最近は「ボスザル」という言い方をしないようになっていると聞きました。「一位のサル」というようになっているそうです。
その時はあまり詳しい説明はなかったのですが、少し興味を惹かれました。
「ボス」という言葉と、「一位」という言い回しの違いが気になったのです。
そして「ボスザル」と「一位のサル」の違いを考えました。
ボスというと集団の最上位に君臨し、統率する者だという印象があります。「ボスザル」という言葉が用いられるのは、サルは群れの最上位につくものが、リーダーとしてほかのサルたちを率いているのだろうと思います。
またボスというと、周囲には腹心や側近が何人かいて、その下に部下がいて、その下に“平”の所属員が大勢いるような集団が浮かびます。
それに対して「一位」という言葉は、最上位者という意味合いしかないような気がします。
群れを統率するリーダーではなく、“集団における強さ”が一番の個体であるということです。つまり「一位のサル」は、単に一番目であるということだけで、別に群れを率いているリーダーではない、ということではないかと思いました。
また、「一位」がいるということは、二位以下の順位が明確になっているのだろうという気もします。
一位から最下位まで明確に順位がついているのかもしれませんし、上位陣は順位がはっきりしていて、下位は頻繁に順位が入れ替わるため、序列が明確になっていないのかもしれません。
「一位のサル」という言葉を使うようになったということは、サルはリーダーが群れを統率しているわけではないと考えられるようになったのではないかと思いました。
そのように考えると、「ボスザル」と「一位のサル」では、随分と違っているような気がします。
ただここまで書いておいていうのもなんですが、これは僕の勝手な解釈です。
そこで今更ですがインターネットで検索して見ました。ただ、僕はインターネットで調べること自体あまり得意ではありません。今回はいくかのサイトをみただけです。
それによると、どうやら“勝手な解釈”は当たっていなかったようです。サルの群れの最上位のものは、群れのリーダーとしての役割を果たしているというようなことが書かれている文章を目にしました。つまり群れを統率しているということです。
また、野生のサルではボスザルのような存在は確認できないという文章もありました。人間が餌を与える環境が、サルに順位をつけることになっているのではないかという考え方のようです。
また、一位の座につくのは、群れの中で最も強い個体ではなく、最も年齢が上の個体だと書かれているものがありました。
こうしてみると、今の時点では「これが正しい」という説は決まっていないような印象を受けました。様々な研究が行われている最中といえるかもしれません。
そのためどれが正しいということを前提にして書くことが控えたいと思います。ただ様々に書かれているものを読むと、興味深いものがあります。
“ボスザルが群れを率いている”
そのような見方をすることが、“人間らしいな”というような気がします。人間は自分たちの概念に照らして、人間以外のものを見る傾向があると感じます。
その表れのひとつとして、動物や植物やモノを擬人化したがるということあります。動物を人間のように表現した物語は、昔から数え切れないほど作られていると思います。
また、ペットに人間と同じような意思があることを前提として接することもよくあることだと思います。
それに車や飛行機など無機質なものを主人公にしたアニメ物語もあります。車が意思をもって人間を襲う映画もあったような気がします。
古くて傷んだ軽自動車を、「どうせ乗り換えないと決めたのだから、化粧して楽しむことにした」高校教師が、「こいつも喜んでよく走るわい」というマンガを思い出します。
サルの群れには“ボス”がいる。それは人間が人間の見方で見ているから、そう見えるのかもしれません。
その人間の見方は、人間の群れにはボスがいることから、形作られたのかもしれません。
人間の群れにはボスがいることが多いと思います。どのような集団であれ、人間社会ではリーダーがあったほうが上手くいく場合が多いと思います。そのリーダーの決まり方は、色々とあるような気がします。
全員で選ぶ場合もあれば、強引にリーダーにつくこともあれば、集団で活動するなかで自然にリーダーとしての資質を示した人物が、その役割を果たし、やがて名実ともにリーダーになることがあると思います。
ただ人間社会では、権力が一人握りの人間に集中すると、色々と“よくないこと”があるといわれます。実際、権力者が“おいしいこと”を独り占めしていることは、時々見聞きします。
また権力が一人の人物に集中すると、なんでも自分のやりたいようにやろうとすることがあるかもしれません。