクライナ問題に関して世界から受けている経済制裁は小さからぬ影響があると思います。にもかかわらず、ロシア世論ではウクライナに対する強硬姿勢が支持されていると聞きます。国民の心理が、景気よりもナショナリズムを優先しているといえるかもしれません。そうなると、大統領をそれに頼り、利用し、またそれに縛られると思います。
ロシアがクリミアを編入したのは歴史的な大失敗だったと思います。
 何もしなければそれだけで味方に出来たものを、心理的な動揺を抑えきれず強硬な動きをしたため、わざわざ敵を作ってしまい、わざわざ問題をこじらせ、結果的に大統領自らロシアを苦しめる要因を作ってしまったように見られます。

 それを見えにくくするには、国内のナショナリズムに働きかけるよりほかに手がないといった感があります。

2015年3月17日火曜日

的確な攻撃と、そのための情報収集分析能力

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2015年3月 17日「的確な攻撃と、そのための情報収集分析能力」

概要
 “超強力な兵器があることを見せつけ、多くの民間人を殺戮して降参させる”
 相手側も“超強力な兵器”を持っている場合、戦略として成立しないと思います。今の世界は、そうなっていると感じます。一方が核攻撃を行えば、相手側は必ず報復すると思います。そして核攻撃の応酬は激化すると思います。
 放射能の影響は広く長く残るため、核攻撃をした場所をすぐに戦術的に利用するわけにはいかないと思います。双方が民間人を大量に殺戮しながら、その地を軍事的に利用できないということになりかねないと思います。
それは軍事的に有効ではなく、大勢の民間人を殺しただけということになりかねないと思います。これほど愚かな戦い方はないと思います。よほど無能な軍人か、地球規模で度を超えたサディストか、破滅を求めるテロリストでなければ、行わない戦い方だと思います。
核兵器は一国だけが持っている状況でなら、まだ兵器として有効性があったという見方も出来るかもしれません。今の世界ではいくつかの国が核兵器を持っています。そうなると核兵器は、使い道のない無用の長物だと思います。
ただそれでもこの世界から核兵器がなくなることはないと思います。一国だけが持っていれば有効だという見方がある限り、すでに核兵器をもっている国が、それを手放すことなどあるはずがないからです。

 核兵器は明らかに時代遅れの兵器だと思います。しかしいくら時代遅れでも、絶対になくなることはないと思います。

2015年3月16日月曜日

すでに実用化されているドローン

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2015年3月 16日「すでに実用化されているドローン」

概要
 大手インターネット通販会社が、ドローンによる配送の実用化を組めていると聞きます。ただ日本では地域にもよりますが、ドローンを飛ばせない天候が少なくないと思います。詳しいことは調べていませんが、今の日本の法律では無線航空機を飛ばせる場所が限られると聞いた覚えがあります。
 ただ高齢化と過疎化が進む地域などでは、顧客側にとってドローンは便利かもしれません。
 高齢者の居宅から商店や販売会社まで距離がある場合など、ドローンを飛ばすことで自ら足を運ばずに買い物をするという使い方などが考えられます。
 自宅から電話やインターネットで、欲しい商品を商店に注文し、ドローンを向かわせます。商店に到着すると、注文された商品を載せて自宅に帰し、決済はクレジットカードや月末に口座引き落としをするという仕組みです。
 墜落したとしても最小限の被害ですむと思われる飛行ルートをあらかじめ設定し、自動飛行するようにしておけば、数軒の商店と郵便局などを回るということも出来るような気がします。

 そういえば農薬散布では、もう何年も前から無線操縦するヘリコプターが実用されていると聞きます。自動化されていることもあり、衛星による位置情報なども利用されているようです。

2015年3月15日日曜日

「本日、ドローン配達は休止しております」

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2015年3月 15日「「本日、ドローン配達は休止しております」」

概要
新潟市海岸平野部では、11月下旬から3月中旬まで、晴天がとても少ないと感じます。晩秋にはみぞれや冷たい雨が降る日が多く、空は常に灰色の雲で覆われなんとなくどんよりしていて重苦しい印象があります。
そんな空の色は冬が終わるまで続き、数か月間は太陽の明かりを感じられる時間が本当に少ないと感じます。晩秋は冷たく、冬は寒い、新潟市にはそんな印象があります。
ところでこのところ「ドローン」という言葉を見聞きする機会が増えた気がします。インターネットの辞書サイトによると、以前は軍事用の無人航空機を指す言葉だったようですが、今は人間が搭乗しない小型ヘリコプターの総称として定着してきているようです。
複数のプロペラを有する小型のものが多いようですが、配送に用いたり、警備に使ったりする取り組みが進められていると聞きます。
ちなみに新潟では、晩秋から春までの数か月間、ドローンを使った配達は出来ないと思います。また梅雨時には雨天が多いですし、台風が通過したり接近したりします。

そう考えると、ドローンを用いた配送システムが運用出来るのは、一年のうちの三分の一ほどではないだろうかという気がします。

2015年3月14日土曜日

70年前の記憶と記録

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2015年3月 14日「70年前の記憶と記録」

概要
 記憶は本来、100%主観によるものであり、ゆえにとても個人的なものだと思います。しかし記憶を根拠や証拠にすることが多いと思います。
『絶対に間違いありません。記憶違いなどするはずがありません』と強く主張されると、信ぴょう性が高いと目されることも多いと思います。
しかし記憶は無自覚に書き変えられることが、思いのほか多いと思います。もしそうだとしても、嘘を言っているわけではなく本人は事実だと確信しているため、信ぴょう性が高いと判断されることが、思いのほか多いと思います。
そうなると、事実と違っている記憶が、事実として扱われることになります。この社会では、そのようなことが実は非常に多く発生しているような気がします。
また公的な記録は、客観的な根拠だと見なされるものだと思います。ただ一口に「公的な記録」といっても様々です。記憶による供述を記憶したものも多いと思います。
 記憶が完全に主観に基づく個人的なものだとすれば、それを書き示した書類は、公的な記録だとしても客観性はそれほど高くないという見方が出来ると思います。
 また公的な記憶には、時の統治者の思惑など、様々な意図が介入していることが少なくないと思います。

それに数字は、必ずしも実態を表しているわけではないと思います。調査の仕方、統計の取り方、計算の仕方などによって、同じ事柄に関する数字でも違ってくることはよくあると思います。誰もが、自分にとって都合のいい数字を取り上げるものだと思います。

2015年3月13日金曜日

記憶の信頼性

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2015年3月 13日「記憶の信頼性」

概要 
記憶は記録ではないと思います。人間の記憶は、100パーセント主観によるものだと思います。記憶には本人の感情や価値観などが、必ず何かしら関わっているものだと思います。記憶とは本来、極めて個人的なものであるといえるかもしれません。
また記憶が事実だと限らないと思います。しかし事実ではない記憶を、『絶対に間違いない。記憶違いなどしていない。確かに事実だ』と強く確信することも、そう稀ではないと思います。
しかし記憶は、往々にして無意識に書き換えられるものだと思います。
自分の落ち度を実際よりも小さいと記憶したり、自分の受けた損害を実際より大きくして覚えていたり、自分の功績を実際より大きいと思いこんでいたり、他者の手柄を自分が行ったことだと信じ込んでしまうことがあると思います。
また、『お前は覚え違いをしているんだ。本当はこの供述書に書かれているような状況だったはずだ。そうだろ。よく思い出してみろ』と繰り返し言われて、『そう言えばそうだったかもしれません』という気になることもあると思います。
記憶は客観的な記録ではないのに、人間社会では記憶による証言や、記憶に基づく主張を、重んじているように感じます。
 かつては、客観性のある事柄を基にした証拠をそろえることが難しかったためかもしれません。しかし現代は様々な技術があると思います。
人間の記憶は、100%主観によるものであると再認識するべきだと思います。

記憶の信頼性を再評価するべきだと思います。

2015年3月12日木曜日

あれから四年

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2015年3月 12日「あれから四年」


概要
人間の記憶は時間が経つほど、薄らいでいくものだと思います。それは記憶が常に上書きされていくからかもしれません。過去のことは下のほうになるので、引き出すことが難しくなっていくような気がします。
また新しい記憶がどんどん積み重なることで、押し出されていくようにして、消えていく記憶もあるような気がします。
それに年齢を重ねることで、記憶に残す能力、記憶から引き出す能力は衰えると聞きます。
ところで、つらい記憶、悲しい記憶が不意に蘇ることで、気持が落ち込んだり、気分が沈み込みこんだりすることは、誰にでもあると思います。
心的外ストレス障害とまではいえないものの、過去の記憶が実生活に何かしら良くない影響を及ぼすこともあると思います。そして、そのようなことを何度となく克服して来た人は少なくないと思います。
記憶が常に積み重なっていくことは、その克服に役立っているような気がします。記憶が薄らぐことは、人が生き続けていくために、必要な脳の機能なのかもしれません。
社会全体にとって大きな出来事も、時が流れることで記憶は薄らいでいくものだと思います。それは当然だと思いますし、必要なことだと思います。
ただ薄らいでいきながらも、記憶に留めておくべきだと事柄があると思います。そのためにマスコミが取り上げることは大切だと思います。

2015年3月10日火曜日

自縄自縛は自業自得

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2015年3月 10日「自縄自縛は自業自得」

概要
少子高齢化社会では、安定した社会保障が宗教団体の信者数の維持に繋がると思います。急速な高齢化で消費税は10%でも足りないといわれていますが、軽減税率を導入すると、その10%すら目減りさせると思います。
また消費税は景気に左右されにくく税負担を広く分散するという利点があると思いますが、軽減税率はそれを削ぐと思います。軽減税率の導入は、政党の支持母体である宗教団体の信者数減少の要因になるかもしれません。
その組織票に頼っている政党の議席も減る可能性が高いと思いますし、大きな政党にとっても選挙協力をする意味が小さくなると思います。
しかし宗教団体を支持母体とする政党は、先見性も洞察力もなく、目先のことしか見ていない短絡的な思考のもとに軽減税率の導入に躍起になってきました。しかも挑発されてムキになり、衆院選であれだけ強く軽減税率の導入を訴えたのですから、今年の地方選挙も、来年の国政選挙もそうせざるを得ないと思います。
今更、『軽減税率を導入するべき』という主張を取り下げるのは明らかに不自然だと思います。『やっぱり創価学会や新聞業界の利益誘導だったんだ』などという声が高まる可能性があると思います。

それに看板政策を引っ込めることになりますので、公明党は存在感を弱めると思います。
しかも秋までに制度案を出すと言っています。軽減税率が導入されなければ、政党は政策決定に関する力のなさを示し、存在感が薄らぐことになると思います。「歯止めをかけた」といいますが、国民の多くはそう感じていないと思います。

かといって何が何でも軽減税率を導入すれば、宗教団体の組織力を弱め、政党の党勢を弱めることになるかもしれません。まさに自縄自縛といえるかもしれません。その縄は首に巻き付いたのかもしれません。この先5年、10年、15年という時間をかけて、それが締まっていくいくかもしれません。もしそうなったら、それは自業自得といえるかもしれません。

2015年3月9日月曜日

「ほら見ろ。俺の言った通りだろ」

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2015年3月 9日「「ほら見ろ。俺の言った通りだろ」」

概要
天気予報は日々、精度を高め、信頼性が上がっていると感じます。観測や研究の成果なのだろうと思います。
ところで人は、政治経済から日常的で身近なことまで、常日頃から色々と予想しているものだと思います。
「ほらみろ。俺のいった通りだろ」が口癖になっているような人もいると思います。
そう言われた人が『はあ? 言った通り? 何も言ってなかったじゃん』とか『全然違うことを言っていたくせに』と思うこともあると思います。
同等の立場ならば、それを指摘することもあると思います。下の立場ならば、適当に相槌をうって受け流すことも少なくないと思います。
 予想が当たることは心地いいものだと思います。人間はその心地よさを無意識に求めるため、自覚せずに記憶を書き換えたり、予測が当たったような解釈をしたりすることがあるような気がします。
僕自身ブログに政治経済、社会など今後の予想を書くことがあります。後になって、当ったと思う時もあれば、完全に外れることもあります。当たった時のことだけはよく覚えていて、外れたときは予想したこと自体を覚えていないような気がします。そうなると自分が思っているよりも、外れた回数が多いはずだと思います。
ただ今年の8月15日には、「だから、いわんこちゃない」と思うかもしれません。

また2017年4月の、5年後、10年後、15年後に、「こうなると思ったよ」と思うかもしれません。

2015年3月8日日曜日

常に重石をのせておき、それをおろす判断を国民の代表者がくだす

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2015年3月 8日「常に重石をのせておき、それをおろす判断を国民の代表者がくだす」

概要
力をもつ者は、それだけで権力を有しているような気がします。
腕力、知力、権力、財力、武力など力をもつ者は、それを振りかざしたくなるものだと思います。それは人間なら誰にでも見られる心理的な傾向だと思います。
ところで、国や地域が関する争いは、政治的判断と政治的交渉が不可欠だと思います。近年はその必要性が高まっていると感じます。人間の心理に、争いを激化させる傾向が見られるような気がするからです。また現在の国際社会は、対立の構図が複雑になり武力では決着が付けられなくなっていると感じます。
このところ「文官統制」「文民統制」「制服組」「背広組」などの語彙を見聞きします。ひとくくりで「制服組」「背広組」といっても、役割や職種は様々だと思いますし、厳密に言えば正確な表現ではないと思いますが、「制服組」は“役人”で、「背広組」は“軍人”という認識が出来ると思います。
「文民統制」は国民による選挙で選ばれた国民の代表者である政治家が、軍事力を持つ機関を統べる仕組みをいうのだと思います。
「文官統制」は“役人”が“軍人”を統制するということだと思います。“役人”も“軍人”も、選挙によって選ばれた国民の代表者ではないと思います。
「文民統制」と「文官統制」は、字面が似ているものの本質的に違うことだと思います。それを踏まえて、「文官統制」は“軍人”にとって一種の重石にはなると思います。

 その重石をおろす判断を、国民の代表者がくだすべきだと思います。