人は誰でも褒められるとうれしいものだと思います。
「よくやったな」とか「上手いじゃないか」などと、上の立場の人から言われると、とても心地いいものだと思います。
そしてそのような心地いい経験は、糧になると思います。
『褒めて伸ばす』とか『褒められて伸びるタイプなんです』という言葉をよく耳にします。
人間は褒められえることがどれほど心地いいのか経験から知っていて、意識的にも、無意識的にも、その心地よさを求めるものだという気がします。
褒められる心地よさを経験するには、褒められることをしなければなりません。いい結果を出すことや、大きな努力をすることなどです。いい結果を出せたときは、それ自体が大きな喜びであり、心地いいことだと思います。それが努力に繋がることはあると思います。
たとえ最高の結果が出なかったとしても、必死に努力したことが認められると、うれしいと感じることが多いと思います。その喜びも心地よく、それを求めることで伸びていくことはあると思います。
そして、能力が高まり、それによって結果が出ることもあると思います。
いい結果が出て、多くの人から讃えられることもあると思います。
多くの人から、「すごい」とか「えらい」とか言われることは、非常に喜ばしく、心地いいものだと思います。
その心地よさを求めて、人は高みをめざし、伸びることがあると思います。
そう考えると、“心地よさ”は力になるといえるかもしれません。
ただ、“褒められること”や“讃えられる”には一種の魔力があるような気がします。
褒められたり、讃えられたりするには、高みをめざし、よい結果を示さなければならないと思います。
それならば、その心地よさは人を伸ばす力になると思います。
しかし、時に“褒められること”や“讃えられること”それ自体が目的になっていることがあると感じます。
自分を高めること、よい結果を出すこと、それが目的ではなくなる、あるいは目的として弱くなることがあると思います。
高みを目指したり、結果を出そうと努力したりするのではなく、ただ“褒められること”や、ただ“讃えられること”を求めていると感じることがあるのです。
“褒められること”や“讃えられること”、それが目的となると、“褒められる理由”や“讃えられる理由”が軽んじられることがあると思います。
世の中には、実力があり、必死な努力をしたうえで、幸運にめぐまれることがあると思います。ただ、実力がなく、なにも努力してないのに、大きな幸運が訪れることもあると思います。そんな幸運によって得られた成果だったとしても、それが“褒められること”や“讃えられること”の理由になることがあると思います。
“自分を高めること”、“よい結果を出すこと”ではなく、“褒められること”や“讃えられること”それ自体が目的となると、幸運を求めるばかりの自分に気づくことがあります。
また、“褒められること”や“讃えられること”それ自体を目指すようになると、それがたとえ過大評価であっても構わないと感じることがあります。
本当は成果を上げていないのに、周囲からいい結果だと勘違いされただけ。それでも構わない。それでもいいから褒められたい、讃えられたい、そう感じていることがあります。
それどころか、本当は他者があげた成果なのに、自分がやったと勘違いされただけ。それでも構わない。それでもいいから褒められたい、讃えられたい、そう感じていることがあります。
それどころか、本当は成果を上げていないのに、よい結果を出したと嘘をついた。それでも構わない。それでもいいから褒められたい、讃えられたい、そう感じていることがあります。
それどころか、本当は他者があげた成果なのに、自分がやったと嘘をついた。それでも構わない。それでもいいから褒められたい、讃えられたい、そう感じていることがあります。
“褒められること”や“讃えられること”それ自体が目的ですので、それが得られるならば理由は、運でも、齟齬でも、嘘でも、構わないと感じている自分に気づくことがあります。
他者がそうなっていると感じることもあります。
社会では、他の人を評価しなければならないこともあると思います。また人に指図しなければならないこともあると思います。その際に適性を見極めなければならないこともあると思います。そうなると、気をつけなければならないことがあるような気がします。よく見なければならないと思います。
“とにかく褒められたい”とか“とにかく大勢から讃えられたい”、自分がそうなっていると感じるときは、意識して抑えるようにしています。しかし完全になくすことは出来ません。人間ならば仕方ないのかもしれませんし、僕の心はそんなに強くないのかもしれません。
ただなんとか自分に言い聞かせていることがあります。
『他人の評価より、自負心を満たすことをめざす』
『評価は他者がするもの。欲しても得らないこともある。他人からの評価を求めるよりも、自分を高めること。結果を出すこと。そうすれば評価されるかもしれない。だがそれよりも、自分の成果に満足することを目指す。ただそのためには、自分の成果に対して、正直であり、誠実であり、冷静でなければならない』
いつか書いたことがあります。
『目指すべきは未来の自分。競うべきは過去の自分』