2015年6月11日木曜日

「偏向だ」「レッテルだ」

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2015年6月 11日『「偏向だ」「レッテルだ」』


概要
人間は、利害関係や人間関係などによって、論理的ではない主張をすることがあるものだと思います。その場合、持論が論理的ではないと自覚していることもあると思います。
ただ人間は信じたいことを信じ、理由や論理を後付けすることが多いものだと思います。その場合、持論が論理的ではないことを自覚していないこともあると思います。
自覚の有無によらず、論理的ではない主張をしていると、反対意見に対して強い反応を示しやすいと思います。反対意見が論理的であり、言いかえすことが出来ないことを恐れる心理が働くのだと思います。
利害関係によって論理的でない主張をしているのですから、それが否定されると不利益を被ることがあると思います。そのため論理的な反対意見に対して不安な気持ちを抱き、それが怒りを掻き立てることが多いと思います。
また論理的でない主張をして、それが論理的に反対されると、負けたような気持ちになるものだと思います。プライドを守るため、対抗心や怒りが湧くものだと思います。
 人間は本能的に、持論に対する反対意見に敏感になるものだと思います。些細なことで、『自分の考えとは相いれない意見だ』『自分とは反対の主張をする人物だ』と決めつけるものだと思います。「偏向だ」とか「レッテルを貼られている」と感じるのは、人間の本能的な心理の働きだと思います。それだけに、過剰反応である場合が多いと思います。
『自分は他者から決めつけられている』と訴える人ほど、他者に対して“決めつけ”ているものだと感じます。
また「偏向だ」と批判する人は、自分の考えに沿った偏向ならば、歓迎するものだと思います。自分の意に沿った偏向をさせるために、権力や財力などの“力”を使うことがあると思います。