2014年2月14日金曜日

人は忘れっぽいもの


俗にいう「リーマンショック」は世界中の経済に大きな影響を及ぼしたと思います。それは今でも続いているとみられます。

近年、金融市場が不安定だと感じられますが、それはリーマンショックの対策とその後始末によるところが大きいように思います。

それほどまでにリーマンショックは大きな出来事だったといえるかもしれません。

ただ当時から何度も書いていますが、日本の経済は“これほどまで落ち込むことはない”という位置まで沈み込んだような気がします。

 

 リーマンショック前の数字をいくつか見ると、日本は好景気だったと感じられます。

 もし未来の研究者が、過去の資料でリーマンショック前の数字を見ると、『記録的な好景気に国中が湧いていたに違いない』などと考えるかもしれません。

 

そんな未来でなくても、ここ一年の間にも「リーマンショック前の水準」という言葉が使われるとき、その言葉の中にまるで当時は好景気だったというような意味合いが含まれていると感じることがあります。

 それは“景気がよくなる雰囲気をつくろうとする雰囲気”によるのかもしれません。それは意図的であることもあると思いますし、無意識的である場合もあると思います。

 ただ、人間は忘れっぽいものだとも思います。

 そして、数字の説得力に流されるものだと思います。

 

 リーマンショック前の記憶を引き出すと、どんなにいい数字が報道されても、多くの国民は好景気だとは感じていなかったと思います。それどころか不景気の真っ只中だと感じていた人も少なくないと思います。

 そしてそれを問題視する声が、少なからず耳に入っていたと思います。

 今では、そのようなことを忘れている人が多いような印象があります。

 ただ、リーマンショック後の景気の落ち込みは、リーマンショック前の経済状況によるところが大きいような気がします。

 それは企業の業績がよく、いろいろな数字はいいが、多くの人がそれを実感できないという状況です。

 

リーマンショック前、業績がよかった企業の中には、内部留保を増やしたところもあったと思います。

内部留保は、リーマンショックのような、“いざというとき”にこそ使うべきだったような気がします。

しかし実際にリーマンショックがおこったとき、多くの企業は内部留保をさらにしっかりと抱えこんだ印象があります。

 貯め込んだ分を抱えこむだけでは済まさず、さらに内部留保を貯めようとした感もあります。

景気が落ち込むなか、さらに貯め込もうとしたのでは、お金もモノも動かなくなるのは無理もないような気がします。

“いざというとき”のために貯め込んでおきながら、本当に“いざというとき”には、“もっといざとうとき”のために貯め込んだように見られます。

 

 また中国は巨額の財政出動でいち早くリーマンショックから立ち直ったように見られます。当時、日本経済は中国経済との関わりが深かったのですから、その勢いを借ることで落ち込む幅を抑えられたような気がします。

 政治的な問題も、あのころはまだ大きくなっていなかったと思います。むしろリーマンショックによる日本の経済の落ち込みが、政治にも見える形と見えない形で大きな影響を及ぼしたと感じます。

そう考えると、経済面でも、政治面でも、無策だったという印象があります。

 

こうして考えると、リーマンショック前の経済成長の形が、その後の不景気の根っこの理由だったような気がします。

そうなると、リーマンショック前と同じことをしてはならないと、考えるべきだと思います。

リーマンショック前と同じこととは、まず企業を潤わせるために、働くものに我慢を強いることだといえるかもしれません。

 

雇用の流動化は必要だと思います。

しかし“失業なき雇用の流動化”など、俗にいう売り手市場の時に行わなければならないと思います。

買い手市場の時の、“失業なき雇用を流動化”は、賃金が下がる可能性が高いと思います。

それは経済に大きな打撃をもたらすこともあり得ると思います。それは近年実際に起こったように感じられます。

お金もモノも動きが小さくなり続けたのは、リーマンショック前の企業の儲け方が、最大の費用である給料を抑えるやり方を使ったことが大きな要因であり、国がそれを後押ししていた感があります。

 

景気がよくなれば、“売り手市場”になると思います。

そして、景気がよくなり、売り手市場になれば、自然に雇用は流動化すると思います。その時に、さらに流動化を進めるというやり方もあると思います。

過去に学ぶなら、そのような順番でやったほうがいいような気がします。

しかし、人間は忘れっぽく、同じことを繰り返したがるものだと思います。