2015年10月6日火曜日

菜食主義と潔癖症

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2015年10月 6日「菜食主義と潔癖症」


概要
動物愛護心は一種の信仰だといえると思います。原則的に信仰は個人の自由だと思います。信仰とは人間の個人の内面にあることだと思うからです。ただ信仰を同じくする者が集団を成して活動することで、社会に影響を及ぼすこともあると思います。
 それは社会として見ると芳しいことではないと思います。
「ビーガン」とは、動物を食さないだけでなく、衣類など生活のすべてにおいて、動物をつかったものをなるべく利用しないという考え方をもち、それを実践している人達だと聞きます。
 そんなビーガンと潔癖症の心理的な違いは、信仰的な心理の有無、または濃薄だと思います。潔癖症は信仰に通じる心理は無い、または薄いため『やりすぎ』であることを自覚しやすく、実際に『病的だ。直したい』と思っている人も多いのだと思います。
 ビーガンは信仰心に通じる動物愛護心が強いこともあって、そのように考えることはなく、むしろ誇りを感じるのだと思います。
自分の信念に基づいている場合、菜食主義もビーガンも、他者がとやかくいうことはないと思います。ただビーガンも、肉や卵や乳製品を食べ、毛皮や羽毛を使っている他者に対して、とやかくいうべきではないと思います。
人間は、動物を食べなければ生きていけないわけではないのかもしれせん。しかし、人類が動物を食べてはならないという論理的な根拠はないと思います。
数万年前から、人類や人類の祖先は、食するため、身をまもるため、身に纏うため、作物を守るため、食料を守るため、様々な理由で動物の命を奪ってきたと思います。ただそれは罪ではないと思います。それがホモサピエンスという種の生態だと思うからです。
それに背くことは、自然の摂理に背くことだと思います。
一個人が信念に基づいて動物を食べないのは、その人の自由だと思います。しかし、全人類が一切動物を食べるべきではないという考え方は、明らかに間違っていると思います。