政党は政策集団であるべきだと思います。しかし、数が集まらなければ政策を実現することが出来ないと思います。数を集めるには、政策が一致しなくてもやむなしという考えがあると思います。
数は勢力であり、強い勢力に属することで、権力を得る者もいると思います。
そのため政治は、どんどん政策が軽んじられるようになったと感じます。
また現代社会は多様化する一方だと思いますし、複雑になる一方だと感じます。それは政策も多様化させると思います。
そうなると政党に所属する議員全員が、すべての政策に関して意見が一致するのは難しくなると思います。政党内でも意見の対立が起きると思います。
また、あらゆる集団の内部には、利害の対立や権力争いがあるものだと思います。政党のなかにもそれらは当然あるように思います。
そのため政策は、政党内の権力争いや、政党間での争いの理由づけなど、道具に使われることがあるように見られます。
政策を道具に使うということは、政策を軽んじているといえるような気がします。
政策を軽んじているということは、国民を軽んじているといえるような気がします。
国民を軽んじるということは、国を軽んじているといえるような気がします。
国を軽んじるものは、政治に携わるべきではないと思います。
これからの政治に求められるのは、政策に関して意思統一されている議員集団だと思います。しかし政治家の多くは権力を欲するような印象がありますし、また政策が多様化し続ける状況で、政党内で意思統一することは難しなる一方だと思います。
これからも政策は政治家の争いの道具にされるような気がします。むしろ、その傾向は強まる一方だという気がします。
それでは国にとって“よい傾向”ではないと思います。
ではどうすればいいのか考える必要があると思います。それは即ち“政策を重んじる政治にするにはどうすればいいか”ということになるような気がします。
政党内でいくつもの政策について意見を一致させるのが難しいとなると、ひとつの政策に対して政党の枠を超えた集団を作ることが思い浮かびます。
重要なひとつの政策について、同じ方向性の考えをもつ議員が、党派を超えて結集するということです。
たいして存在意義が感じられない議員連盟ではなく、政治家として政策を実現させるための集団が必要だという気がします。
すべての法案にたいして、そのような超党派議員政策連合を作るわけにはいかないと思いますが、例えば環太平洋経済連携協定や原発など重要な事柄では、政党や会派の枠を超えることが、国民を重んじる政治だといえるような気がします。
重要な政策は、政策ごとに、そのひとつの政策に関して強くまとまった議員集団をつくるということです。
また、多様化し複雑化する一方のこれからの社会では、与野党とも党議拘束をかけないことが、国民を重んじる政治だといえるような気がします。
それに、環太平洋経済連携協定や原発については、今の与党が圧倒的な議席を獲得した前回の衆院選における公約に則っているとは必ずしも言えないと思います。公約自体があえて曖昧にされていた感がありますし、公約を変えるという意味合いの発言もあったような気がしますが、選挙の時に訴えたことを貫きたいと考える議員を“与党議員”の肩書で縛るべきではないと思います。それは国民を軽んじる政治といえるような気がします。
あわてて文言を捏ね繰り回すと、脱原発にむけた超党派議員政策連合に参加させない理由がなくなるかもしれません。
脱原発に向かう超党派議員政策連合は、ある程度の政治勢力になるかもしれません。もしかしたら、かなりの政治勢力になるかもしれません。
原発は国策だと思います。国内最大の電力消費地での政治は原発に関わると思いますが、本気で原発に対するのならば国政に関わるべきだと思います。国内最大の電力消費地であるからには、電気料金は安いに越したことはないとか、電力は多く供給されるに越したことはないという意識がどこかにある人も少なくないかもしれません。
なにより原発が国策であるからには、首都の政治も大事ですが、やはり国政に働きかけなければならないと思います。
本気で脱原発を訴えるならば行動を起こすべきだと思います。いきなり騒ぎ立てたと思いきや静かになって、忘れかけたときに表に出てきても、“本気さ”を感じられないと思う人がいるかもしれません。それが選挙の結果に表れたのかもしれません。
“どうせ本気じゃない。腹に一物あるに違いない。ただのパフォーマンスだ”
今更パフォーマンでは人を引き付けることは出来ないのかもしれません。ただ無責任にみえるだけかもしれません。ただ無責任な元政治家だという印象をもつかもしれません。それでは支持は得られないかもしれません。お父様の名前と本人の容姿とそれらからくる人気があるため、今まではちやほやしておきながら、選挙の結果からお父様の人気に陰りがあるとみるや、態度が変わるような人間がいるかもしれませんが、そんな連中はどんな組織にもいるものかもしれません。
無責任なパフォーマンスではなく、本気なら持っている力を使って行動を起こすべきだと思います。