2015年6月12日金曜日

大衆私刑

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2015年6月 12日「大衆私刑」

概要
「ネット私刑」という言葉を見聞きすることがあります。当然ですが、インターネットがない時代に「ネット私刑」はありませんでした。しかし既存メディアよって加害者の写真が公開されることは、かねてからあったと思います。それは「ネット私刑」と共通する心理が働いていると感じます。
また加害者の家族などに対する、嫌がらせや、破壊行為、暴力行為、社会的苦痛を与える行為も、インターネットが生まれる前からあったと思います。それらはまさに私刑だと思います。ただインターネットが用いられるようになったことで、私刑にも少なからぬ変化があると思われます。
それにしても私刑が行う心理は、「義憤」や「政治感」など一言では片づけられないほど根深く、また複雑だと思います。
そのため時代が移ろっても、その時代における手段を使った私刑が行われるのではないかと思います。
加害者本人は、法律によって身柄を拘束されることが多いと思いますので、当面私刑を受けるのは家族や身内だと思います。転居や転職を余儀なくされることなど、社会的に痛手を受けることも多いようです。嫌がらせに留まらず、所有物を破壊されたりするなど物的損害を受けることも多いと聞きます。それらが違法行為である場合も少なくないと思います。
しかし事件や重大事故の加害者の家族となると、違法行為を受けたとしても、訴えるようなことは出来ないと思います。大衆から反感をかい、私刑が激化する可能性が高いと思われます。
 犯罪者や悪質な事故を起こした者は、法律で裁かれるべきであり、一般市民が制裁を加えるようなことをしてはならないと思います。

 そう考えているのですが、『加害者やその家族が私刑を受けるのはしかたない』という思いが居すわっている気がします。頭では私刑を否定しているものの、言葉で表そうとすると説得力が弱いのは、私刑を容認する心理をなくせないからかもしれません。