こたつに入ると出たくなくなります。
寒い朝は、床から出るにも気合が必要というか、“暖かな布団から出るぞ”と、小さな覚悟をしなければなりません。
若いころと違って、今は季節や気候に関わらず毎朝早く目が覚めます。俗にいう“二度寝”をすることもありません。つまり“眠っていたい”わけではないのです。
布団の中の暖かさは言葉では言い表せない心地よさがあるような気がします。
そんな布団から出るのですから、ちょっとした覚悟が必要なのです。
ただ、急に寒いところに出ると、血液が循環する器官に負担をかけて、大病につながると聞きますので、注意するべきだろうと思います。
時間を設定できる暖房器具があるのですから、それを使えば布団から出る“ちょっとした覚悟”は必要ないような気がします。
ただ僕の部屋には今のところそのような暖房器具はありませんので、気合をいれて冬場は気合をいれて床を出ます。
こたつや布団に限らず、寒いときは暖かい場所から出るという行為それ自体に対して、抵抗感が無意識に湧くものだと思います。
そして“こたつから出たくない”という意識は、すなわち“動きたくない”という意識だといえるような気がします。
こたつから出なければ出来ないことは多々あると思います。
こたつから出たくないということは、それらをやりたくないということであり、それは動きたくないという意識だといえるかもしれません。
誰もが、ある意味“ずぼらになる”それはこたつの魔力といえるかもしれません。
若いころは、その魔力に打ち勝とうとしていました。“寒さなんかに負けないぞ”とこたつから出て行動を起こしていたものです。
“こんな寒さに立ち向かっていく自分ってかっこいい”
“寒さに負けないほど気合が入っているぞ”
そんな気持ちがあったのです。
他者に自慢することもあったと思いますが、多くの場合“自意識過剰で自己満足”という感が強かったと思います。
それが最近、特に今冬はこたつの魔力に立ち向かおうという意識が高まらないと感じます。
“魔力ではない。動きたくなくなるのはこたつの魅力なのだ。その魅力を満喫するには、動きたくないときは可能なかぎり動かないことだ。そして、どうしても動かなければならないときに、なんとか腰をあげること、そのような行いを繰り返すことそれ自体がこたつの魅力なのだ”
そのように自分に言い聞かせて、こたつに潜り込み、よくないと思いながらも居眠りしてしまいます。
“ちょっとした冬ごもり気分”に浸ること、それはこたつの魅力を堪能しているということかもしれません。
それにしても年齢を重ねるほどに、冬に活動することが億劫になってきていると感じます。今冬は特にそれを強く感じます。そして、それを受け入れようとしているような気がします。
上に書いたような、自意識過剰と自己満足が弱くなっているような気がします。
気合の入れ方を強くしないと動き出せないと感じています。
さらに、動き出さない自分に対して色々な言い訳をひねりだしているという気がします。
“昔、日本は農耕を生業とする人が多かったのだから、冬はこもるのが当たり前だったのではないだろうか”
“冬はあまり動ないのが日本人らしいのかもしれない”
“冬眠する動物が多いことからも、冬は活動を弱めるのは生物として自然なことではないだろうか”
しかし日本にはここよりも、ずっと寒い地域が多くあると思います。また世界に目を向けると、一年の平均気温が、氷点下数十度になる地域もあると聞きます。
夏場を含めた平均気温がそれでは、冬の最低気温はどれくらいになるのか、想像してみても、実際はそれを上回る厳しさだろうと思います。
首都圏で雪が降ったという報道を見聞きすると、“この程度で”と感じることもありますが、ここ新潟市より雪深い地域に暮らす人からすれば、この辺りも東京も五十歩百歩だと思うのかもしれません。また氷点下数十度になる地域に住んでいる人には、日本の冬も厳しいとは感じないのかもしれません。
そんなことを考えていると雪が降ってきました。
今年は大雪に見舞われている地域もあると聞きます。また非常に寒いという声を頻繁に耳にしている印象があります。
ただここ新潟市平野部では、今までほとんど雪が積もっていません。個人的な感覚では、例年に比べて寒さが厳しいという印象もありませんでした。
それが数日前から、冷え込んできた感があります。そして今、雪がどんどん積もっています。なんとなく、冬本番がやってきたような感覚があります。なんとなく、自意識と自己満足が掻き立てられるような気がします。なんとなく気合が強まるような気がします。
色々と大変ですし、時には不利益を被ったり、健康を害したり、命に係わる事態に直面したりすることがあるかもしれません。
そんな真冬がやってきたような感があります。