2016年7月20日水曜日

ネット大衆

このところ、俗にいう保守的な志向が強まっていると感じます。世界各地でその傾向が強まっているように思うのです。政治家、国民共に保守的な主張をする人たちがふえ、保守的な主張を支持する人が増えていると感じます。世界全体で、です。
数年前から感じられていたことです。ただそれが、年々強まっているような気がします。また加速していると感じます。
その要因と考えられる事柄について、何度も書いています。パソコンやインターネットの普及は、世界的に個人主義を高めさせるともに、国粋主義も強めさせている要因の一つだと思います。

今の世界はインターネットをなしでは成り立たないのではないかと思えるほど、それが広く深く浸透していると思います。
 当たり前のようにインターネットが存在していると感じますが、それは相当に急速に浸透した感があります。ただ多くの人々は、その速さに注意を払っていないのだと思います。
 
一回り前の干支の年と今年を比べれば、インターネットなど通信関連は大きな変化をしていると思います。現在、インターネットやスマートフォンなどがあまりにもあたり前に身近にあるため、ともするとずっと前からそうだったような感覚を無意識に持っている人が多いと感じます。
それを指摘されると「いわれてみれば、スマホを持つようになってまだ数年だな」「今は便利になったなあ」などと思考することがあるかもしれません。ただ頭で考えるだけで、スマートフォンが自分の生活に浸透した速さを感じることは少ないと思います。

 インターネットなどの通信環境の急速な変化は、社会全体の急速な変化といえるような気がします。
そして社会全体の急速な変化は、人間の心理にも影響を及ぼすと思います。
ただ多くの人たちがその変化の只中にあるため、認識できないように見えます。頭で考えることは出来ても、感覚的に変化の速さと大きさを認識できていないように見えるのです。
そのため『確かに言われてみれば社会は大きく変わったね。でもそれがどうかした?』と軽んじていると感じます。そのことの重さを認識できずにいると感じます。

何度が書いていますが、インターネットは自分一人で多くの他者と向き合うものだと思います。
友人知人たちである場合もあれば、世界中の不特定多数の人々である場合もありますが、スマートフォンやパソコンの画面に向き合っているのは自分一人だけである場合がほとんどだと思います。
それが自我や自意識を強めるように作用することが多いのではないかと思います。多くの人たちは、日常的にインターネットを利用しつつ、無自覚に自我や自意識、自己肯定感、自己保守心などを強めているように見えるのです。
しかし多くの場合は、その作用が働いていることを自覚することは出来ないと思います。

インターネットの中で激しい誹謗中傷などが行われることは珍しくないと聞きます。その中には悪意や敵愾心、攻撃欲、義憤などが含まれていることが多いように思います。
『一人一人は無名でなんの力も持たない一般人だけど、みんながネットで攻撃すれば悪者をやっつけられるんだ』
 このような感覚を抱くこともあると聞きます。インターネットで大衆の誹謗中傷が沸き上がることで現状が変わったことがあると、『ネット民の勝利だ』『権威も権力もない一般人の勝利だ』『我々が正したのだ』と達成感のようなものを得ることがあると思います。
 それはとても心地いいものだと思います。
心地いいために、何度も味わいたくなるものだと思います。そしてまた『悪者』を見つけようとし、悪者が見つかるとインターネットで袋叩きをする、そんな状況が起こるのだと思います。

“ネット大衆”はインターネットという空間のなかで群れを成し、大勢で一人を袋叩きにして、叩きのめすことにある種の快感を得ていることがあると思います。“集団対一人”という構図の中で、自分が“集団側”つまり“圧倒的な優位な側にいる”それ自体と、圧倒的に優位な側の自分が、圧倒的に不利な側である“一人”を容易く叩くことに“快楽”に似た感覚をえることがあると思います。それは“いじめる側”の人間にもみられる心理ではないかと思います。
さらに“ネット大衆”による“ネット袋叩き”には達成感や正義感を満足させるという快感も加わることが多いと思います。
そのような快楽や快感は、麻薬のような心理的、脳科学的効果があるのではないかと思います。

叩かれる側が企業など集団である場合もあると思います。また政治家など権威や権力をもっている場合もあると思います。
そしてその叩かれる側の企業や集団、政治家に批判されるべき要素がある場合も決して少なくないと思います。
それが“ネット大衆”による“総叩き”によって制裁を受けることもあると思います。悪事が露見し罰せられることもあると思います。不正が除かれることもあると思います。改善すべきことでありながら長年放置されていたことが改善されることもあると思います。
“ネット大衆”が社会全体に対して貢献することもあると思います。
 
 大企業や政治家など権威や権力を持つ者には、個人の力は到底及ばないと思います。
 しかし“ネット大衆”となれば、いかに大企業でも数で勝るのは容易いと思います。
 また大衆は時に、権力者を脅かすものであり、インターネットのなかの“ネット大衆”は実社会の大衆よりも膨らみやすいものだと思います。
 距離など物理法則にとらわれることがないことが、“ネット大衆”が膨れあがりやすい要因の一つだと思います。

また“袋叩きにする者たち”は、袋叩きにしながら、“袋叩きにされている人”の様子を耳目にしているものだと思います。
袋叩きにされている側の人が受けている痛手の大きさを見聞きしているといえるかもしれません。
そして『向こう側にはなりたくない』と思ったり、考えたり、無自覚に意識をしたりするものだと思います。
これも“いじめる側”の心理に共通するような気がします。
“ネット大衆”の場合、“いじめる側”より、個人を特定される可能性が小さいと思います。
 そのため“ネット大衆”のなかには、『ネットで袋叩きにされたくない』と言語で表現できるようには考えていないかもしれません。
 しかし思考ではなく、意識のなかに『“向こう側”になりたくない』と感じている人が多いと感じます。

“ネット大衆”は、多くの個人が、インターネット空間で非常に多くの他者と群れることで形成されていると思います。
“多くの個人”は、スマートフォンの画面やパソコンの画面を通して群れに加わっているものだと思います。
 大抵の場合、スマートフォンもパソコンも一人で操作しているものと思います。そして“ネット空間”に通じるスマートフォンの画面やパソコンの画面は一人で見ているものだと思います。
“多くの個人”は自分一人で“ネット空間”に入り、そして時にその空間で非常に大勢の他者と対峙しているものと思います。

 それによって、“多くの個人”は“自分自信”に対する意識が強まっていると感じます。そしてほとんどの人はその自覚がないと思います。
 自覚がなく、意識していないものの、“自分自信”に対して固執するような心理が強まっていると感じます。
《“絶対に自分が正しい”と無条件に思いこむ心理》、《自分を守ろうとする心理》《すこしでも敵性を感じる他者に強く反発し強く攻撃する心理》、《自分が優れていると無条件に信じ込む心理》、《自分の正義感に背く他者を、強く攻撃する心理》、《他者との同調を求める心理》、《得られるべきものは得たいという心理》、《得られるべきものが与えられないことに対する不満》
 それらはインターネット関連の発達に関わらず、誰も持っている心理や意識だと思います。生まれながらに備わっているのかもしれません。
 しかしインターネット空間に触れる機会が急増したことで、《自分が一番》《自分は正しい》《自分をまもる》《自分最優先》という心理や意識が強まったと感じます。
 そんな個人がインターネット空間で群れることで“ネット大衆”が生まれることがあると感じます。

 それは世界的な傾向に見えます。そしてそれは大きな危険をはらんでいるようにも思えます。