2017年1月15日日曜日

一体いつまで道半ばなの?

「デフレ脱却までまだ道半ばです」
もう何度も耳にしている感があります。それに随分前から耳にしているとも感じます。何度も耳にしているのは、何年間も“道半ば”であることも一因だろうと思います。
考えてみると、あまり長い間“道半ば”では“成果”とは言えないのではないかと思います。“道半ば”で止まってしまい、それ以上に進めないのでは上手く行っていないという見方をされてもしかたないと思います。
あるいは方向性を誤っているという見方もあると思います。
「アベノミクス」を名付けた政策は順調とはいえない、あるいは政策が正しくなかった、といえるかもしれません。
ただどちらも初めから想定されていた気がします。

 少し前から世界には“金融至上主義”という考え方が蔓延している感があります。
世界中で多くの人達と多くの国が、金融経済を重視し、金融経済に頼るようになったようにみえるのです。 
 そうなった要因の一つだと考えられるのは、情報技術の進歩が挙げられると思います。金融に関する作業が効率化し、即時的な対応が可能になったことで、取引が活発になったのではないかと思います。それらは新規参入のハードルを下げることになったのかもしれません。
 そんなことも相まって、金融経済の動きは速まるばかりに見えます。また極端に振られやすい傾向が強くなったと感じます。それは不透明感が強まっているということでもあると思います。即ち予測が難しく、またリスクが大きいということです。

そんな社会では“とにかく金融市場を持ち上げれば、実体経済がついてくる”という発想が通じなくなっていると感じます。その発想自体が古いといえるかもしれません。
バブルの再来を望んでいる、バブル懐古主義者の発想という印象をうけることもあります。数年まで、国民にも、政治家にも、マスコミにも“バブルの再来を望んでいる、バブル懐古主義者”が多かったような気がします。
そのためアベノミクスに対する批判的な論調が強まらなかった感があります。
“金融だけで実体経済を引き上げるには無理があるのではないか”、そういう意識を抱きながらも、“上手くいって日本の景気がよくなって欲しい”、そういう希望的観測が勝っていたように感じます。

また景気は“気”であり、たとえデマでも“良くなる”と多くの人が信じれば、実際に景気が良くなることもあり得ると思います。景気には雰囲気が非常に重要だと思います。
バブル崩壊以降、日本経済が長い間低迷していると感じるのは、そういう雰囲気が蔓延し、払拭できずにいることが、一つの要因だと思えます。
金融市場を活性化することで、景気の雰囲気をよくするということも、アベノミクスの狙いの一つではあると思います。それも必要なことであり、その点について一時、効果があったと感じます。
また「アベノミクス」という呼び名をつけて、首相がみずから積極的にアピールし、マスコミにもその語彙を多く発信させることも、景気の雰囲気をよくする手立ての一つだと思います。
アベノミクスにおいて、最も効果的だったのはこの点かもしれません。

しかしいま本当にこの国の経済発展に必要なの、成長戦略であり、金融経済ではなく、実体経済を強くすることだと思います。
そのために雇用創出と賃金水準の引き上げが求められると思います。それが個人消費を喚起し、個人消費が活性化することで、国内消費が高まり、そこで雇用が生まれ給与水準があがるという好循環が作られる可能性があるからです。
アベノミクスの初代三本の矢の一つに、成長戦略を掲げていましたが、この矢はいかにもおざなりだったと感じます。
バブル懐古者による金融至上主義的政策、それがアベノミクスであり、成長戦略は付録のような扱いだった感があります。
だからいつまで経っても「道半ばです」といわなければならないのだと思います。

 アベノミクスを発表して数年後、今から数年前になってようやく給与水準の引き上げに政府が動き出したように見えます。
 それはいいのですが、そのやり方は企業に給与を上げるように口出しすることであるように見えます。
 それでは効果は限定的になりやすいと思います。むしろ給与を上げられる企業とそうではない企業との格差、都市部と地方との格差が広がることになりかねないと思います。
構造的に給料があがるような政策が求められると思います。

今の世界経済における有効な成長戦略は、あたらしい産業を見つけることが挙げられると思います。つまりこれから発展する産業を世界に先がけて見つけ、それを世界に先だって発展させること、です。
ただしそれは極めて難しいと思います。ことに日本人には。

未来を知ることは誰にも出来ないと思います。
理論や論理的な予想が必ずしも現実になるとは限らないと思います。
これから発展する産業を見つけることは難く、また新しい産業を見つけるにはコストがかかると思います。コストがかかることは、リスクがあるということだと思います。
コストをかけて今後発展するであろうと予測し、その産業を育てるためにあらゆる資材を注ぎ込んだものの、思惑どおりにいかない可能性が常にあるものだと思います。

日本人に見られる心理的な特徴として、リスクがあることには及び腰になりやすいということがあると思います。発想が保守的になりがちで、主体性が弱い傾向がある日本人は、リスクがあると認識した瞬間、守りに入る心理が働く人が多いと感じます。
殊に一度痛い目にあった後には、それが顕著に表れることが多いと感じます。リスクを負って新しい産業を探すことに、バブル崩壊とリーマンショックを経験した今の日本人は及び腰になりがちだと感じます。

それにしても今の日本経済は「道半ば」で立ち止まっていると感じます。
経済が立ち止まって入るということは即ち停滞しているのであり、経済が停滞しているのは、政府の経済対策が効果的ではなく、手詰まり状態だという見方が出来ると思います。

そんな現状を打開するには、大胆な成長戦略が必要なのかもしれません。

雇用創出と内需拡大

トランプさんは記者会見で、アメリカ国内の雇用創出することを強く主張していたと感じます。
「最も多くの雇用を生み出す大統領になる」
ただそれは、他に実効性のある経済政策を打ち出せないことの表れだったように見えました。
選挙期間中から訴えていたことですので、初会見でも主張するのは当たり前だと思いますし、実際メキシコに新工場を建てる計画をしていた大企業が撤回をしていると聞きます。
トランプさんはすでにそれを自身の“成果”だと認識しているようです。
会見ではその“成果”を誇示するとともに、他の企業にも追従を促していたようです。

トランプさんが今までに打ち出している政策の多くには、具体性と現実性に乏しいことは明らかだと思います。
経済政策に関してもしかりです。そんななか雇用に関してだけは、“大企業によるメキシコ新工場建計画を撤回した”という具体的な現実を示すことが出来たのだと思います。

トランプさんの経済政策への期待からアメリカや日本の株価が上がりました。しかし具体性と現実性に乏しい経済政策であることは多く人が認識していると思います。
 “トランプさんの経済政策に期待する人が多いだろう。だからとりあえず今は買いだ”そういう投資家も少なからずいたはずだと思います。
 そうなると本番はこれからだと思います。トランプさんがこれから本当にどんな政策を打ち出し実行するのか、それが問われると思います。ただ、トランプさんの今までの言動から、どんな政策であっても、これからの株式市場は荒れやすいと思います。

トランプさんは不動産業で財を成したと聞きます。その道は順風満帆ではなかったかもしれません。それでも今のトランプさんが事業における成功者であることは間違いないと思います。そして事業で成功者になるには才覚が必要だと思います。しかし、企業活動で儲けることと、一国の経済とは大きく違っていると思います。
お金を動かす感覚は企業活動も国の経済も共通するかもしれません。しかし国の経済を動かすには、それに関する見識を有していることが不可欠だと思います。
トランプさんの一連の発言からは、彼が国や世界の経済に関して大統領として必要な見識を備えているとは思えないのです。

そうはいうものの、トランプさんが訴える国内雇用の拡充は、どの国でも求められることだと思います。
ところで中国は人件費の高騰などから輸出が頭打ちになっていると聞きます。そこで内需拡大に本腰を入れようとしているようです。
中国には国内消費がまだまだ潜在しており、それを掘り起こすことで経済成長を維持できるという考え方があるのだろうと思います。
『内需拡大が必要だ』それは、かつての日本でもよく耳にした言葉だと思います。輸出が経済を主導する国は、いずれ内需拡大が求められるようになる、それが自然な流れであるような気がします。

アメリカも依然として国内消費は多く、またまだまだ潜在していると思います。そして雇用を創出することで、国内消費は活性化する可能性があると思います。
アメリカ次期大統領が国内雇用の拡充を訴えること、それ自体は至極真っ当なことだと思えます。
しかしトランプさんの場合、一国の経済を見るには視野がせまいと思います。狭い視野ために状況認識が出来ていないように感じます。
視線が狭いため主張が単純になりがちなのだろうと思うのですが、単純な主張は大衆にはわかりやすく、選挙戦では支持者を引きつけたという側面があったのかもしれません。
しかし経済の実態は決して単純ではなく、またトランプさんの主張が通るほど浅くもないと思います。

 日本に目を向けると、やはり雇用の拡充は経済に有効だと思います。日本の場合、雇用創出、拡大が内需の掘り起こしにつながる可能性が高いと思います。
ただ日本の状況はアメリカや中国と違って国内消費は縮小しており、それはこれからも続くものと思われます。しかも加速していくと考えられます。
少子高齢化は消費者の減少に直接的につながるからです。そんななかで給与水準がさがれば、国内消費は確実に冷え込むと思われます。
給与水準が下がらなくても、上がらなければ国内消費は高まらないと思います。人口減少、少子高齢化の社会ですので、個人消費が横ばいならば国内消費は下がることになるからです。

そう考えると日本の場合、内需拡大には給与水準を高めることが不可欠だと思います。それと、いかに人口減少少子高齢化といっても人がいなくなるわけではないのだから内需はあると思います。
そうなるとその内需の掘り起こしが絶対に必要だと思います。日本人が欲しがるものを見つけること、日本人が欲しているサービスを見つけること、それが今の日本経済には非常に重要だと思います。
そしてそれらを日本で作って提供することは、給与水準の押し上げに繋ぎ得ると思います。ものを作ること、サービスを提供すること、それらが増えると雇用が生まれたり給与水準が高まったりする可能性があると思わるからです。
ものであれサービスであれ、多くの日本人が欲しがるほど、その過程で付加価値が生まれやすいと思います。
給与水準が高まることで個人消費が活性化すれば、国内消費も高まると思います。まさに好循環です。
“日本人が欲しがるものを日本で作って日本で売る”

 輸出業を軽視するわけではありませんが、今後は世界の経済が難しくなるばかりだと思われますので、改めて内需に目を向ける必要があるような気がします。

2017年1月9日月曜日

議員連合政党という考え方

今の国会の勢力分布を鑑みると、野党間で国家像の違いうんぬんを言っている状況ではないように思えます。
“多数決は究極の民主主義だ”そうは思いませんし、“民主主義とはすなわち多数決である”とも思いません。しかし今の日本の国会は一つの政党だけで過半数となっており、自民党はその数にものをいわせていると感じます。
 それは議会のあり方としてみると、芳しいことではないと思います。
 議会のあり方として芳しいことでないのならば、改善する必要があると思います。
 ではどうすれば改善できるのか? 野党が議席を増やすしかないと思います。
 ではどうすれば野党の議席が増えるのか? 選挙で野党の候補者が当選するしかないと思います。
 そうなると今のすべての野党は「与党の議席を減らすこと」当面そこに目標を定める必要があると思います。
「与党の議席を減らす」、それは今のすべての野党に共通する目標だと思うのです。
 自民党一党が両院で過半をもっているのですから、この状況では野党間における国家像の違いなど、あろうとなかろうと、なにも変わらないと思います。
 違いがあろうとなかろうとなにも変わらないということは、そんな違いにかまけている場合ではないということになると思います。

 民主主義は数ではないと思います。しかし数がものいうのが今の時代の民主主義の実情だと思います。
 ただ人数を集めるには必然的に意見の相違があると思います。政党でいえば、人数が多ければ多いほど、属する議員の主義主張に違いがみられるものだと思います。
 このところ「かつての自民党には様々な意見があった」などと耳にすることがあります。大抵は肯定的な意味合いを帯びています。
今の自民党には様々な意見がないのかというと、そうではないと思います。所属議員の間には主義主張に相違があると思います。あるべきだと思います。しかし今の自民党ではそれが表れないのだと思います。
今の日本の政治は俗に“安倍一強”といわれることがあります。そんななかで“かつて自民党”を肯定的に捉えているということは、今の自民党の状況、すなわち“安倍一強”を否定的に捉えているのだと思います。

 政党政治の原則に照らせば、与党内で政策に隔たりがあるのは好ましいことではないと思います。原則として、主義主張が一致する者の集まりが政党であるべきだと思います。
また政党の中に派閥があることも政党政治の原則には沿っていないと思います。実際、かつては派閥政治を批判する声が少なからずあり、それは派閥の力を弱める要因の一つになったと思います。
しかし派閥の力が弱まっていたことが、“安倍一強”体制を作りやすくしたとみられます。
“安倍一強体制は国にとっていいことではない”という考えが、“派閥の弱体化は国にとっていいことではなかった”という意識に繋がっている人もいるようにみえます。

大きな政党には内部で政策の対立があるのはやむを得ないという側面は確かにあると思います。そしてその側面をなくすことは出来ないと思います。今の自民党も内部での主義主張の相違や対立があると思います。しかし“抑えつけている”ように見えます。
また、大きな政党には内部で意見の相違や主張の対立があるのは、与党だろうと野党だろうと変わらないと思います。今の国会で二番目に議席数がある民進党も、例外ではないと思います。
実際、民主党という名だった時には、野党の時も、与党の時も、内部の対立はあったと思います。殊に与党だった時は、国民がうんざりするほどだったと思います。
それは、意見の相違や主張の対立が党内の権力争いの道具にされていたことが大きいと思います。国民の目には“国益や国民そっちのけで、権力争いに明け暮れている”ようにしかみえなかったと思います。だから国民は“こんな政党など相手にしていられない”という意識を深めたのだと思います。

自民党も過去には内部闘争が表面化したことがあったと思います。それによって国民の目が厳しくなったこともあったと思います。
自民党はその経験が蓄積されているのだろうと思います。それが、今の“安倍一強”の一因なのかもしれません。
今の自民党内には、政党内で権力争いをしても、それが批判されて自民党のイメージが低下したのでは、党所属議員みなにとってマイナスなるという共通認識があるため、“安倍一強”に皆が従っているようにみえます。

民主党は、野党時代も与党時代も、そういう共通認識がゼロだったような気がします。
何度も書きますが、与党時代は内部の権力争いによって政党のイメージが悪くなっても、そのなかで自分だけはよく見られようとする議員が少なかった気がします。そういう浅はかさな考えによってさらに政争がはげしくなり、政党のイメージはさらに悪化したように思います。

個人的に、政策が一致する議員だけで構成された少数政党による多党制が、これからの民主主義体制には適していると思います。
しかしそんな多党制の議会にするには、選挙制度を含めていくつかの事柄を大きく変えなければならないと思います。それは容易ではないことは確かだと思います。
当面、現在の体制で“安倍一強”という“国にとって決していいとはいえない状況”を改善する手立てを考える必要があると思います。
そうなると野党の政党を大きくすることと、次の国政選挙で野党が議席を増やすことの二つが挙げられると思います。
一つ目は、政党が意見や主張に隔たりがある者を受けいれることと、そのための規律つくりが必要だと思います。
二つ目は、選挙における野党共闘と、それを国民に受け入れてもらうための取り組みが必要だと思います。

最大野党である民進党は、所属議員間の主張の相違を最大限受けいれる必要があると思います。そしてそれを権力闘争の道具にしないための規律や雰囲気作りが必要だと思います。
“寄せ集め”になりますが、自民党も、昔も今もそういう政党だと感じます。“寄せ集め”でも党運営が上手くいけばいいのだと思います。
自民党の場合、大きな政党としての経験が豊富であることと、“与党であることのうまみ”があるため党運営が上手くいきやすいのかもしれません。
民進党はその両方がないため、党運営が上手くいかないのかもしれません。
 
民進党が政党を大きくするために、もうひとつ求められるのは、国民に“寄せ集め”であることの理解を得ることだと思います。
 主義主張に隔たりがあるものの、大局的な方向性は同じであり、それを実現するために“寄せ集め”が必要なのだと堂々と説明し、国民に納得してもらうことが必要だと思うのです。
 また“寄せ集め”であるからには、党議拘束はなるべくかけないほうがいいと思います。今の国会は自民だけで過半数を占めていますので、反対票が多少多くても議決結果は変わりにくいと思います。

“寄せ集め政党”は“大局的見地のためにある程度の主義主張の隔たりを受け入れる政党”であるべきだと思います。
“議員連合政党”というようなイメージです。
 規律と雰囲気作りが上手くいけば、政党の多様性が高まり、それは国政にとってプラスになり得ると思います。プラスになれば、“寄せ集め”を受け入れる国民も増えてくるのではないかと思います。
 
 また野党間における選挙協力は、“野党連合体制で選挙に臨む”ことだと思います。
 今の国会にはそれが必要だと思います。

2017年1月8日日曜日

第二次安倍政権の外交に対する評価

 日本と韓国の間にはいくつかの問題があると思います。そのすべてが最終的かつ不可逆的に決着することは“あり得ない”といえるほど、相当に難しいと思います。
『最終的かつ不可逆的な決着』とは『この問題はこれっきりにしましょうね』『これで後腐れなしにしましょうね』『これからこの問題は蒸し返すことのないようにしましょうね』、双方がそれを受け入れることだと思います。
 そのような取り決めは、過去に何度か日本と韓国の間で交わされたと思います。しかしいくつかは後に蒸し返されているように見えます。“これっきり”にならなかったということです。
 それは両国の経済状況や国民の意識の変化など、様々な背景があると思います。ただ、むしかえされることで問題は大きくなり、時間が経過することで問題は根深くなっているように見えます。

従軍慰安婦に関する日韓合意は、最終的かつ不可逆的に決着させることだったと思います。
つまり『従軍慰安婦問題はこれっきりにしましょうね』『これで後腐れなしにしましょうね』『これからこの問題は蒸し返すことのないようにしましょうね』そういう取り決めを、日本と韓国が合意したということだと思います。
合意したということは、“国と国”の視線でみれば双方が納得したということになると思います。
 しかし実際は“これっきり”にはならなかったと思います。蒸し返される以前の状況に見えます。“後腐れがある”という以前の話だと思います。
 
 韓国世論では、この合意に賛成する声よりも、破棄するべきだという意見のほうが多いようです。そんななか慰安婦を象徴するという少女像が新たに設置されています。
いくら“国と国”が納得の上で合意したとしても、国民がそれを拒否しているとなると、政治が強引に合意を履行することは難しいと思います。
韓国はそういう風潮が強いのかもしれません。従軍慰安問題や竹島などに関するデモや、セウォル号沈没に関する世論や、このところの朴槿恵大統領の退陣を求めるデモをみると、大衆があまりも感情的になっているように見えることがたびたびあります。

ただ、大衆は国に関わらず本来的に感情に左右されるものかもしれません。感情が大衆を大きくし、また感情が大衆を一方に流していくものかもしれません。俗に言うアラブの春ではそのような傾向が強く現れていたように思います。感情を高ぶらせた大衆を、政治で収めることも相当に難しいと思います。そのため中東諸国では政権が倒れたのだと思います。
それにしても韓国の大衆は、感情的になる傾向が強いような印象を受けます。そして韓国の政府も、感情を高ぶらせた大衆を政治で収めることは相当に難しいと思います。

先日、釜山に従軍慰安婦の象徴とする少女像が設置され、日韓関係が冷却化するだろうという見方が広がっているようです。
韓国内では従軍慰安婦に関する日韓合意を破棄すべきだという世論が大きく、韓国政府が日韓合意を履行することが難しいと思います。
これから、だれが大統領になろうが、どの政党が与党になろうが、韓国政府が日韓合意を履行することは、当分の間出来ないと思います。
今の状況は、合意が履行される前ですので、“蒸し返した”とか“後腐れ”、それ以前だと思います。

ただこうなることは、合意をする前から十分以上に予想できたと思います。これまでの経緯からしても、従軍慰安婦問題が“最終的かつ不可逆的に決着”することなど“あり得ない”のではないか、それはわかりきっていた感があります。
それでも合意したのは、日本が10億円の拠出という合意を履行してれば、合意を履行しない韓国に対して強い立場になれるという思惑があったのかもしれません。
確かに短期的にはそうかもしれません。しかし両国の関係が悪化し、冷却することは避けられないと思います。
しかもこれから年単位の時間がいくらか流れれば、今回の10億年の拠出も韓国国民は知らないことになると思います。そうなるとなかったと同じことであり、韓国の大衆は従軍慰安婦問題で日本を強く批判するだろうと思います。

このように考えると一昨年の従軍慰安婦に関する日韓合意は、後世の判断では“結果的に火種をまいただけだった”となるような気がします。
現在、韓国の国民とメディアは従軍慰安婦問題で日本をさらに強く非難するようになったと感じます。“日韓関係は、この日韓合意によって悪化した”という見方もあると思います。
日本側から長期的にみた外交として、失策となりかねないと思います。
冒頭に書いたように、従軍慰安婦問題に限らず日韓間の問題が最終的かつ不可逆的に決着することは“あり得ない”といえるほど相当に難しいと思います。ならば、たなざらしにしておいたほうがいい、そうするより外にないような気がします。
完全決着などあり得ないのならば、下手に手を出さず放置しておくということです。それでも韓国では日本を批判するでしょうが、それは日韓合意をしても行われると思います。
先日の少女像設置のような事態がおこると、反日感情が高まるだろうと思います。
“後腐れなしの完全決着”、それは端から出来ないであろうと思われます。それなのに無理やり、最終的かつ不可逆的に決着をつけようとしたため、関係が悪化したように見えるのです。それならば、問題は放置して国家間の連携が必要な事柄は、現場サイドで場合によっては非公式に行ったほうが、日本と韓国双方の利益になりそうな気がします。

 北朝鮮に関わる問題は、日韓で利害が一致することもあると思います。そういう事柄に関しては従軍慰安婦問題に関わらず連携するべきだと思います。従軍慰安婦問題と北朝鮮問題はまったく別問題です。もし日韓のどちらかが従軍慰安婦問題によるわだかまりで、北朝鮮問題で連携を拒むようなら、それがお互いに不利益をもたらすと説得し理解を得て、連携をしなければならないと思います。
 
それにしても日本にとって一昨年の従軍慰安婦日韓合意は、10億円という大金を拠出したうえに、韓国国内の反日感情をあおることになったようにも見えます。日本のメリットは小さいように見えます。

 この日韓合意は、安倍首相が力を入れていた外交上の取り組みだったように見えます。
 しかし日本にとって有益な成果があったとはいえないと思います。むしろマイナス面のほうが大きいという見方が出来ると思います。

 そのようなことを考えながら第二次安倍政権の外交を振り返ってみると、鳴り物入りというか大仰に取りかかりながら、目立った成果がないということが多いと感じます。
 北朝鮮拉致問題に関して、大々的に行動を起こしておきながら、結局一ミリたりとも進展しなかったように感じます。
 昨年のプーチン露大統領の来日も、事前の安倍首相の意気込みの割には、成果が大きかったとは言えないように見えます。
 そして一昨年の従軍慰安婦に関する日韓合意も、前途したように日本にとっても韓国にとっても、むしろマイナス面のほうが大きくなりかねないのではないかと思います。
 こうして振り返ってみると、安倍外交に点数をつけるとすれば、決していい点数はつけられないと思います。
 しかし日本国内では、安倍外交に対する評価はそれほど厳しくないように見えます。
 それはここに挙げた三つの事柄は、非常に難しく、安倍首相が力を入れてもどうせ解決や進展はないだろうと、多くの国民が感じているからかもしれません。

 安倍外交に対する評価は、日本国内では甘いようにも見えます。外国ではもっと厳しい点数がつけられているかもしれません。

2017年1月7日土曜日

記者会見をやらない理由

トランプ次期米大統領は当選以来、一度も記者会見を行っていないと聞きます。それでも黙っているわけではなく、ツイッターには高い頻度で発言しているようです。
個人的に、それは超大国の大統領としてふさわしくないと思います。かりにも一国の国家元首たるものは、堂々と国民の前に姿をみせて発言をするべきだと思います。

ツイッター自体や、大統領がそれを利用することを否定するわけではありません。しかし短文投稿サイトでは質疑応答がなく、一方的に意見を発信するだけになっているようです。
それは次期米大統領が意見を発する方法として、甚だしく不十分だと思います。
記者会見をやったうえで、ツイッターで意見を述べるのでしたら構わないのですが、トランプさんは記者会見をやらずに、ツイッターで発信すると表明していると聞きます。それは大統領のふるまいではないと思います。

11日に記者会見をすると表明したそうです。それにしても遅すぎると思います。なぜÞランプさんは記者会見をやらないのか。個人的に感じていることがあります。
トランプさんは質疑応答をおそれているのではないかと感じます。
記者の質問に対して的確に返答する自信がないのではないかと感じます。
的確に応じられない様子が大きく報じられることで、イメージを落としてしまうことを恐れていると感じます。

そんな恐れを抱く理由は、トランプさんは米大統領としてふさわしいだけの見識を持っていないからではないかと思います。
大統領選挙の際に、トランプ候補の見識不足は明らかだったと思います。
根拠ない印象を声高に訴えていたと思います。
しかしその見識のなさが大衆と同レベルだったと思います。
大衆と同レベルということは、大衆からの支持を集めやすいといういことになると思います。
そのため当選できたと思います。

それにしても大衆と同レベルの見識では、超大国アメリカ合衆国の大統領が務まるはずがないと思います。
そこでトランプさんは現在、助言を受けたり、勉強したりしているものと思われます。見識を深めようと努力している最中ではないかと思います。
そうでなければならないと思います。
しかし学べば学ぶほど、自らの見識不足を知ることになると思います。また見識を深めれば深めるほど、選挙との時に訴えていたことがいかに現実的ではないか知ることになると思います。
そして記者会見に怯えることになるのだと思います。

トランプさんは記者の質問に応じられず、大統領としてふさわしい見識を有していないことが明らかになることに怯えているように感じます。
選挙の際に訴えていたことが実現できないことが明らかになることに怯えているように感じます。

一国の大統領の場合、見識がないということは、すなわち資質がないということだと思います。
大統領としてふさわしい見識がない、それが記者会見の場で表れるということは、大統領として資質がないことが表されるということだと思います。
大統領としての資質がないことを全世界に知らしめることになりかねないと思います。

それに怯えているため、トランプさん記者会見をやらないのではないかと感じます。
そういえば日本には「よわい犬ほどよく吠える」という言葉があります。