2013年11月24日日曜日

大金を出すからには



 会社は懸命に儲けようとするものだと思います。儲けを増やすために会社は存在しているといえるかもしれません。

資本主義経済において、企業の存在意義は利潤の追求にあると、社会の授業で習ったような気がします。
『儲かる』ということは、『お金がたくさん入ってくることだ』といえるような気がします。
会社がやることは、すべからくお金が入ってくるためだといえるかもしれません。
でもだからといって、会社がお金を出さないわけではないと思います。会社が商売をしている場合、売り物を仕入れるために代金を払います。
何かを作っている会社は、材料や機械を買うためにお金を払います。
それに働く人に給料を払います。

そのように会社はお金を払うのですが、それは儲けを得るためだと思います。
つまり、そのお金を払うことで、より多くのお金が入ってくることを狙っているのだと思います。
ただ、必ずしもその思惑通りにいかないこともあると思います。儲かるだろうと思ってお金を使ったのに損をしたこともあると思います。
よりたくさんのお金が入ってくるはずだと考えてお金を使ったのに、少しのお金しか入ってこないこともあると思います。

それにしても会社がお金を出す理由は、より多くのお金が入ってくることを求めているものだと思います。
寄付や慈善活動など、儲けと直接かかわらないことでもお金を出すこともあると思いますが、多くの場合、それが企業の印象をよくして儲けに繋がるという考えがあるような気がします。

会社ではなく個人では、無償の善意で寄付することもあると思います。また、色々なものを買って、それを食べたり使ったりすると思います。
そのお金は、より多くのお金が入ってくるために出すわけではないと思います。

そのような慈善活動や消費活動とは別の事柄でお金を出す場合、より多くのお金が入ってくることを狙っていることもあると思います。
また組織と個人が曖昧にされている場合もあるような気がします。
そして、出すお金が大きいほど、より多くのお金が入ってくるという算段があるものだと感じられます。

少しのお金なら払うだけでなにも見返りがなくても、あまり困らないと思いますし、あまり惜しいとは感じないような気がします。
それが大きなお金となると、払うだけで何も見返りがないのでは、多くの人は大金を出さないと思います。
大きな善意を持っている人でも、全財産を寄付する人は相当に稀だと思います。さらに借金をして他者を助ける人は本当に少ないと思います。

大きなお金を払うときほど、それよりも大きなお金が入ってくることを求めているものだと思います。
より大きなお金が入ってくるはずだと踏んだからこそ、非常に多くのお金を出すのではないかと思います。

選挙に立候補することは、会社の活動とは違うものだと思います。
つまり、儲けを追求することに繋がる活動でなないということです。
しかし随分昔からずっと、「選挙は金がかかる」という言葉を耳にします。
今の選挙制度に変えたとき、『金がかからないようにする』ことも理由の一つとしてあげられていたような気がします。

実際、かつての選挙制度に比べて今の制度は金がかかっていないのかわかりません。
ただ、『選挙は金がかかるものだ』それは当たり前のことだという観念は、今も昔も多くの人にあるような気がします。
現実が、そうとしか見られないからかもしれません。
”高い志と見識と知性と理性をもち、道徳心や公共心が強く、慈悲深く、温厚でありながら冷静である人物でも、金を集めることが出来なければ政治家にはなれない”
多くの国民はそれが当たり前のことだと受け止めていると感じます。
金を集めるということは、金を出す者がいるということだと思います。
多くの金を出すときほど、それ以上の金が入っているという腹積もりがあることが多いと思います。

政治家になるために莫大な金が使われたなら、政治家になれば、より多くの金が入ってくるのだろうと考えるのが、当たり前の見方だと思います。
政治家にさせるために莫大な金を出したのなら、その人物が政治家になれば、より多くの金が入ってくるのだろうと考えるのは、当たり前の見方だと思います。