2013年11月16日土曜日

信じて待つことが出来るからこそ



『日本人は何事も正しい答えがあるものだという観念が強い』

『何事も誰かが模範解答を知っているものだと思い込んでいる傾向がある』

『困ったとき、結局最後は模範解答を教えてもらえるものだという観念が強い』

『だから困ったときほど、自ら答えを導こうとするよりも、正しい答えを知っている人を探そうとする傾向がある』

『そして、いざというときは公的立場の人間が率いてくれるものだという観念が強い』

『だからいざというときほど、自ら道をみつけようとするよりも、率いてくれる公的立場の人間を頼ろうとする傾向がある』

 

 ここでは、そのようなことを何度となく書いているような気がします。

僕は外国のことはわかりませんし、日本で生まれ育った人は一億人もいるのですから、その全員がおなじだと決め付けることは出来ないと思っています。

ただ世界中どの国にも国民性はあると思います。全国民を一括りにするのではなく、国によって、国民の心理的な傾向があると思うのです。

 

そうはいうものの、人間の心理は型どおりに分類できるものではないようにも思います。詳細に分類するなら、人の数と同じになるかもしれません。

一つの分類に属するのは、一人だけということです。

それに人間の脳や心理には、まだ解明されていないことも多いと聞きます。

 

そのため、あくまでも個人的に感じているのですが、日本では冒頭に書いたような国民性があるような気がします。

そしてそれは、自覚がない場合も多いような気がします。

また人間の心理は複雑なもので、どのような状況においても、常に同じように感じたり考えたりするとは限らないと思います。

 

それにしても、上のような書き方をすると、あまりよくない心理傾向のように感じられると思います。

実際ここでは、そのような意味合いで取り上げることが多いような気がします。

しかし、決して悪いばかりというわけでないと思います。

よくないような書き方をすることが多いのですが、このような国民性が良い事に繋がることも少なからずあると思っているのです。

 

日本で大きな災害があるたびに、「治安がいい」という声を聞きます。

災害で商店の建物が損害を受け、また水や食料などの物資が届かないなかでも、略奪や暴行が横行することはなく、また被災者同士の奪い合いも起きないといわれます。

現実としては、それらがまったくないわけではないと聞きます。

被災していない人が、被災した倉庫や商店で火事場泥棒していると耳にしたこともあります。

 

ただ他の国に比べると、災害時における治安の悪化は相当に小さいのだろうと思います。

そして、多くの日本人をそれを誇らしく感じているような気がします。

やはり世界から『大災害があっても治安がいい』と讃えられると、誇らしく、また喜ばしいものだと思います。

その”誇り”が、治安の乱れを抑える働きをしていると感じられます。

人は褒められると気持ちがいいもので、また褒められたいと感じるものだと思います。

 

そして、公的立場の人が導いてくれるという観念は、それを信用している表われだといえるような気がします。

巨大災害に被災しながら、救助と救援物資を待ち、物資が届くと奪い合うことなく一列に並んでいるのは、公的支援が来ることを信じているからと感じることがあるのです。

 

近年新潟県では、中越地震、中越沖地震と大きな地震に見舞われています。中越沖地震では、地震発生当日の夕方には給水車が被災地についていたと聞きます。

ここでも書いたと思いますが、発生した時間が昼間だったというだけでなく、災害に対する体制が整えられていると感じたものです。

それと、地震発生当日から給水車が来ているというそれ自体が、被災した人にとって多少なりとも安心感を与えたのではないかと思います。

 

巨大な災害の被害にあったときは、物理的な困難だけでなく、心理的に大きく動揺し、悲しみや不安などの気持ちを抱えるのではないかと思います。

すぐに支援が来たということそれ自体が、そんな心理を少しでも和らげるような気がします。

それは治安の乱さないことに繋がっているような気がします。
公的支援がくるものだという観念は、それを信じているといえるような気がします。信じているから待とうとするのだと思いますし、信じて待てるから奪ったり暴れたりする者が少ないのではないかと思います。