2015年10月9日金曜日

模範解答のない課題

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2015年10月 9日「模範解答のない課題」


概要
今さら首相に『国民のみなさん、これが今の日本が抱えている課題ですよ』と示してもらわずとも、多くの国民はとっくにわかっていることだと思います。
『経済を良くしなければなりません。出生率を上げなければなりません。介護の負担を減らし社会保諸制度を確立しなければなりません』
『いやだから、そんなことはわかっていますよ。そのために政治はどんな手段を講じるのですか?』
『GDP600兆円を目指します。出生率1.8%を目指します。介護離職ゼロを目指します』
『いやだから、目指すのは結構ですけど、そのために何をやるのかを聞きたいんですよ。すごく高い目標ですけど、どうやって実現するつもりですか?』
『年内に第一弾の政策を策定します』
『は? その政策こそが“矢”でしょ。じゃあ、今のところ“矢”は一本もないってことじゃないですか』
 安倍首相が「新三本の矢」などと称して示した日本が直面している課題に、模範解答はないと思います。『これをやれば問題は解決する』そんな政策はないと思います。だから難しいのだと思います。政治家は解答を探すのではなく、自ら導き出さなければならないと思います。
他国の経済動向の影響を受けることもあると思いますし、国内に漂う漠とした雰囲気が影響を及ぼすことがあると思います。
またいずれの問題にも財源が必要だと思いますが、国民の負担が大きくなると反撥もあるでしょうし、経済にはマイナスに作用することが考えられます。
決め手になる政策はなく、なにをしてもどこかから反対の声があがると思います。それでも実施したものの、効果がないこともあると思います。空っぽのスローガンを掲げている場合ではないと思います。

2015年10月8日木曜日

顔ぶれにはそつがなく、政策には中身がない

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2015年10月 8日「顔ぶれにはそつがなく、政策には中身がない」


概要
『大臣の椅子は、政治家にとって魅力的なのだろう』
新内閣が発足するたびにそう感じます。大臣に任命された政治家からは、抑えようのない喜びが発せられていると感じます。
 政治家にとって『大臣になる』ことは、実利面でも心理面でも、大きな作用をするものだと思います。
『重要閣僚を留任させた』、『サプライズ人事がなかった』それから今回の内閣改造は“そつがない”という印象を受けます。
ただ『大臣の椅子をあたえるための内閣改造』という感があります。「一億総活躍社会」は、その理由づくりといった感があります。
それと、最近の安倍首相は、スローガンを印象付けることに傾注しているように感じられます。とにかくスローガンを掲げているように感じます。そのため中身がないように感じます。
 中身のないスローガンを担当する大臣は、『いったい何を担当するのだろう』という印象を受けます。
 安倍首相は「GDP600兆円、希望出生率1.8、介護離職ゼロ、この三つの大きな目標に向かって三本の矢を力強く放つための強固な体制を整えることが出来た」と話したそうです。
 この発言は、論理的にも表現の仕方からみても、少しおかしいと思います。以前の会見では、目標を定めたこと、それ自体を「三本の矢」という言い方をしていたと思います。
 今回の会見ではこの目標を実現させるための政策を「三本の矢」という言い方をしていると思います。
 ではその政策は何かというと、年内の出来るだけ早い時期に、『第一弾』を策定すると言います。つまり『矢』は、まだ示していないということだと思います。「新三本の矢」など存在していないということだと思います。
このところの安倍首相の会見は、『一国の首相のスピーチ』として見ると、まるで評価できない内容だと思います。

2015年10月6日火曜日

菜食主義と潔癖症

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2015年10月 6日「菜食主義と潔癖症」


概要
動物愛護心は一種の信仰だといえると思います。原則的に信仰は個人の自由だと思います。信仰とは人間の個人の内面にあることだと思うからです。ただ信仰を同じくする者が集団を成して活動することで、社会に影響を及ぼすこともあると思います。
 それは社会として見ると芳しいことではないと思います。
「ビーガン」とは、動物を食さないだけでなく、衣類など生活のすべてにおいて、動物をつかったものをなるべく利用しないという考え方をもち、それを実践している人達だと聞きます。
 そんなビーガンと潔癖症の心理的な違いは、信仰的な心理の有無、または濃薄だと思います。潔癖症は信仰に通じる心理は無い、または薄いため『やりすぎ』であることを自覚しやすく、実際に『病的だ。直したい』と思っている人も多いのだと思います。
 ビーガンは信仰心に通じる動物愛護心が強いこともあって、そのように考えることはなく、むしろ誇りを感じるのだと思います。
自分の信念に基づいている場合、菜食主義もビーガンも、他者がとやかくいうことはないと思います。ただビーガンも、肉や卵や乳製品を食べ、毛皮や羽毛を使っている他者に対して、とやかくいうべきではないと思います。
人間は、動物を食べなければ生きていけないわけではないのかもしれせん。しかし、人類が動物を食べてはならないという論理的な根拠はないと思います。
数万年前から、人類や人類の祖先は、食するため、身をまもるため、身に纏うため、作物を守るため、食料を守るため、様々な理由で動物の命を奪ってきたと思います。ただそれは罪ではないと思います。それがホモサピエンスという種の生態だと思うからです。
それに背くことは、自然の摂理に背くことだと思います。
一個人が信念に基づいて動物を食べないのは、その人の自由だと思います。しかし、全人類が一切動物を食べるべきではないという考え方は、明らかに間違っていると思います。

2015年10月5日月曜日

動物愛護・動物保護とういう信仰

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2015年10月 5日「動物愛護・動物保護という信仰」


概要
動物愛護心と動物保護意識は、脳の働きや心理の動きでみると、宗教の信仰と同じ、あるいはとても近いと思います。
動物愛護心や動物保護意識も、宗教に対する信仰心も、とても強い人もいれば、あまり強くない人もいると思います。漠然と動物を保護したほうがいいだろうと思っている人もいれば、なんとなく神様に手を合わせている人もいると思います。
動物の愛護や保護活動も、宗教に関する活動も、積極的に取り組む人もいれば、取り立てて活動をしていない人もいると思います。
 動物の愛護や保護の啓蒙活動を熱心にする人もいれば、特になにもしていない人もいると思います。信仰する宗教を熱心に布教する人もいれば、信仰していても布教活動は熱心ではない人もいると思います。
そして動物の保護や、動物の福祉や、動物の権利を主張して、過激な活動や法律に反する行為におよぶ人もいると思います。
 宗教に関しても、過激な行動や、破壊活動や、違法行為に及ぶ人がいると思います。
しかし活動している人達は、たとえ社会的な道義や倫理や法律に背いていたとしても、『正しいことだ』とか、『意義のあることだ』と信じており、当人たちにとっては論理的に整合しているものだと思います。
また人間は『強く信じこと』によって、さらに強く信じる心理的があると思います。
また『他者に信じさせようとすること』によって、自身もさらに強く信じる心理があると思います。
また『信仰を否定されること』によって、さらに信仰を強める心理があると思います。
 それに人間は、持論を強く主張するほど、さらにその主張を強めるという心理もあると思います。
 それに持論に反撥されたり反論されたりするほど、持論に固執するという心理もあると思います。これらの心理は、多くの場合関連しあっていると思います。
 動物愛護心や動物保護意識や自然保護意識にも、宗教の信仰心も、この心理が働くことが多いと思います。

2015年10月4日日曜日

感覚が麻痺しているなかで

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2015年10月 4日「感覚が麻痺しているなかで」


概要
『銃規制される』そのこと自体に対して拒否感を覚える人が少なくないと思います。
 人間は一度、手にした武器を手放すと無防備になったように感じ、とても不安な心理が湧くものだと思います。
実際に銃を所持していなくても、『銃規制』それ自体が『自分を守るためのものが減らされた』という心理を呼び起こすものだと思います。
また、なんであれ権利を失うことは拒否したくなる心理が起こるものだと思います。『銃を持つ権利』も権利の一つであり、それを奪われることには抵抗感があるのだと思います。
しかし現にアメリカでは、銃乱射事件が度々起きているのですから、その現状に対して何かしら手を打たなければならないと思います。
銃規制を待っていたのでは、いつになるかわからないと思います。その前に出来ることをしなければならないと思います。
銃を用いた犯罪の罰則強化は、その一つだと思います。
また現行の法律が厳格に守られるように、監視体制を強化することも挙げられると思います
各州で、銃の販売店が身元確認義務を確実に行っているか、抜き打ちで取り締まりをすることや、銃の個人売買における不法や違法の取り締まりを強化し、違反者に対する罰則を重くすることなどをしてもいいと思います。
 とにかく今出来る取り組みで、銃犯罪を減らそうとしなければならないと思います。
何の罪もない無関係な人間が理不尽に人生を奪われる、そんなことは減らさなければならないと思います。
もしアメリカという国でなかったら、小学校で銃が乱射され、何人もの子供の命が奪われたら、即座に銃を規制する声が盛り上がり、銃の所持が全面禁止されていたかもしれません。あの時、銃規制が何も変わらなかったとなると、確かにアメリカ国民は感覚が麻痺しているのだと思います。

2015年10月3日土曜日

ロシアの外交

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2015年10月 3日「ロシアの感情と外交」

概要

 ウクライナにしろ、シリアにしろ、北方領土にしろ、ロシアの外交が強硬的になっていると感じます。
シリアに関するロシアの今の戦略は、反体制派とイスラム国の両方を空爆によって打撃を与え、軍事支援をしたアサド政権の地上部隊によって内戦を制することを狙っているのだと感じます。思惑通りに内戦が終結し、アサド大統領が権力を掌握すればたロシアの存在感は強くなると思います。それは中東による影響力を得ることに繋がると思われます。
しかし空爆と武器の供与では、内戦終結までの道のりはまだまだ遠いような気がします。
またロシア空爆の大儀名分の一つとして、イスラム国に参加したロシア人が、帰国して国内でテロを行う可能性を指摘していると思います。その前にイスラム国を叩くということです。ただそれは逆効果になりかねないと思います。むしろロシアがテロリストの標的となる可能性の方が高いような気がします。
このところロシアの強硬姿勢が強まったのは、ウクライナ問題によるところが大きいと思います。ウクライナ情勢は、欧米対ロシアの対立構造を強めた感があります。人間は対立することで対立心を強めるもので、対立心が強まると強硬的な志向が強まるものだと思います。
 ウクライナ問題が起こる前、日露関係は良好な雰囲気だったと思います。強硬志向が強いプーチン大統領が[ひきわけ]を提案するのは異例だと感じます。
しかし日本が欧米に同調して経済制裁をしたことで、ロシアの対日政策は一気に強硬的になった感があります。
ロシア外交が強硬的になっているのは、ウクライナ問題による経済制裁が効いている証しだと感じます。そうなるとロシアの強硬姿勢は、ますます強まっていくと思われます。ロシアがウクライナから手を引くことはないと思われるからです。それは経済制裁が解除されることがないということになるからです

2015年10月2日金曜日

その時ではない

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2015年10月 2日「その時ではない」


概要
現時点でロシアがシリア内戦に軍事的介入を強めるのは、ロシアにとって有益ではないと思います。ロシアがアサド政権を軍事的に支援したとしても、内戦を終結させるのは簡単ではないと思います。
今はまだ、内戦が終結する状況を想定出来ないほど混沌としていると思います。
『アサド政権がイスラム国に絶大な打撃を与えて弱体化させ、シリア国内から撤退させた。さらに反体制勢力を殲滅させることで内戦が終結し、アサドによる独裁政権に戻った』
『反体制勢力の一つが軍事力と政治力を身に着け、イスラム国をシリアから追い出し、アサド政権を倒して新しい政府を樹立した』
『イスラム国がアサド政権と反体制派を殲滅し、シリア全土を支配した』 
いずれも、実現するだろうかと考えると、相当に難しいと感じます。少なくても、まだかなりの時間を要すると思います。
それでもロシアが空爆をしたのは、難民問題によって欧州に『アサド政権存続もやむなし』の雰囲気が強まったことが一つの要因だと思います。
 また、アサド大統領の危機感があると思います。アサド政権は内戦によってすでに十分疲弊していると思います。しかし、このままでは内戦終結がいつになるかわからず、また内戦が終わったとしても、アサド大統領の力も、シリアの国力も、相当に衰えてしまうと思われます。非常に多くの国民が、難民となって国外にでていることも、国力低下要因だと思います。
それにしてもロシアの空爆では状況は大きく変わらず、かといって地上軍を派遣したら、泥沼は底なし沼になると思います。
クリミア半島でも、ロシアはどっしりと構えている方が得策だったと思います。しかし短絡的に強硬的な手段を講じ、それがウクライナの状況を難しくし、状況が難しくなることで結局ロシアは損をしているように見えます。