2014年2月21日金曜日

少し未来すぎる表現から


 映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は1985年に製作されました。主人公の高校生が30年前に時間移動する物語です。公開当時から話題になった作品で、パート3まで続編が作れました。

 パート2で主人公は30年後の未来に行きます。物語の時間移動する前の時代設定が1985年ですので、その30年後となると2015年、来年です。映画が描いた未来に現実が追いつこうとしているといえるかもしれません。

 

 同じようなものを見たり読んだりすることがあります。以前書いたことがありますが、僕が小説「1984年」を読んだのは、1984年を何年も過ぎてからです。

 題名が表すように、1984年を舞台にした小説ですが、この作品が書かれたのは1948年とのことです。つまり何十年も未来を描いた小説なのです。

その何十年が経ち、遠い未来として設定した1984年が、今では何十年も過去になっています。

 

映画「2001年宇宙の旅」をはじめてテレビで見たのは、子供のころだったと思います。西暦2000年を越えている字面からも、なんとなく遠い未来だという印象をもった覚えがあります。

若者になってきて、それがそれほど遠い先のことではないのだと考えて、なにか妙な気分になったものです。

『意外にすぐに映画に追いついちゃうんだな。なんだかもっとずっと先のことだと感じていたんだよね。それにしてもやっぱり映画の通りにはならないもんだな』

 あのころ感じた妙な気分を言葉にすると、そのようになります。

 

その2001年も今では、一回り以上過去になっています。

映画で描かれた未来を何年も過ぎているのですが、現実は作中のような世界にはなっていません。

ただ多くの人は、そんなことは目くじら立てることではないと思っているように感じます。あくまで物語であり実現するかどうかは問題ではない、むしろたぶん実現しないだろうと思って見ている人が多いような気がするのです。

僕はそのように認識しています。

 

 冒頭に書いた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、過去の時代背景も現実に沿った表現をしていないと聞きます。

物語では30年前に時間移動するのですが、その風景や様々な様式は、もっと古い時代のものを使っているそうです。

実際の30年前を忠実に再現すると、“過去”が感じられないためだといいます。そのように時代設定を忠実に再現すると、むしろその時代の雰囲気が感じられないということは、時々耳にします。

そのため設定よりも“少し過去すぎる”表現を用いたようです。この作品は、劇映画ですし、しかも娯楽性の高い作品ですので、そのような表現はされてもいいと思います。

 

 昭和30年代を描いた日本映画でも、当時の資料を入念に調べるものの、建物などはあえて古くなっている状態で表現したと聞いたことがあります。

 現在からみれば何十年も過去の建物でも、当時は建てられて日が浅いのですから、傷みが少なく、見た目も古くはないはずです。しかしそれを踏まえて、新しい質感で再現すると、過去の物語であるという雰囲気がでないそうです。

 

 そう考えると、未来を設定した物語の場合も、“少し未来過ぎる”と感じられるような表現をしたほうが、雰囲気がでるのだろうと思います。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー パート2」は、劇場で観たのですが、その後テレビ放送でみたような気がします。今回はその記憶を思い出して書きますが、あたらためて見直したり、調べたりしませんので、思い違いや勘違いがあるかもしれません。

 ただ来年2015年になっても、あの作品で描かれているような世界にはならないと思います。

 過去は“少し過去すぎる”表現をし、未来は“少し未来すぎる”表現をし、娯楽性の高い映画としていい雰囲気を醸し出しているような気がします。

 

 そんななか、「Leia」と名付けられた電話が開発されているという話題を目にしました。

 その名は「レイア姫」に由来するそうです。レイア姫は映画「スター・ウォーズ」の主要な登場人物です。「スター・ウォーズ」シリーズでは、立体的映像を伴う通信が行われる場面がありますが、レイア姫はその立体映像でメッセージを主人公たちに託すのです。

 そのレイア姫の名を冠した電話は、ホログラムという立体映像を伴う通話を可能にしたものだそうです。

 詳しいことはよくわかないのですが、水蒸気に映像を映すことで立体的な画像を作り出すようです。

 

 開発している企業によると、5年以内に完成させたいと考えているようです。SF映画で描かれたものが、現実の世界で実用されるのは、そう遠い日の話ではないかもしれません。

 考えてみれば、未来を描く物語には“少し未来すぎる”表現が多いものの、現実になっているものがあると思います。

 携帯電話やスマートフォン、自動改札やETC、自動掃除機、最新の医療機器など、解釈の仕方にもよりますが、数多くあるような気がします。なかには、物語で描かれたことが発端となって開発されたものがあるかもしれません。

物語は“少し未来過ぎる”表現のほうが効果的であるものの、それが現実になっているのを見つけると、なぜかちょっと楽しいような嬉しいような気分になることがあります。