2013年11月14日木曜日



自然災害の巨大化
 フィリピンが巨大な台風によって甚大な被害が出ています。
その報道を見聞きしていると、数年前なら「未曾有の災害」といわれたように感じられます。
日本人は東日本大震災の記憶がまだ新しいと思います。今回フィリピンは高波によって甚大な被害を受けていますので、その被害の様子から東日本大震災を思い起こされた人もいるような気がします。

あれほどの災害も、もはや「未曾有」ではなく、ある程度の頻度で起こってしまうような印象を受けた人もいるかもしれません。記録などを調べたわけではありませんので、あくまでの感覚的なものですが、災害が発生する頻度が高くなり、その規模が大きくなっているような気がします。
巨大な災害に対して”特別なこと”という印象が薄らいでいるような気がするのです。
ある種の”慣れ”によるのかもしれません。
被害を軽く感じているというのではなく、また事態の重大さに対しする認識が弱まっているというのではなく、巨大災害が起こることに対する”驚き”が小さくなっていると感じることがあるのです。

その感覚は現実的なことに向けて、生かすべきだという気がしてきます。
その一つとして、色々なことを見直すことが上げられると思います。
世界では災害に対して様々な備えがあると思います。その備えでは役に立たないような規模の災害がおこることを考えなければならないような気がします。
基準値を何段階もあげるべき時に来ているように感じます。

また、いざ巨大災害がおきたときの体制を見直す必要があるような気がします。
定められている災害対策体制では、対応できていない規模の災害が起きていると感じることがあります。
今回のフィリピンや東日本大震災では、道路など交通網が分断されたことで、救助や救援が困難になったと聞きます。
それはつまり、そんな状況になることが想定されていなかったといえるような気がします。

今フィリピンでは世界中から手が差し伸べられているようです。多くの物資が世界中から集まるのではないかと思います。
しかしそれが届けられない事態が、少なからずあるのではないかと思います。
東日本大震災でも、多々あったと聞いていたと思います。
困っている人たちを助けるために、物資が大量に集まっているにも関わらず、それを必要としている人たちに届けることが出来ない状況が、あちらこちらで見られたようです。

東日本大震災でも見られましたが、今回フィリピンでも地面などに大きな文字を書いている様子を目にします。その場にいる被災者に出来る精一杯のことかもしれません。
それを報道のヘリコプターが撮影し、救助や支援を必要としていることを、当局に知らせることも出来ると思います。
また広く報じることで支援が向けられることもあると思います。
ただ、やはりこの撮影しているヘリコプターを、より実践的な被災地支援に使えないものかという思いが湧いてきます。

ヘリコプターから物資を投下したり、ホバーリングして被災者を引き上げるなどは、それが出来る機体や、高度な技術、専門知識などが必要だろうと思います。
また巨大な災害があったのですから、被災地では安全に着陸できる場所を確保することが難しいと思います。
それでも東日本大震災では、報道に使われていた民間のヘリコプターが、協力要請をうけて被災者を乗せたという話を耳にしたように思います。

そのような民間の協力を仰ぐ体制つくりも必要な気がします。
非常事態として民間機の活動の幅を広げるとともに、様々な民間企業や施設にいざというときの協力体制をつくっておくことは、巨大災害発生時には有効ではないかと思うのです。
災害において、報道はとても大切だと思います。巨大災害では、とにかく情報が必要だと思います。報道はそれを伝える役割を担っていると思います。被災者を助ける役割も一緒に担うことが出来たなら、困っている人たちの助けになるように思います。

着陸できる地点まで、医師などの専門家や物資を届けるだけでも、助かる人もいるような気がします。
また専用の機体や専門的な訓練を要せずとも、物資を投下できるような技術が開発されれば、民間が協力出来る幅が広がり、災害時には役立ちそうな気がします。
道路網が分断されたことを想定して、対策を立てておく必要があると思います。
道路網が分断されたことによる救助や支援の遅れを、なくそうとする方向で考える必要があると思います。
民間協力体制の強化はその一つになるような気がします。