2013年11月23日土曜日

やっぱりかっこいい



 先日ひさしぶりに「仮面ライダー」を見ました。本郷猛が変身する一号ライダーが活躍するテレビシリーズです。
再放送をVHSビデオに録画したものを見たのです。当時もCMも録画されていて、それによると1986年12月に放送されたものだと思われます。

僕はそのころ家庭用ビデオデッキをもっていませんでした。このビデオは友人が録画したものを、随分前に貰い受けたのです。
本人は保存するつもりで録画したのではく、平日の夕方など留守にしている時間帯に放送されていたために、それを見るために録っていたそうです。
そのため、全ての話数が録画されているわけではありませんし、同じテープに他のテレビ番組も録画されています。
ただ別のテレビ番組やCMにも、なつかしさを感じられます。

先日そのビデオをひさしぶりに見たのです。
すると、なつかしさを感じるとともに、”かっこいい”と本心から思いました。
そうして思い起こしてみると、「仮面ライダー」や「ウルトラマン」などヒーローものを見るときの感じ方は、それを見たときの年齢や時代によって随分違うような気がしてきます。

見方というか、”どのような意識を持って見ているか”ということが、見たときによって違っていると感じます。
思い起こしてみると、今までに何度となく、初代「仮面ライダー」など子供のころ夢中になったヒーローものの再放送を見ています。今回のようにビデオで見ることもあります。
また近年では、インターネットテレビで配信しているものを見ることもあります。
その時々によって”見方”が違うと思うのです。

本放送で「仮面ライダー」が始まったのは、僕が稚園児の時でした。そのころから小学生低学年のころまでは、本当に素直に”カッコイイ”と思っていました。
カッコイイヒーローを見たいと本心から思っていました。それをなんの抵抗感なく、周囲の子供や大人たちに話していたと思います。

それが小学生高学年になると、少し違ってきたと思います。今は大人や若者でも”ヒーローもの”見ている人が少なくないと聞きます。そのため、見ていると他者に話すことに抵抗感がないというか、ある意味堂々と見られるような印象があります。
しかし僕が小学生高学年のころは、『ヒーローものは幼い子供がみるものだ』という観念が、社会全体にあったような気がします。
つまり『小学生でも5.6年生がみるものではない』という雰囲気があったような感があるのです。

そのため、本音をいえばヒーローものを見たいのですが、少し斜に構えていたことが思い出されます。
『なんでわざわざ子供を誘拐するんだよ』
『ダムに毒を流してやるって、いちいち説明するからライダーに邪魔されるんじゃないか』
『はじめからライダーキックをすればいいのに。そうすれば簡単にけりがつくってのにさ』
『本当に、子供向けだよな』

そんなことを言いながら、『別に見たいわけじゃないよ。ただあんまりにも、子供っぽくって笑えるから見ているだ』といった体で見ていたのです。
高学年が見るものではないという雰囲気があるため、周囲に対してそんな風に装っていたのだと思います。そして時に、自分自身に対する言い訳だったこともあったと思います。
ただ全面的に装っているわけでなく、少しは『こどもっぽい』と小馬鹿にしていました。
しかし、本心の大部分は楽しんでいました。

それが高校生から若い社会人になったころ、初代「仮面ライダー」などの再放送の見方が変わっていたように思います。
とにかく、なつかしさばかりを強く感じていたような気がします。
つまり、なつかしがるばかりで、物語やヒーローたちの活躍ぶりに意識を向けていなかったように思われます。

今振り返ると、”なつかしい”と感じたかったのだろうと思います。
つまり、”なつかさ”に触れることを主な目的として見ていたということです。はじめから物語の内容を楽しもうという意識は薄かった、あるいはそんな意識はなかったような気がします。

それが先日、ひさしぶりに「仮面ライダー」をみて、ライダーの活躍ぶりに胸が躍りました。
そういうと少し大袈裟ですが、気がつくと物語を楽しんでいて、ライダーを本心から”かっこいい”と感じたのでした。