2013年11月19日火曜日

どの程度本気なの


”もしあの場所に原発がなかったら?”

状況は無限にあるような気がします。

人間は誰も過去に帰ることは出来ませんし、未来を知ることも出来ません。

それならば”もし”などと考えるのは無意味かも知れません

しかし人間はとかく”もし”と考えるものです。それは繰言でしかない場合もあるような気がします。

ただ”もし”と過去を振り返ることでその事を検証したり、問題点を認識したり、教訓を得たりすることもあると思います。

東日本大震災では多くの問題点が浮き彫りになり、重い教訓を残したと思います。

 

あの場所に原発がなにもなかったら、当然ですが原発事故はありません。

ではもしあの場所に、別の原発があったら事故は起きたのだろうか。

例えば福島第二原発があの場所にあったら、福島第一原発と同じような事態に陥ったのだろうか。それとも事故は起きなかったのだろうか。

 

また、もし原発事故がなかったら、巨大地震と大津波に対する対応はどうなっていただろう。その後の被災者の生活は、どのように変わっていただろう。

もし原発事故がもっと悪い状況になっていたら、被災地は、ひいてはこの国はどうなっていただろう。

おそらくあまりも多くの要因が関わっているので、一概にいえることではないと思います。

 

それにしても福島第一原発の事故から、『大きな自然災害が起きれば、原発は事故を起こす可能性がある』ということを、現実として見せ付けられたような気がします。

そしてその可能性をゼロにすることは出来ないことを、改めて考えさせられるような気がします。

事故が起きる前、『もし大災害が起きたら』という考えの”本気度”は低かったと感じられます。

 

記憶だけで書きますので、勘違いや理解不足があるかもしれませんが、今の政権のエネルギー政策は『ベストミックスを考える』というものだったような気がします。

ただ時々、『原発の依存度は下げる方向だ』というような言葉を耳にすることがあります。

それでも多くの人たちは、今の与党は原発推進しようとしていると受け止めているように感じます。

「原発の依存度を下げる」とか「ベストミックスを見出す」だのという言葉の”本気度”は、ゼロに近いと感じている人が多いような気がします。

 

では、元リーダーの発言の”本気度”はどれくらいだと受け止めているのだろう。

『何かしら政治的な思惑があるのだろう』そういう見方が圧倒的に多いような印象があります。

元政治家とはいえ、現役時代はもちろんですが、いまでも政治の世界に深く浸っているでしょうから、目立つ言動には政治が関わっていると受け取られるのは当然だと思います。

 

ただそれだけでなく、論旨に新味がないことも『原発即時ゼロ』の”本気度”を低く感じさせているような気がします。

最終処分場がないことは、ずっと前から言われ続けている大きな問題で、それは元リーダーが現役だったころから、散々耳にしていたことだったはずだと思います。それでも原発を推進していたと思います。

ただ実際に原発で事故が起きたのですから、誰であれ考え方が大きく変わることもあると思います。また、外国の施設を視察して、強く発言するべきだと考えることもあると思います。

それに、事故によって原発に関する状況は大きく変わったと思います。

 

元リーダーの発言のなかに、原発は非常に大きな事柄ですので、一政治家や一政党が代案を示すことなど出来ないというものがありますが、もっともだと感じられます。国として明確に方向性を示し、そこに向かって有為な人材から知恵を集めるということも納得できるような気がします。

今の政権政党は、方向性をはっきりさせないまま原発を推進しようとしているように感じられるためなお更です。

ただ、人間の考えが変わるものだというのなら、今後「やっぱり原発を推し進める考えに変わりました」ということもあり得ると思います。

それは政治的な思惑によることもあり得ると思います。

 

それにしても、今でも政治に関して少なくない影響力をもつ元リーダーとしては、”言うだけ”では「無責任」と感じる人もいるような気がします。

「無責任だぞ」といわれて「そっちこそ無責任じゃないか」というやり取りから、幼稚園児の口げんかを思い起こす人がいるかもしれません。実際、今でも存在感があるとはいえ、あくまでも”元政治家”ですので、政治的な思惑に対する反応によっては、いくら「無責任だ」といわれようが、ここで黙ってしまうことも出来なくはないと思います。
政治は思惑があるものであり、それは当たり前のことかも知れませんが、発言の”本気度”を示すには、現実的で具体的な行動をおこす必要があるような気がします。