2013年11月17日日曜日

善意を生かす仕組みを作る


 大きな災害が起こると、痛切に感じることが色々とあります。

近年、世界中で大きな災害が起きていると感じられます。その様子を見聞きするたびに、考えさせられることが多々あるような気がします。

 

フィリピンでは巨大な台風によって甚大な被害が出ています。世界各国からの支援が始まっていると聞きます。被災した人たちの苦難が少しでも軽減されることが期待されます。

被災者に物資が届けられれば、略奪したものを売りさばこうとしても買い手がつかなくなると思います。

支援が行き渡れば、治安は悪くならずに済むものだと思います。

しかし支援が遅れるほど、その循環が逆方向にまわる危惧が高まるような気がします。

 

支援物資を奪うための暴行などが横行していては、被災者に行き渡らせることが難しくなると思います。

行き渡らないと、売りさばくものを買う人が増えると思います。

買い手が増えるなら、略奪も増えると思います。

略奪が増えるために、さらに行き渡らなくなると思います。

そのような連鎖を起こさないためにも、早期の被災者支援が求められると思います。

 

しかし現実として、早期に行き渡らせることは相当に難しいと思います。

東日本大震災でそれを痛感した人も少なくないのではないかと思います。<BR>     

東日本大震災は規模があまりにも大きく、それだけに対応が難しかったように見られます。それは多くの問題点を突きつけているようにも感じられます。

あまりにも大きな災害ですし、経験もなければ、教本もないような状況に直面した人も多かったことと思います

それでは、痛切に感じられることも少なくないと思います。

 

その一つに、物資と人手を行き渡らせることの難しさがあるような気がします。

地震発生直後はあまり情報を得ることが出来ませんでしたが、それによって途轍もないことが起きたのではないかと、不安というか強い胸騒ぎを感じていました。

そして次第に被害状況が報じられると、まさに未曾有の巨大な自然災害が起きたのだと知ったことが思い出されます。

それは僕だけでなく、あの時この国で暮らしていた人の多くがそのように感じたのではないかと思います。

 

その感情は、善意となり、その善意はすぐに形になったという印象があります。日本中から多くの支援物資がよせられたことが思い出されます。国内からだけでなく、外国からも多くの善意が届けられたと思います。

物だけでなく、人も大勢集まったと思います。多くの国から救援隊が来てくれたと思います。

 

また、国内からも非常に多数のボランティアが、被災地に集まっていたと思います。

しかし、物資がなかなか被災地に届けられなかったと聞いています。

また、ボランティアに行ったものの、ボランティアセンターで待機している時間が長かったという声もあったようです。

それには様々な事情があると思います。

 

物資が届けられなかったことには、道路が広範囲に何箇所も寸断されたことや、全国的な燃料不足などは理由の一つだったと聞きます。

また原理力発電事故による放射性物質の拡散もあったように見られます。災害そのものが非常に巨大だった上に、深刻な原発事故が加わったのですから、それはあらゆる救援活動に大きな影響をおよぼしたと思います。

 

ボランティアは、個人が自由に気ままに現地に入って活動するのではなく、統率する体制が取られていたようです。それは、過去の災害の経験からきているのかもしれませんし、あまりにも被害が大きく現地が混乱していたため、そのような体制がとられたのかもしれません。

色々と事情があり、その時になって見なければ予想出来ない状況ばかりだったと思います。

ただ、被災地には物資を必要としている人がいて、世界中から多くの物資が集まっているにも関わらず、それを早期に行き渡らすことが出来なかったような印象があります。

また、多くの場所で人手を必要し、多くの人が手助けにきていながら、それを行き渡らすことが出来なかったことがあったと聞きます。

 

あれだけの大災害が起きたのですから、多くの事柄が円滑に進まなくもて無理もないと思います。

また、誰かのせいでなはく、構造的な問題も小さくないように思われます。

これからは、物資が集まりながら届けられない、人手が集まりながら働けない、そうならないようにすることが必要だと思います。

そのためにはどのような取り組みが必要か、よく考え、よく話し合い、体制を作っておく必要があるように思います。