2014年2月25日火曜日

手打ち


“人間は誰もが自我が強まっている”

 なんとなくそう感じます。それは変化だと思うのですが、多くの人が同じように変わっているため、気づかれていないような気がします。

しかもこのような変化は、ある時突然起こるのではなく、徐々におこるため変わっていることを自覚出来ないものだと思います。

 

多くの人が自覚してないものの、自我を守ろうとする意識が強まっていると感じるのです。

以前書いたことがありますが、インターネットの普及はその理由の一つのような気がします。パソコンもスマートフォンも画面をみるのは一人であり、キーを打つもの、画面に触てるのも一人である場合が多いと思います。

パソコンの前にいるとき、スマートフォンを手にしているとき、人は一人だけの世界にいるようなものなのかもしれません。

一人だけですので、その自分を守ろうという意識が強まるのかもしれません。自分を守るために、他者を叩こうとする意識が強まるのかもしれません。

今、人間はそのように変わっているのかもしれません。しかし誰も気づいてないのかもしれません。

 

社会は多くの人間によって作られていると思います。そこに属する全員が自我を強めては、難しくなることが多いような気がします。しかし自我が強まっていることも、それによって難しくなっていることが多々あることも、多くの人は気づいていないような気がします。

 

 難しいことのひとつに“手打ち”があると思います。

「商売の約束や仲直りの成立したしるしに手を叩くこと。転じて、契約や和解が成立すること」

「手打ち」を国語辞典で調べると、そのように書かれています。

 最後に書かれていることは、誰もが自我が強まることで、難しくなっていることだと思います。

 

 だからこそ、今の世界にはそれが必要だと思います。今の人間社会には手打ちが、非常に重要になっていると感じるのです。

 しかし多くの人はそう感じていないような気がします。自我を守る意識が強まり、他者を叩く意識が強まっているからかもしれません。

『手打ち? 和解しろ? いいよ。向こうが完全に折れるならね。なに? 妥協しろ? なにを馬鹿なことを言っているんだ。なぜこちらが折れなければならないんだ? 1ミリたりとも引くいわれはない。半歩たりとも引き下がることはない。当たりまえだ!』

 双方がそういっているような事柄が、世界中にいつくもあるような気がします。それがいかに不利益をもたらしているか、認識できていないと感じることがあります。

 認識でないまま不利益を被り続け、不利益を被ることでさらに意固地になっている。そのように見えるときがあります。

 

 戦いの最中に得られるものは少ないと思います。当事者だけでなく、周囲にいるものたちも得られるものは少ないと思います。

 自我を守る意識の強まりは、戦いを終わりにくくしていることに繋がっているのかもしれません。

そして、終わらない戦いは、多くの人から奪うばかりになり、誰もが得られないことになっているように見られます。

 

今、内戦が起きている国では、争いの構図が複雑化し、まさに泥沼になっていると感じます。当事者同士では、どのような形であれ、戦いを終わらせることが出来ない状況だと感じます。

その状況で利益を得ているものは、極めて少ないと思います。もしかしたらいないかもしれません。全員が失っているばかりなのかもしれません。

後ろにいる大国も、内戦が起きている間は、利益を得られていないと思います。しかしこの内戦は、もはや誰かの勝利に終わることなどないような状況だと感じます。そうなると、後ろにいる大国も総取りすることなどないと思います。それなら、取り分を減らしてでも、内戦が終わったほうが、少なくても得るものがあるような気がします。

妥協せずに何も得られないよりは、妥協して少しでも何かを得るほうが、利益になると思います。

 

しかし今の状況で内戦を終わらせるには、非常に難しいと思います。ただ後ろにいる大国同士が、内戦をしている国の頭の上で手打ちをすれば、戦いを終わせることに結びつくかもしれません。

『戦いを後押しして、なにを得た? 戦いがもっと早く終わっていたら、なにが得られた? 戦いが起きなかったらなにが得られた? そのすべてを得られなくても、半分だけでも、三分の一だけでも、内戦が起きている今よりは得るものが多かったはずだ』

 妥協してでも和解したほうが、利益がある場合が多いと思います。では、なぜ手打ちが出来ないのか考えると、人間の心理によるところが大きいような気がします。

 自我を守ろうとする心理が、大国の上の人たちにもあるような気がします。もともと自我を守る意識が強くなければ、大国の上につくことは出来ないのかもしれません。

 しかしそれだけに、自我を守る意識が一国の政治に反映されていると見えるときがあります。冷静に利益を得る判断を曇らせているように感じることがあります。本人はそれを自覚出来ないように感じるときがあります。

 

 内戦は起きていないものの、これからどう展開するか予測が難しく、それゆえに危うさを抱えている国があるように見られます。

 大国ならば、得られることを重くみるべきだと思います。争いの後押しをすればするほど、事態は混乱し、争いは深まると思います。

それによって大国が得られるものが減ることも十分以上にあり得ることだと思います。

この国の頭の上で、大国同士が手打ちをすること、それが混乱を鎮めることに大きな効果をもたらすような気がします。

争って得るより、鎮めて得るほうが確実だと思います。