2015年5月1日金曜日

対立と差別における差異

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2015年5月 1日「対立と差別における差異」

概要
人間社会には、民族、宗教や宗派、人種などによる差別や対立があります。
“民族”の定義は明確ではないと聞きます。生まれた場所や信仰や宗教や生活習慣などの違いによって、民族が決められることもあると思います。ただ必ずしも民族によってそのような違いがあるわけではなく、むしろ“民族”という括りが出来た後で、風習やしきたりができたと思えることもあるようです。
そのようなことからして、“自民族”と“他民族”を区別するために、“民族”の概念が作られこともあるような気がします。その場合、民族による違いは、見た目ではわからないと思います。
対して宗教や宗派の違いは、わかりやすいことが多いと感じます。宗教の戒律に従った装いをしている場合など、外見でわかることもあると思います。また、食べ物や定められた時間に祈りを行うなどで、信仰する宗教がわかることがあると思います。
 ただそのように戒律が厳格ではない宗教を信仰している場合、見た目では分からないこともあると思います。
 人種の違いは、外見でわかることが多いと思います。個人にもよるでしょうが、肌の色や体格、顔立ちなど、見た目で人種を見分けることが多いと思います。人種の違いは視覚で捉えられることが多いと思います。
 人種は明確な違いがあるといえるかもしれません。
しかしその程度の違いでかないという見方もあると思います。
肌の色や体格、顔立ち、の違いを『大きな差異だ』と感じる人はいると思います。
『その程度のことは、人間にとって大した違いでない』そう考える人もいると思います。
 アメリカにおける人種差別は、随分と長いこと問題視されてきたと思います。そのため長い年月をかけて、改善されたり改革されたりしたことも多々あると思います。
 しかしそれでも問題が発生するのは、根の深さの表れといえるような気がします。
 また対立は、対立することで深まるものだと思います。

 争いは、争うことで激しくなるものだと思います。