2014年2月4日火曜日

足下


 一般的に、部品より製品のほうが高い値段だと思います。

 製品が故障したとき補修用の部品なら、そうではない場合もあると思います。故障するまである期間、製品は使用されていることが多いと思いますので、その時点での製品の価値よりも、修理のための部品が高くなることもあり得ます。

 

それに対して、新品の製品をつくる場合は、製品よりも部品のほうが安いのが当たり前だと思います。

そうなると部品を売った人が、それを使って組み立てた製品を買った場合、もらうお金より、払うお金のほうが多くなると思います。

売る部品の数と、買う製品の数が同じならば、余程の例外的なことがなければそうなるはずだと思います。

 

今の日本は部品を作って輸出していると聞きます。そしてその部品で作った製品を輸入していると聞きます。

製品は世界中に売られているのですから、数でいうと売っている部品のほうが多いのだろうと思います。しかし製品は、他にも多くの部品を使っているでしょうし、様々な費用が価格に乗せられているものだと思います。

つまり製品のほうが部品よりずっと高いことが一般的だと思います。

 

そうなると、部品を輸出して製品を輸入しているのでは、円安は不利になると思います。売るものの単価は安く、買うものの単価が高いのですから、そんな気がします。

円安が輸出に有利なのは、外国に安く売れるためだと思います。安いから多く売れると見込まれるからだと思います。

ただ売るものが部品の場合、円安が利点になりにくい場合もあると思います。

かつて、製品を世界中に売っていた業界のなかには、今は部品を作って輸出している企業があるかもしれません。

 

今でも製品を外国に売っている日本の企業は、円安によって業績がよくなることもあると思います。しかしその製品が外国の工場で作られているとなると、その企業の製造数や販売数が増えても、日本にはお金があまり入ってこないような気がします。

そうなると円安はあまり利点にならないかもしれません。

 

外国の工場で作っている製品が多いのでは円安は利点にならないような気がします。

円が安くなったことで、数字がよくなったと思いますが、円安が商取引において有利になっているのかというと、今のところあまり大きくないような感があります。しかも上に書いたような構造になっている現在では、これからも大きくならないかもしれません。むしろ安価に部品を売らなければならないのに、材料や燃料が上がることで不利になる業種もあるかもしれません。

一般的な考え方では、貿易赤字国は自国通貨が安くなると困るものだと思います。

 

金融市場は昔から予測が難しいものですが、近年の金融市場は非常に動きが大きく、そして動きが速いと感じます。新興国も経済大国になったのですから、爆弾を抱えていることは十分承知しているのではないかと思います。そうなると、それをみすみす爆発させることなど避けようとするものだと思います。新興国の経済成長が鈍ったとみて、“よくない”と捉えるか、成長速度を抑えても健全化に向かったことを“よい”とみるか、お金を動かす人たちの考えがどちらに寄るか、またその考えをもとにお金をどう動かすか、予測することは非常に難しいと思います。

そんな金融市場で実体経済を引っ張ろうというるやり方は、予測できないことが起こり得ると思います。円安になるほど株価があがり、円高になって株価が下がっていますが、これから円が安くなっても株価が上がらないことが起こるかもしれません。

円が安くなったのに、株価が上がらず、むしろ下がったとなると、さらに円が下がり、それによってさらに株価が下がることが起きるかもしれません。そうなると、いつもの乱高下とはみなされず、円も株も売り急がれ、円と株が大暴落することが起こるかもしれません。そうなると、すぐに国債も大暴落することになるかもしれません。これは1日の間で起こるかもしれません。かつてのバブル経済崩壊よりも、はるかに短時間ではるかに大きな幅で落ち込むため、あの時とはくらべものならないほどの大打撃になるかもしれません。自分の名をもじった策を行った人物の責任は、非常に大きいものになるかもしれません。

 

今の日本は大きな難しい問題をいくつも抱えていると思います。『そんな時に政治家がぶつかっていたのでは、混乱するばかりだ。それよりも一人の人間が引っ張ったほうがいい』

言葉で言い表すように考えていないかもしれませんが、少なくない人たちにそのような意識があるような気がします。前政権時代の政治に“こりごり”している人には、明確に自覚していなくもて、そのような意識があるような気がするのです。それが支持率という形で表れているような気がします。しかしそのような支持はもろいものかもしれません。

 

今の日本は経済も政治も、その足下はまるでぬかるみのように軟弱なのかもしれません。そのぬかるみは沼のように深いかもしれません。そんな不安定な足場に立ちながら、精一杯しっかり立っているように見せようとしているのかもしれません。軟弱な足場で力んで立っている場合、少しつついただけで転んでしまうものだと思います。転んでぬかるみにはまり、もがきながら沈んでいくこともあるかもしれません。ぬかるみの上に精一杯立っているときは個人の信念などかまけている場合ではないかもしれません。自分を中心において地球儀を眺めるような子供じみた観念を持ち続けているためにまずいことをやってしまうのかもしれません。