2013年11月30日土曜日

ヒーローたちが与えるために


 自分の星座の黄金聖闘士が、活躍してくれるとちょっとうれしいと感じます。

黄金聖闘士は本来、全員が正義の味方のはずなので、かっこよく描かれている人物が何人かいるのですが、やはり自分の星座の聖闘士に好感をもつものだと思います。

「聖闘士 星矢」が好きな人同士、自分の星座の黄金聖闘士について言い合いになることもあります。

 

ただ正義の味方ばかりでは物語になりません。12の星座があり、黄金聖闘士も12人いるのですが、全員がかっこよく、全員が正義の味方で、全員が大活躍させたのでは、物語としては面白くなくないような気がします。黄金聖闘士にも、悪役やあまり活躍しない人物がいます。

まして「聖闘士 星矢」の主役は青銅聖闘士です。つまり、黄金聖闘士はあくまでも脇役でした。

悪役や脇役があってこそ、物語は面白くなり、面白い物語が多くの人を引き付けるものだと思います。

 

それでも、自分の星座の聖闘士が悪い奴では、すこしがっかりするものです。

”あまり活躍しないより、いっそのこと悪者としてもっと目立ってくれたほうがいいのに”と思う人もいるかもしれません。

また子供にとっては、”存在感がある悪役”より、”影が薄くてもいいもん”のほうが好ましく感じるかもしれません。

 

それにしても、黄金聖闘士の言い合いでは、悪役や目立たない役どころの星座は、常に劣勢になりやすいと思います。

それはそれで楽しいものだと思います。

それはそれで楽しむべきものだと思います。

 

マンガやアニメ、ドラマ、映画、小説など、自分と同じ名前の登場人物がいると、誰でも気になるものだと思います。

その登場人物が、いい印象を与える役どころなら、ちょっと嬉しいものですし、悪役だった場合、なんとなく嫌な気分になるものです。

 

近年、物語の作り手にもそれが意識されていると感じることがあります。登場人物の名前は、人名としてはめずらしいものが増えているような気がします。

その傾向は強まっているような印象があります。

もしかしたら物語の作り手が、実在の人物の名前にならないように気を使っているのかもしれません。

 

「この物語はフィクションです。登場人物の実在する人物、団体とは一切関わりがありません」

そう書かれていても、『でもやっぱり自分と同じ姓の登場人物が、無差別殺人事件の犯人なのは、嫌だな』と感じることもあると思います。

そう感じた人の中に『ネットでこの作品を叩いてやれ』と考える人がいるかもしれません。

 

そのようなことがおこらないように、人名には使われていない字をあてているのだろうかと、思うことがあります。ただ、様々な物語の作り手がそうすることで、せっかくめずらしい名前にしたのに、他の物語でもその名前が使われていることもあるように見られます。

そうなると、その両方の物語を見たり読んだりした人から、『盗作だ。名前を真似している』といわれることがあるのかもしれません。

そういう人のなかには、『ネットでこの作者を叩いてやれ』と考える人がいるかもしれません。

 

これほど情報が溢れている現代社会では、既存のものと一切重ならない物語を創作することはとても難しいと思います。

それは物語だけでなく、音楽や随筆、評論などでもいえることだと思います。

偶然、似てしまうことも言い訳ではなく、あり得ることだと思います。また意識しないまま、似てしまうこともあると思います。また真似るというのではなく、過去の作品の基本的な設定を取り入れることもあると思います。それは、映画などでよく見られることだと思います。

 

子供は、好きなヒーローで言い合いをすることがあると思います。それがいじめにつながっていくこともあると思います。いじめが始まるきっかけは様々だと思います。

何がきっかけでいじめがはじまるかわかりません。

それは、何でもいじめのきっかけになりうるということだと思います。

世の中にある全ての物事がいじめのきっかけになり得ると思います。

そうなると、やはりいじめをしない心を養うことが大切だと思います。

 

いじめのきっかけにならないように、全員がヒーローの物語をつくっても、それは人の心に沁みないような気がします。

気持ちを動かされる物語は情操を育てるような気がします。

胸踊り、ときに怒りを覚えたり、悲しい気持ちになったりする物語は、心を動かされると思います。

そんな物語には、悪役も脇役もいるものだと思います。
物語に触れて心を動かされることが、子供には大切なような気がします。