2014年8月5日火曜日

言論を封じる者


僕はよく本を買います。僕にとって、本の消費税は、安いに越したことはありません。

“僕”個人を中心とした視点でみると、書籍には消費税の軽減税率を適用してもいらいたいのです。

ただ“国”という公を中心とした視点でみると、消費税の軽減税率という制度そのものに反対です。

 

僕にとって、自動車は生活必需品です。その燃料や車検などの費用もそうです。

僕にとって、衣類は生活必需品です。特に下着はそうです。

冷蔵庫やコンロや寝具、それ以外にも多くの生活必需品があります。

すでに軽減税率を導入している国の多くが、それらを対象にしていないようです。

すでに軽減税率を導入している国のほとんどが、新聞を対象としているようです。

 

新聞が生活必需品だという人も、決して少なくないと思います。インターネットが普及する前なら、なおさらです。

それにしても生活必需品は、色々なものがあげられます。そのなかには、新聞より必需品としての優先順位が高いのではないかと思われるものもあります。

 

『新聞に軽減税率を適用すれば、新聞などのマスコミが消費税に対して反対しない』

 それが新聞に軽減税率が適用されている理由だと、度々見聞きします。もはや定説だと感じられます。

“ほとんどの国が新聞に軽減税率を適用している”

“新聞より[必需性]が高いと思しきものを差しおいて対象になっている“

それらから、やはり定説の通りなのだろうという印象を受けます。

ただ定説の通りであるならば、それは新聞業界のエゴだと思います。

そして、新聞などのマスコミが世論を主導しているのだ、という驕りが感じられます。

 

言論や報道は、民主主義においてとても大切なことだと思います。

新聞をはじめ、マスコミは報道と言論を発信する機関といえると思います。

また新聞は、知的水準の向上や、活字文化の維持にも、大きな役割を果たしていると思います。

 

しかし自由経済の下、新聞をはじめ多くのマスコミが企業という形で存在しています。企業は利潤を追求するものだと思います。

新聞は自分たちの“利益のため”を、“国や国民のため”と主張していると感じます。

 

軽減税率は、新聞を中心に多くのマスコミが、「導入するべきだ」と主張し、「新聞や書籍を対象にするべきだ」と論じていたと思います。

有識者の意見として発信されることも多かったと思います。

しかし近年、軽減税率の導入に賛成する意見を見聞きすることは、めっきり少なくなったと思います。

制度の是非について論じることなどなく、ただ対象品目に関することを伝えるだけだと感じます。

 

軽減税率の制度に対する反対意見が多いからかもしれません。新聞業界は、新聞に軽減税率を適用して欲しいのですから、軽減税率の制度に反対する意見は、発信しないのではないかと思います。

新聞やその他のマスコミは、自分たちに都合の悪いことは発しないように見えるのです。

軽減税率という制度が“国や国民のため”であり、新聞に適用することが“国や国民のため”だと本当に信じているのなら、堂々と反対意見を示して、論じるべきだと思います。

 

しかしそうしているようには見えません。新聞やその他のマスコミは、反対意見を発信せず、軽減税率の是非ついて論じようせず、ただ推し進めようとしていると感じます。

反対意見に反論できないからかもしれません。

 

もしそうなら、それは言論を発信しないことで、言論を封じているといえると思います。

有識者の大先生のなかには、新聞社などマスコミと付き合いがある人もいると思います。仕事上、また個人的に付き合いのあるマスコミから『軽減税率に反対する意見は、言わないでほしい』と求められている大先生もいるような気がします。

 

しかし今はインターネットがあります。それで発せられた意見は、世界中で読むことが出来ます。

新聞の購読者が減っているのは、人口減少などの原因があると思います。なかでもインターネットが普及は大きな理由だと思います。

新しいものが増えたのですから、新聞の普及率が下がるのは当たりまだということです。

ただ新聞に対して批判的な気持ちを持っていた人たちが、インターネットがあることで新聞を本気で見限ったということもあると思います。

 

 新聞などマスコミに対する反感には、偏向性や独善性などによると思います。

それに、自分たちが世論を主導しているという驕りを感じることも、反撥される理由の一つだと思います。

それらは、ずっと以前から多くの人が感じていたような気がします。しかし他のメディアがない時代は、反感を抱くものの、新聞を読むしかなかったという側面があったと思います。

『文句言いながらも、結局みんな新聞を読むんだよ』

新聞業界はそういう驕りを強め、自己批判できなくなったという印象があります。

 

新聞を購読する人数が減っているということは、新聞の“必需性”が低くなった表れだといえると思います。

昔は新聞しかなかったので、必需品だったと思います。

今は、他のメディアが発達しているため、新聞を必要としない人が増えたのだと思います。

 

仮に消費税が多少安くなっても、新聞が読まれなくなる本当の理由を放置していたのでは、新聞購読者は減るばかりだと思います。

都合の悪いことを言わず、世論を主導出来るという驕りは、本当の理由の一つだと思います。

 

新聞や他のマスコミが、意図的に軽減税率に反対する意見を発しないのであれば、それは言論を封じているといえると思います。

もしそうだとすれば、新聞に言論を語る資格はないと思います。

 もし新聞が言論を封じているのであれば、新聞は民主主義を振りかざす資格はないと思います。

 言論を封じることに携わっているものは、恥ずべきだと思います。

 言論を封じることに携わっているものは、軽蔑されるべきだと思います。

2014年8月4日月曜日

言論の封じ方


 消費税の軽減税率は、まったくというほど議論されずに法案になったと感じています。

論じられるのは、対象品目に関することばかりだと感じます。

 軽減税率という制度そのものについて語られることはないと感じます。

それが語られるのは、制度導入を進めることを前提にしているものばかりだと思います。

軽減税率に反対する声は滅多に聞かないと感じます。

 

 では反対意見がないのかというと、そうではないと思います。僕自身は軽減税率の導入に反対ですので、ここでは何度も書いています。

 時々、同じような見解を聞くこともあります。しかし滅多にありません。消費税が8%に上がってからは、一度もないような気がします。

 

 つまり消費税の軽減税率は、制度そのものの是非について語られていないと感じるのです。制度について論じられぬまま法律になったような印象があります。

 少し前に公明党の税調会長が『丁寧な説明をして理解を得る必要がある』という趣旨の発言をしていた覚えがあります。

 丁寧に説明すれば理解を得られる論理を持っているのだと思います。

 ぜひそれを聞かせてもらいたいのですが、今までのところ聞いたり読んだりしていません。

 

そのため、制度について論じずに、導入を進めようとしていると感じます。

 丁寧に説明すれば理解を得られる論理など、端から持っていないと感じます。

 論理がないから、論ぜずに推進しようとしていると感じます。

品目について話し合っている様子を示せば、軽減税率について何かしら論じているように見えると踏んでいるような気がします。

 

また政治家の中には、『軽減税率は、“税を軽減する”制度だから、それに反対すると国民の“うけ”が良くない』と考えている者がいると感じます。

野党の政治家は、“税を軽減する”制度に反対などするはずがないと思います。

ただ黙って入ればいいのですから、端から制度について考える必要はないと思います。 

政治家のなかには、軽減税率の制度など、なにも考えていない人がいると感じます。

 

 消費税の軽減税率は、発想自体が安易で短絡的だと思います。

 先行導入している国の、対象品目の選び方を見ると、“品目を決める”それ自体に“幼稚なことをしている”と感じることがあります。

 人間にとって生活必需品はありますが、その品目は個々人によると思います。国が線引き出来るものではないと思います。

 

 生活保護に関することで、かつてクーラーは贅沢品だったと聞きます。しかし熱中症によって命を落とす事案があり、生活必需品として認められるようになったと思います。

 またここ新潟市で、一般的な考え方をすれば、暖房は生活必需品に含まれると思います。

しかし軽減税率を導入している国で、冷暖房器具を対象にしているという話は耳にしません。

 

ちなみに冷暖房器具は、様々なものが売られています。石油ストーブ、ファンヒーター、扇風機、エアコン、空気清浄機能つき低燃費型エアコンなどです。

 

また、地方では自動車を生活必需品だと考えている人が大勢いると思います。当然その燃料も生活必需品だと思います。

軽トラックなど、明らかに仕事に使う車ばかりでなく、移動手段として自動車が生活に必要だという人は多いと思います。

軽減税率を導入している国で、自動車を対象にしているという話は耳にしません。

 

ちなみに移動手段の自動車にも、様々な車種が売られています。大型の四輪駆動車は、積雪がある山間地の移動手段として非常に役に立ちます。しかしその車はレジャーに使うことも出来ます。

 

ところで生活必需品といえば、まず衣食住が思い浮かびます。

その“衣”のなかでも、下着は生活必需品だと思います。

軽減税率を導入している国で、衣類を対象にしている国は少ないようです。

 

ちなみに男性用下着には、百円硬貨三枚でおつりがくるものもあれば、千円札を三枚ださなければ買えないものもあります。

 

“食”には、安価な外国産の牛肉もあれば、高級国産和牛もあります。

“住”には、風呂なし、トイレ共同、六畳一間の集合住宅もあれば、庭付き一戸建て住宅もあります。

 

軽減税率の品目選びは、“公の視点”よりも、“個の視点”が強く反映されると感じます。

自由経済の下で軽減税率を導入すれば、当然そうなると思います。仕方ないことだと思います。

しかしそれは“公の視点”が弱まるということになると思います。

結果的にそれは国民の負担になって、回ってくると思います。

 

そして“個の視点”によって、軽減税率という制度に対する反対意見が封じられていると感じます。

政治家の大先生様のなかには、色々な業界とのつながりが深い人物も少なくないと思います。

また書籍などの出版物を刊行している政党があると聞きます。政党に関わらず、政治家の大先生様の多くが本を出しているようです。

 

それに有識者の大先生のなかにも、専門分野に関する団体や業界と深いつながりをもっている人もいるのだろうと思います。

有識者の大先生の多くが出版物をだしているようです。新聞に寄稿したり、連載をもっていたり、新聞社とつながりがある大先生も少なくないと思います。

 

自動車や冷暖房器具や衣類を軽減税率の対象にしている国は少ないようです。
多くの国が新聞や書籍を軽減税率の対象にしているようです。

2014年8月3日日曜日

両さんの生命力


ここ数年、深海の生き物に関して見聞きする機械が増えたと感じます。

探索する技術が向上したことで、これまでに目にすることが出来なかった深海の生物を、映像で見られるようになったのだと思います。

それに、今まで知られていなかった生態が調べられるようになってきたのだと思います。

 

そうして深海の生き物の映像を目にし、その生態を耳にするようになると、興味を掻き立てられるものです。

今まで知らなかったことには関心が湧くものです。

 しかも深海の生物は、まるでSF映画に登場するような外見をしているものが多いようです。

 姿かたちが奇怪というか、変わっているというか、これまでに見たことがある海の生き物とは、大きく違っていると感じます。

 それに引き付けられることがあります。

 

そして、その見た目にも関わっているのでが、生態や機能も“変わっている”と感じられることがあります。

敵に襲われると、大量の粘液を発する生き物がいるそうです。

その粘液が絡みつくと、えらをふさいでしまい、生きていられなくなるようです。それを待って、食べてしまうとのことです。

 

返り討ちというか、自分を食べようとして襲ってきた相手を食べてしまうようです。

それも粘液を発し、それで窒息死させるというのです。そのような方法で獲物を捕まえる生き物は、今までに聞いたことがないような気がします。面白いと感じます。

そのような生態が調査や研究によって、少しずつ解明されているのだと思います。

 

ただ深海の生物の機能や生態は、まだまだ分かっていないことも多いと聞きます。

人は未知の事物に引かれることがあると思います。そうして多くの人から関心を持たれることで、さらに調査や研究が進むような気がします。

映像や情報が発信され、それを目にする機会が増え、その反響があり、それによって調べられるようになり、発信されるようになると思います。

 

そしてまた新種の深海生物が見つかったり、変わった生態が解明されたりするのだろうと思います。

深海は、今まで人間にとって未知の場所だったと思います。それだけに、人間の知らない生き物が、まだ非常に多く生息していると考えられるようです。

人々の関心を引き、調査が活発に行われるようになると、これからも多くの新種が見つかるのではないかと思います。

 

そんな深海の生物のなかには数億年前から、生息していた種がいるそうです。

恐竜がいた時代から現在まで、種が滅びることなく子孫を残し続けてきたのだろうと思います。

それは、深海は環境があまり変わらなかったことが一因だと聞きます。巨大隕石によって地球が寒冷化したことは、恐竜が絶滅した大きな原因だといわれています。

またそれ以外にも、数億年の間に地球の環境は様々な変化があったと思います。

深海はその影響を受ける度合いが小さくて済んだため、長い間、種をつなぎ続けている生物がいるようです。

 

 その話を聞いて、ふと頭に浮かんだ生物がいます。ゴキブリです。

 ゴキブリも恐竜の時代から生息していたと聞きます。

 ただゴキブリは深海にいたわけではありません。恐竜と同じような環境の中で生きていたのだろうと思います。

 地球は広いですので、巨大隕石が落ちた後も場所によって環境は違っていたと思います。

また同じ場所でも、恐竜が生きている空間と、ゴキブリが棲んでいる空間では、色々と違っていたと思います。

 

 それにしても数億年という長い時間の中には、大きな環境変化があったと思います。

 それでも種が続いているのですから、ゴキブリは強い生命力をもっているのだろうと思います。

 ゴキブリに関する知識がないのですが、環境変化の影響をうけにくいのかもしれません。また、環境変化に耐えられるような構造をしているのかも知れませんし、環境の変化に対応する能力が高いのかも知れません。

 

 深海の生物は環境の変化が少なかったため、非常に長い間、種が絶えなかったのに対して、ゴキブリは変わり続ける環境のなかで、生き続けてきたのだろうと思います。

 そう考えると、ゴキブリを駆除することは大変だと感じます。

 数か月前だったと思いますが、ゴキブリの味覚の好みが変わってきているという話題を目にしました。ここでも取り上げたような気がします。

 

 今回は改めて調べませんので、記憶違いや勘違いがあるかもしれませんが、確かゴキブリを駆除する薬は、甘い味が付けられているということだったと思います。

 その“罠”にかからないように、ゴキブリの味覚が変わってきていると書かれていた気がします。

 甘さを感じなくなったのか、感じているものの、好まなくなったのか忘れてしまいましたが、とにかくゴキブリを駆除する“仕掛け”に、かからないようになっているようです。

 ゴキブリは駆除することが難しい生物なのかもしれません。

 そうなると、いずれ遺伝子を組み替えて、絶滅させようと考えられるかもしれません。

2014年8月2日土曜日

虫さされに


以前「かいちゃダメ」というテレビCMを見た覚えがあります。

 虫に刺されたときに塗る薬のCMだったと思います。放送されていたのは、もう随分前ですので記憶が薄らいでいますが、アニメで描かれていたと思います。

蚊に刺された子供に向かって、「かいちゃダメ」という声が流されるという内容だったと思います。

 

蚊に刺された時は、かゆくてもかいてはいけない、そのことを伝えていたのだと思います。かかずに、この薬をぬりましょうという宣伝です。

この“かいてはいけない”ということは、昔からなんとなく正しいのだろうと感じていました。

根拠はありませんが、かけばかくほどかゆくなるような気がしていたのです。しかしかゆみを我慢することは出来ず、かいてはいけないと思いながらも、かかずにいられなかったのです。

結局かいてしまうのですから、本当に“かけばかくほどかゆくなる”のか、それは勝手な思い込みに過ぎないのか、確認することは出来ません。

 

また、「蚊に刺された時には、かかないほうがいい」と、耳に入ってくる機会もあったと思います。

蚊に刺された部分をかくことで、皮膚を傷つけることがあるのでかいてはいけないという論旨だったような気がします。

それは実感することもありました。かゆみに我慢できずにかきむしってしまい、“傷”というほどではないものの、皮膚にとって良くないだろうと感じることは、何度となくあります。

 

そういえば、これも随分前のことですが、蚊に刺されたとき、“丸く腫れた部分に爪を押し付けて十字の痕をつけるといい”というおまじないがあると聞いたことがあります。

確かテレビで見たのだと思います。記憶違いや勘違いがあるかもしれませんが、多くの人が子供のころから、そのおまじないを知っていたという扱いだったような気がします。

その時、僕は大人になっていたのですが、それまでそんなおまじないは聞いたことがありませんでした。

『へえ、そんなおまじないがあるのか。爪をたてて傷みを感じることで、少しでもかゆみをごまかそうという意図なのかもしれないな。でも効き目があるとは思えないな』

 そう考えたものです。

 

 2~3年前、蚊に刺された時、かかずにかゆみに耐えてみました。

『かゆい。でもかかないぞ』そう意識したのです。すると数十分後には、かゆみがすっかりなくなりました。痕もなく、蚊に刺されたことなど、まるでなかったことのようでした。

『かいちゃダメっていうのは本当だったんだな』と思ったものです。

それ以来、蚊に刺されるたびに『数十分間だけでいい。耐えぬくんだ。そうすれば、かゆみはすっかりなくなる』と自分に言い聞かせて我慢しています。

 

ただはじめは、蚊に刺されたという自覚がなく、無意識にかくことが多いものです。同じところを何回かかいているうちに、『かゆい』と頭が理解し、その部分をみて、蚊に刺されたと気づくことが多いのです。

そういうときは、その時点からかくことを我慢するようにします。すると、やはり数十分の辛抱で、かゆみがなくなるのです。

ただこれはあくまでも僕が勝手に感じていることです。医学的根拠はありません。すべての人が同じように感じるのか、それもわかりません。

 

ところで少し前に、遺伝子を組み替えて、人間の血を吸わない蚊を作りだす研究が行われていると耳にしました。

蚊は、マラリアやテング熱などの病気を媒介すると聞きます。それが深刻な問題となっている国もあるようです。

人間の血を吸わないのなら、人間の体に病気を持ち込むこともなくなると思います。

 

そこでインターネットで検索し、4~5のサイトを見てみました。そのすべてが、遺伝子を組み替えることで、病気を媒介する蚊を絶滅させるという内容が書かれていました。

あくまでも僕が見たサイトに書かれたことですし、専門的なことやくわしいことはわかりませんが、遺伝子を組み替えて95%の確率でオスが生まれる蚊を作るようです。

それを一定数、野に放つことで、世代を重ねるうちに子孫が残せなくなり、絶滅すると考えられるそうです。

 実験では6世代で絶滅したとあります。

 

 しかし遺伝子を組み替えた生物を世に放つこと、また遺伝子を組み替えることによって種を滅ぼすこと、それを不安視する声や、問題視する意見や、反対論が数多くあるようです。

 今回は、インターネット検索結果の2ページ目までにあるサイトしか見ていません。人間の血を吸わない蚊について書いているサイトは、見つけられませんでした。

 

 そこで勝手に考えたのですが、蚊を絶滅させるのではなく、人間の血を吸わないようにする研究が行われているのかもしれません。

遺伝子を組み換えることで人間の血を吸わなければ、人間に病気を媒介することもないだろうということです。

その蚊を一定数、野に放つことで、何世代か後には人の血を吸わないものばかりになるのかもしれません。

 そのためには、繁殖に関する遺伝子も操作する必要があるかもしれません。

 蚊を絶滅させるよりは、生態系に関する影響が少ないと考えられているのかもしれません。

2014年8月1日金曜日

「KGBから来た男」 デイヴィッド・ダフィ著


 冷戦時代、いくつかのスパイ小説を読みました。

ただ“マニア”というほど、スパイ小説に凝っていたわけではありません。目につくスパイ小説のすべてを読破したというのではなく、“名作”と称される作品をいくつか読んだだけです。

僕が小説を読むようになったころ、すでに多くのスパイ小説が世に出ていました。

 

あのころは冷戦の真っ只中でした。振り返ってみると、時代そのものがスパイ小説に適していたと感じます。

スパイ小説に限らず、東西冷戦は様々な小説で描かれていると思います。それ自体を主題にしている作品もあれば、舞台や設定に取り入れている小説も多かったと思います。

 

 東西冷戦は、題材としても、背景や設定としても、小説に描かれやすかったのだと思います。スパイ小説は、その最たる分野の一つだと感じますが、“スパイ小説”というよりは“冒険小説”という雰囲気が強い作品にも、物語の背景には東西冷戦が描かれることが多かったと思います。

 ただ小説は明確に分類出来ない作品も多く、本来分類などするべきではないのかもしれません。

 

それにしても個人的な印象では、書店でスパイ小説だと思しき小説を目にすることは、やはり冷戦時代より少ないような気がします。 

それが先日、「KGBから来た男」という文庫本が目に留まりました。いかにもスパイ小説を思わせる題名です。

 

 今のロシアには「KGB」と呼ばれる組織はありませんので、冷戦時代に書かれたスパイ小説だろうと思いました。それが今書店にならんでいるとなると、再版されたということになります。

 冷戦が終わって随分時間が経っていますので、そのころのスパイ小説が再版されるとなると、なにか理由があるのだろうかと興味がわきました。

 そこで手に取ってみました。

 

 奥付をみると、2013年の発行でした。冷戦時代に書かれた作品ではなかったのです。

 そうなると、それはそれで関心を持ちます。今の時代に、「KGB」という言葉が題名についている小説が書かれたとなると、どんな内容なのだろうと思ったのです。

 解説を見るとアメリカで高い評価を受けた作品で、原題には「KGB」は使われていないようです。物語の内容に触れている部分は、よく読まなかったのですが、元KGBの男が現在のニューヨークで活躍する小説のようです。

 

 そこで本編をめくってみると、作品の雰囲気は“ハードボイルド探偵小説”を思い起こされました。僕は探偵小説も好きで、若いころよく読んでいました。

ハードボイルド探偵小説には、古典的な名作がいくつもあると思います。「KGBから来た男」は、過去の名作探偵小説の雰囲気を、現代のニューヨークに溶け込ませているという印象を受けました。

 とても興味深く、購入することにしました。 

 

 読んでみると、はじめに抱いた印象の通りの作品で、とても楽しめました。

 主人公の探偵はかつてKBGに所属していて、その後ニューヨークに移住し、調査業を営んでいます。ロシアで暮らしていたころの彼自身の過去や、ロシア諜報機関の謀略などが作品に取り入れられていて、それが探偵小説としての厚みを増していると感じます。

 読み終わった後、ひさしぶりに「マルタの鷹」を読みたくなりました。今、買ってある本を読み終えたら、読もう思っています。

 しかしその前に、別の小説が読みたくなるかもしれません。そういうことがよくあるのです。

 

「KGBから来た男」は、忘れている場面があるときは、戻って読み返すようにしていました。

『この人、誰だっけ?』とか『この茶封筒って、いつ受け取ったんだっけ?』などと思ったときは、ページをさかのぼってそれが描かれている文章を探し、『そういえばそうだった』と思い出してから読み進めました。

 そのような読み方をせず、読み進めることもあります。忘れていても、先を読むことで思い出すことも多いからです。

ただこの作品は、以前読んだページに戻って、確認してから読み進めたほうが楽しめるような気がしました。

また読みながら文章に意識が集中していないと気づいたときは、すぐにその行を読み返すようにしていました。

 

それと、少しずつでも毎日読むようにしました。そういう読み方をしないこともあります。時間が取れるときにまとめて読むときがあるのです。そうすると、何日か間が空くときもあります。

 この作品は、登場人物が多く、難しいというわけではないのですが、『込み入っている』と感じる部分もありますので、間をあけずに読んだ方が堪能できると感じました。

 

 それと、“翻訳もの”ということもありますが、近年発行された小説にしては1ページあたりの文字数が多いと感じます。

 前に読んだページに戻ったり、意識を集中するようにして読んだりしたため、毎日読んでいる割には、残りページの減り方が少なかったと感じます。

 本を読むことにおいて、それは楽しいことだと思います。

 この本はじっくり読んだ方が楽しめるような気がします。夏休みのように、時間があるときにはいい小説だという気がします。