2015年10月19日月曜日

残酷の基準

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2015年10月 19日「残酷の基準」

概要

 人類は、かつて狩猟によって多くの食料を得ていたと思います。狩猟が成功し『獲物を得ること』は『食べられる』ということに直接つながり、『食べられる』ということは『生きられる』ということに直結すると思います。 
そのため人類は、『獲られたこと』に対して、本能的に喜びを感じるものだと思います。『獲られた』が『仕留めることが出来た』という喜びになり、『食べられる』という喜びを除外した趣味が、スポーツハンティングといえるような気がします。
また毛皮や羽毛は保温性が高いという実用面における利点があると思います。しかし現代における毛皮は、実用性があるものの装飾的な要素が大きくなっていると思います。
 ただ、飾り立てることで心地よさを感じたり、動物を仕留めることに快感を得たりすることも、ホモサピエンスの生態の一つだといえるような気がします。
そう考えると、動物から毛皮をとることも、スポーツハンティングも、『悪しきこと』だと決めつけるべきではないように思います。
ただ人間が何の規制も受けずに、趣味でハンティングをしたり、象牙を獲るために象を殺したりしたら、種を絶滅させかねないと思います。そこでルールを定め、それに基づいて取り締まり、違反者を罰する必要があると思います。
またむやみに動物に苦痛を与えることは、人間の倫理観や道徳心に反すると思います。動物も苦痛を感じるといいます。それは動物が生きぬくためにも必要だと思います。動物を虐待したり、虐殺したりすることは、人間の倫理観や道徳心に照らして残酷だと感じることがあると思います。
 人間が残酷だと感じるために、人間がルールをつくり、人間がそれに基づいて取り締まり、人間が裁き、人間が罰するのだと思います。
 残酷だと感じるのは人間であるため、その基準を決めているのも人間だと思います。