2015年6月16日火曜日

ネット冤罪

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2015年6月 16日「ネット冤罪」

概要 
人間社会では昔から、悪しき行いをした者に対する罰として、“晒す”ことが行われていたと思います。“晒すこと”は“辱める”ことであり、それは“懲らしめる”ことになると思います。
“大勢で悪者を吊し上げる”という制裁です。それは“見せしめ”となると思います。“見せしめ”は悪事を抑えることを目的としていることがあると思います。
 しかしどのような刑罰であれ、冤罪が起こる可能性は常にあるものだと思います。“絶対に冤罪は起こり得ない”そんなことは不可能だと思います。
 大衆によって罪人を吊し上げる私刑もしかりだと思います。
『ネット私刑』は、犯罪の容疑者や事故の加害者の実名や写真を、インターネットで発信することを指すようです。いわゆる“ネット上に晒す”ことで制裁を与えるのだと思います。“大衆によって罪人を吊し上げる私刑”の一種だと思います。
 そして『ネット私刑』でも冤罪が起きる可能がゼロになることはないと思います。
捜査機関が無実の人を犯人にしたて上げた場合、その捜査機関や担当者は、『冤罪の加害者』といえるような気がします。
 裁判で無実の人が有罪とされたとなると、検察や裁判官も『冤罪の加害者』といえる状況があり得ると思います。
 しかし『ネット私刑』は、不特定多数によって行われるため、仮に冤罪だったとしても『冤罪の加害者』を特定することは相当に難しいと思います。
 それ以前に、『ネット冤罪』は、晴らすことが非常に難しいと思います。人間は一度信じ込んでしまうと、それを覆すのは容易ではないものだと思います。インターネットに書かれたことを、信じ込んでしまう人は多いと感じます。
 そして、『ネット私刑』は、誰もが『冤罪の被害者』になる可能性があると思います。

 また『ネット私刑』は、誰もが『冤罪の加害者』になる可能性があると思います。