2017年2月17日金曜日

テロリストの発想をもつ人物と核兵器

現時点で人類最後の戦争における核攻撃から数十年の時間が過ぎたと思います。長い時間が流れたのですから、様々な事柄が変わったと思います。
先の大戦と比べると、現在そしてこれからの戦争の様相も大きく変わったと思います。様々な技術が生み出され軍事分野で実用されていますし、国際情勢は刻々と変化しています。
現在、そしてこれからの戦争において、核兵器は戦術的にも戦略的にも有効ではないと思います。

東西が二つに割れるという対立軸が一本だけのわかりやすい冷戦時代にくらべて、現代の国際社会は遥かに複雑になっていると思います。
利害関係は国によって異なっており、同盟国であっても、すべてにおいて賛同することはなくなっていると思います。
戦争においても非人道的な行為があれば、同盟国であっても厳しい態度に出ることは十分にありうることだと思います。

情報伝達技術が発達したことで、もし今後核攻撃が実行されたら、その非人道性が世界中に知らしめられることと思います。
核攻撃によるあまりにも大きな破壊と虐殺が、過去の二度の核攻撃の時とは比較にならないほどに早く、広く、世界の人々に知れ渡ることが考えられます。
核攻撃を行った国は、広くから強い批判にさらされると思います。

それ以前に実戦で核兵器をつかうということは、核抑止力が壊れたことを意味すると思います。核攻撃には核攻撃による報復があるということです。
それは多くの破壊と犠牲をもたらし、核戦争による人類滅亡も起こり得なくはないと思います。

ところで無人攻撃機の登場は、軍人と一般人共に、戦争に対する人々の感覚を変えた感があります。
軍人は無人機に攻撃が一定の戦果を挙げていること知ることで、一般人は遠隔操作された軍用機が爆撃や攻撃を行う映像を目にすることで、それが戦争において有効な兵器であることを思考で認識し、またそれを感じたのではないかと思います。
 
“自軍の兵士の犠牲は少なければ少ないほどいいに決まっている。しかし戦争では兵士が命を落とすことはやむを得ないことだ”
 そういうものだと感じている人が多いのではないかと思います。無人機が攻撃する様子を映像で目にし、自国の兵士は安全な場所にいて、敵を攻撃することが出来うる時代になったことを感じた人が少なくないと感じます。
 ただ遠隔操作による無人機には多くの問題点が指摘されています。

 それにしても人々は自軍の兵士の犠牲者を出さずに済むという点は、戦争において有効だと感じたり、考えたりする人は多いと思います。
 そして無人機だけでなく、近年目にする爆撃の映像は標的だけを狙っているものが多いと思います。
 それを目にすることで、人々に自軍の犠牲者を最小限に抑えるだけでなく、敵軍であっても必要以上の破壊をもたらすべきではない。まして非戦闘員の犠牲は出すべきではないという観念が強まったように感じます。
 
それは人道的な観点だけでなく、戦争における有効性という視点においても、不必要な破壊は、結局無駄なだけで、戦争における無駄にはメリットは少なく、デメリットが大きいと思います。
無差別に大量の人間を殺戮するのは、戦術的にも戦略的にも極めて無駄なことであり、多くのデメリットを抱えることになると思います。

これからの戦争は狙った目標だけを的確に破壊することが求められると思います。何事であれ無駄はないにこしたことはなく、無駄をなくそうと努めるものだと思います。
ピンポイント攻撃はまさに無駄を排した攻撃といえるかもしれません。
民間人、非戦闘員の被害は出さない方向に向かうと思います。それに自国の兵士の犠牲は極力すくなくし、敵国兵であってもむやみに殺さず、狙った艦船、狙った航空機、狙った施設など、狙いだけを的確に破壊する、それは無駄がない効率的な戦い方だと思います。

その点、核兵器は莫大な破壊をもたらすための兵器であり、ピンポイント攻撃とは対極の発想に基づいた兵器だと思います。
核兵器のあまりにも強大な破壊力は、必然的に多くの民間人を巻き込むと思います。人類史上二回行われた核攻撃は、端から非常に多くの民間人を標的にしていました。次の核攻撃は軍事関係の施設だけを狙ったとしても、核兵器の破壊力と、それに伴う放射性物質の拡散は、ほぼ間違いなく多くの民間人を犠牲にすると思います。
そして報復の核攻撃を受けたり、国際社会からの強い批判をあびたり、あらゆる制裁を受けたりすることになると思います。

これからの戦争において、核兵器は決して有効は兵器ではないと思います。しかしすでにこの世界に核兵器が存在している以上、今から核兵器を失くすことは不可能だと思います。核兵器が存在する国際社会では、核抑止力は必要だと思います。
ただ無駄に多くの核兵器を持っていても仕方ないと思います。不必要なほど多くの核兵器を抱えることは、メリットよりもデメリットのほうが大きいような気がします。

 ただし戦争ではなく、無差別のテロには十分有効になりうると思います。核兵器は無差別に多くの人間を殺戮する兵器だと思います。まさにテロの手段として核兵器の使用は有効だと思います。 
そしてテロリストが核兵器を使うとなると、脅しや抑止力として使うことよりも、実際に兵器として使うことがあり得ると思います。
 つまり、テロリストに核兵器が渡ることは、すなわち核兵器が使用されること、そうなる可能性が低くないと思われます。
 
そうなるとテロリストの手に核兵器が渡らないようにしなければならないと思います。
核兵器の管理を厳重にすることはもちろんですが、世界にある核兵器の数を減らすことも求められると思います。
数が少ない方がテロリストの手に渡りにくいからです。また数が少ない方が管理を厳重にしやすいと思います。
 
またテロリストと同じように、あるいはそれ以上に危険なのは、テロリストと同じような発想をする独裁者だと思います。
実際、テロリストのような発想をする人物が、国を支配する立場にいるように見えます。

その人物が核兵器を欲していると聞きます。そういう人物が求めているのは、戦争において有効な核兵器ではない。テロリズムの道具としての核兵器であるような気がしてなりません。危険極まりないと思います。