2015年5月8日金曜日

多党制に適した議会に改革する必要がある

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2015年5月 8日「多党制に適した議会に改革する必要がある」


概要
二大政党制は、これからの時代の民主主義に適さないと思います。しかし今の議会は多党制に適さないと思います。今の議会の仕組みのまま多党化すると、国会の政治機能が低くなると思います。
多党制に適した国会にするには、大胆で根本的な議会改革が必要だと思います。しかし、ほぼすべての政治家は固定観念と既成概念にとらわれていると感じます。
これからの社会は価値の多様化が強まると共に、対立が激化し先鋭化する傾向が強まると思います。二大政党制は多様化する社会に対応できず、対立の激化と先鋭化を助長すると思います。それは国に悪影響を与えると思います。
そこで政党を選挙互助会ではなく、明確な政策集団とするべきだと感じます。政策を明確に示し、原則的に党議拘束をかける、そうすると議会は多党化しやすいと思います。
多党制では、一つの政党が過半数を占めることは少ないと思います。連立を組む段階から、政治闘争が起きてしまうことがあると思います。また与党には、必ず権益が発生すると思います。
そこで『与党・野党』の概念をなくして、議席数に応じた『衆院(参院)第一党、第二党、第三党』という認識を持ち込み、会派を廃止して『明確な政策集団である政党と、無所属議員による連合体』という院内集団をつくってはどうかと思います。
たとえば『衆院第一党と第三党に、数名の無所属議員が加わった連合体』とか、『参院第二党と第三党と第四党に何人かの無所属議員が加わった連合体』などです。
その連合体は、基本的政策について一致している政党や無所属議員によって作られ、個々の政策については政党ごとに対応し、場合によっては連合体の枠を超えた連携があってもいいと思います。

2015年5月7日木曜日

道具を作りだし、それを使うことで

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2015年5月 7日「道具を作りだし、それを使うことで」

概要
石斧や石槍の柄は、投げやすくすることを目的としてつけられたのではないかと思っています。人類は二足歩行をするようになって走る速度が遅くなり、獲物に追いつけなかったため、人類が狩猟を初めたかなり早い段階から、投げる武器を使っていたと思うのです。
道具を使うこと、道具を作りだすこと、それは人類の脳が発達した大きな要因だといわれています。石器など狩猟道具を作るとき、脳は論理的な思考をしていたと思います。石を叩いて鋭利にしていくとき、どのような角度で、どれくらいの力で打撃を与えれば、どのような割れ方をするか考え、木の柄を付ける際には外れないようにするにはどうやってしばりつければいいか論理的に思考していたと思います。
ただそれだけでなく想像力も働かせていたと思います。石を叩いた際の割れかたや、石器を使って獲物をしとめる様子を思い描きながら、それに適したものを作ろうとしていたと思います。
それに、どのような形の石器が有効に獲物をしとめることが出来たか、思い出すことが不可欠だったと思います。つまり記憶する力と、記憶を引き出す力が必要だったと思います。
そして、さらにいい道具を生みだそうと考えを巡らせたと思いますし、さらに有効な道具の使い方を考えだそうとしたと思います。
それにも、想像力や論理的な思考や記憶力を働かせていたと思います。それが脳を発達させたのだと思います。

そうなると、その道具の様態や、使い方が変わることは、脳の変わり方に影響があると思います。石器を使ったり作ったりしていたころの人類と、スマートフォンやパソコンを使っている現代人とは、脳に違いがあるだけでなく、“脳の変わり方”にも違いがあると思います。

2015年5月5日火曜日

少子化は生物として不自然な現象ではない

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2015年5月 5日「少子化は生物として不自然な現象ではない」


概要
地球に生命が生まれたのは30億年以上前だといわれています。非常に多くの生物が地球上に生まれ、そして非常に多くの生物が絶滅してきたと思います。
『生物の絶滅』というと人間による乱獲が思い浮かびます。確かに人類は何種もの生物を滅ぼし、また滅ぼそうとしているといえるかもしれません。ただ人類が地球上に生まれる遙か以前から、非常に多くの生物が絶滅してきたことも確かだと思います。
 地球で生まれたすべての生物から見れば、人間が関与せずに滅びた生物のほうが遙かに多いと思います。
 また人類の祖先も絶滅した種があると聞きます。現生人類に近い種ではネアンでルタール人が挙げられます。現生人類がネアンデルタール人を滅ぼしたという説があります。それが少し前、現生人類とネアンデルタール人は、混血が盛んだったという研究結果があると聞きます。
 そうなると混血が多くなることでネアンデルタール人の純血が減ったとか、混血を繰り返すことでネアンデルタール人の遺伝子が減っていき、現生人類の遺伝子が残っていったなどということがあったのかもしれません。
 生物が絶滅した理由は、環境の変化や、他の種の生物との競争、ウィルスや病気の蔓延など、様々な理由が考えられると思います。
絶滅した生物のなかには、子孫を残し続けたいという欲求が薄らいで、長い時間をかけて個体数が減り、絶滅した種があるかもしれません。それも自然の摂理だと思います。
ただ人類は今までに地球上に生まれた生物のなかで、突出した知能をもっていると思います。絶滅する前に、対処する知恵があると思います。

2015年5月4日月曜日

既成概念を押し付けているだけ

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2015年5月 4日「既成概念を押し付けているだけ」

概要
個人的に少子高齢化は、『“結婚し家庭を持つ”という既成概念に対する抵抗感が、顕在化した』という印象があります。
『家庭を持つより単身のほうがいい』、かねてから、そう感じていた人はいたと思います。しかし俗にいう“村社会”という雰囲気が強い日本では、既成概念には反撥しにくいと思います。日本人は、他人と同じことすることが正しいのだと思いこむ傾向が強く、他者と違うことをするべきではないという観念が強いと感じます。
また全員と同じことをしない者を、批判したり、蔑視したりし、集団や共同体の中で疎外することもあると思います。    
本心から結婚したかったわけでもなく、心から家庭を持ちたかったわけでないものの、そうしないわけにはいかなかった、そういう人もいたと思います。しかし社会がそれを許さなかったのだと感じます。
 しかしやがて価値観が多様化し、結婚しなければならないという既成概念の縛りが緩んだといえるかもしれません。その縛りから抜け出したかった人たちが多かったから、緩んだのだと思います。
少子化の原因として、同性愛はそれほど大きな要素ではないと思います。
 そうなると同性のパートナーの権利を認めたところで、少子化が加速する可能性は低いと思います。
 また、同性愛は自然の摂理に反するという理由で、同性愛そのものを批判する人もいるようです。しかし人間も、自然から生まれた自然の生き物だと思います。そんな自然の生物である人間の中に、同性を愛する個体が一定数いるのであれば、それも自然の摂理だと思います。
また、同性婚を認めると、家族制度が崩壊するために反対だという意見もあるようです。しかし人々のために制度があるのであって、制度を守るために特定に人たちに不自由を強いるべきではないと思います。
社会に一定数の同性愛者がいるのなら、それに対応した制度を作るべきだと思います。そうしたとしても、同性愛者が少数派なら、既成の制度が崩壊することもないと思います。


2015年5月3日日曜日

本当は過去ばかり見ている者たち

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2015年5月 2日「本当は過去ばかり見ている者たち

概要
法は常に変わり続けるものであり、憲法も永遠に変えてはならないということはないと思います。ただやはり憲法はとても重要な法ですので、それを変えるならば、変える理由が重要だと思います。
現在、憲法改正を進めている政治家のほとんどが、『押し付けらえた憲法だから変えるべきだ』という考えだと感じます。
『今の社会に合っていない』という言葉も発せられますが、もっともらしい理由を付け足していると感じます。
また『押し付けられ』という思いが、無自覚に『今の時代に合わない』という思考を引き出している政治家もいると感じます。
 民主的国家体制も『押し付けられた』という見方があると思います。しかし民主的体制を変えるべきだという意見は耳にしません。口に出さないだけかもしれません。
『憲法を変えることで、占領体制から踏み出すことができる。戦後トラウマから脱却できる』
過去ばかりを見ているために時代から取り残されている者の認識だと感じます。戦後70年が過ぎ、占領下を実体験した人たちは少なくなっていると思います。戦後トラウマを抱えている国民はそう多くはないと思います。
 ただ占領体制下を知る人たちから、戦後トラウマを植え付けられている政治家が多いと感じます。
そしてその政治家が、次の世代の政治家に同じ戦後トラウマを植え付けていると感じます。だから今、憲法改正を訴えている若手政治家も、過去ばかりみていると感じます。そして「憲法をかえる」それ自体に情念を燃やしていると感じます。
だから変えなくてもいいことを変えて、とりあえず「憲法を変えた」という事実を作ろうという姑息なことしていると感じます。

現在の政治家の下では、憲法を変えるべきではないと思います。過去ばかり見ていながら、未来を後付けの理由にしていると感じるからです。ちゃんと未来に目を向けている政治家が現れ、彼らが力をつけてから憲法改正をするべきだと思います。

2015年5月2日土曜日

炎上、デモ、暴動

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2015年5月 2日「炎上、デモ、暴動」


概要
扇動工作は危険だと思います。民衆と炊きつけることは、それほど難しくないと思います。ただ炊きつけて燃え上ってしまうと、それを思いのままに操作したり制御したりするのは、相当に難しいと思います。燃え上がり方が激しいほど、炊きつけた者にも手におえなくなる可能性が高いと思います。
扇動は、古今東西、今も昔も、あらゆる形で、あらゆる人が行っていると思います。インターネットの“炎上”は、自然発生することも多いと思いますが、書き込みやコメントで煽られていることもあるのだろうと思います。つまり『炎上させよう』という意図を持った書き込みや投稿があると思うのです。それは、扇動の一つだと思います。
昨今では、インターネットを使ってデモを呼びかけることが、当たり前になっている感があります。インターネットは一瞬で、非常に多くの人に対して、声を発信することができると思います。
デモは参加する人数が多いほど、“デモの力”が強くなると思います。“民衆の力”といえるかもしれません。数年前、中東で政変が相次ぎましたが、それは“デモの力”によるものだと思います。
人は大勢と群れることで、様々な心理面での変化があるものだと思います。主張や訴えが強くなり、感情を高ぶらせることも、群れることからくる心理的な影響の表れといえるかもしれません。ただ感情が高ぶると、暴力的行為に繋がることがあると思います。
 そしてデモは暴動へと変わることがあると思います。暴動になると、デモとは無関係な略奪が横行することが多いと思います。
端から暴動化させることを狙って、デモに加わる人もいるように見られます。略奪行為をするためだったり、闇雲に破壊を求めたり、などのためです。

2015年5月1日金曜日

対立と差別における差異

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2015年5月 1日「対立と差別における差異」

概要
人間社会には、民族、宗教や宗派、人種などによる差別や対立があります。
“民族”の定義は明確ではないと聞きます。生まれた場所や信仰や宗教や生活習慣などの違いによって、民族が決められることもあると思います。ただ必ずしも民族によってそのような違いがあるわけではなく、むしろ“民族”という括りが出来た後で、風習やしきたりができたと思えることもあるようです。
そのようなことからして、“自民族”と“他民族”を区別するために、“民族”の概念が作られこともあるような気がします。その場合、民族による違いは、見た目ではわからないと思います。
対して宗教や宗派の違いは、わかりやすいことが多いと感じます。宗教の戒律に従った装いをしている場合など、外見でわかることもあると思います。また、食べ物や定められた時間に祈りを行うなどで、信仰する宗教がわかることがあると思います。
 ただそのように戒律が厳格ではない宗教を信仰している場合、見た目では分からないこともあると思います。
 人種の違いは、外見でわかることが多いと思います。個人にもよるでしょうが、肌の色や体格、顔立ちなど、見た目で人種を見分けることが多いと思います。人種の違いは視覚で捉えられることが多いと思います。
 人種は明確な違いがあるといえるかもしれません。
しかしその程度の違いでかないという見方もあると思います。
肌の色や体格、顔立ち、の違いを『大きな差異だ』と感じる人はいると思います。
『その程度のことは、人間にとって大した違いでない』そう考える人もいると思います。
 アメリカにおける人種差別は、随分と長いこと問題視されてきたと思います。そのため長い年月をかけて、改善されたり改革されたりしたことも多々あると思います。
 しかしそれでも問題が発生するのは、根の深さの表れといえるような気がします。
 また対立は、対立することで深まるものだと思います。

 争いは、争うことで激しくなるものだと思います。