2013年11月21日木曜日

スクリーンと字幕



”映画は大きなスクリーンで観たほうがいい”
確かにそうだと思います。テレビやパソコンの画面で見るよりも、大きなスクリーンで観たほうが作品のもつ本来の魅力を、より堪能できるような気がします。
また作品によっては、スクリーンの大きさや映画館の音響による効果を存分に利用した表現法がとられていることもあります。

近年の3D映画はその一つだと思いますが、昔の名画の中にも、画面の大きさを生かした演出が見られる作品があります。
もしかしたら、昔の方がスクリーンの大きさを意識して表現されることが多かったかもしれません。
最近、映画はすぐにDVDやブルーレイディスクになって、テレビ画面の大きさで見ることが増えていると思います。そうなると、映画を作る段階で、それが考慮されることもあるかもしれません。

やはり映画は映画館で観たほうが楽しめると思っています。
ただテレビで映画を見ることも好きです。何度か書いていますが、テレビ放送された映画を見たことで、映画が好きになったからです。
だから、映画は映画館で観たほうが堪能できると思いながらも、テレビの画面の大きさで見ることにもあまり抵抗感がないのです。
映画館で映画を観ることも好きですし、テレビで放送される映画をみることも好きなのです。

また、基本的に洋画は字幕で見たいと思っています。
言葉の意味はわからなくても、演じる俳優の声質や抑揚のつけ方などから感じ得るものがあるはずだと思っているのです。
以前、映画館で上映される洋画のほとんどが”字幕版”だったと思います。”吹き替え版”は、子供向けの作品で時々見られた程度だったような気がします。
近年は、”字幕版”と”吹き替え版”の両方が上映される作品が増えているようです。

僕は日本語しか話せませんし、洋画の台詞を聞き取ることなど全く出来ません。それでも洋画は字幕で見たいのは、”出来るだけ作られたままの状態で見たい”という意識があるからです。
吹き替えは、日本で手が加えられているという印象を受けるものです。字幕をつけることも、あとから手が加えてられているのですが、それを出来るだけ最小限にしていると感じられます。

しかし、「ラストエンペラー」を劇場で観たときは、字幕を読むことが大変でした。主人公の氏名が「愛新覚羅溥儀」ですし、他にも地名や人物、歴史に残る出来事の呼び方など漢字が多かったように思います。しかも難しい漢字もありましたし、字幕の文字数も多めだったような気がします。
そのため目線は字幕を追っている時間が長く、またそこに書かれていることを理解しようと頭を働かせていたように思います。それでは、映画そのものを感じることに脳が動因されにくいような気がします。

そうはいうものの、漢字ではなくカタカナやひらがなで字幕が書かれていたとしても、それはそれで読みにくかったと思います。また、字幕にふりがなをつけても、読みにくい場合があると思います。「ラストエンペラー」のような作品では、場面によってふりがなだらけになってしまうかもしれません。
この作品は漢字の多い字幕にならざるを得ないと思います。

以前書いたことがありますが、この作品がテレビ放送されたときは吹き替えでした。
それを見たとき、『この作品は吹き替えの方が堪能できる』と思ったものです。
なんとなく”映画通なら、外国映画は字幕で観るべきだ”という観念があったのですが、少し肩の力をぬいていいような気がしたのです。
字幕を一生懸命読まなければならず、そのために映画に集中出来ないようなら、吹き替えのほうが映画の世界に導入しやすいこともあると思いました。

考えてみれば、以前映画がテレビ放送されるのは吹き替えが多かったものです。
今では字幕と吹き替えを選べるようですが、かつては吹き替えが当たり前だったと思います。そのため「世界名画劇場」のように、「ノーカット。字幕」で放送されると、なんだかとても、ありがたく感じたものです。

僕が映画を好きになったきっかけは、テレビ放送をみたことからです。その多くは吹き替えでした。
今でも、出来るだけ洋画が字幕で観たいと思っていますが、作品によってはそれがある種のやせ我慢というか、映画通を気取るために無理していると感じています。
肩肘張らず作品によっては吹き替え版を見ようかと思いながら、英語が話せるならこんな葛藤も少ないのだろうに、という考えが湧いてきます。