2014年4月1日火曜日

無数の小さな独裁者


[自分に対する愛]は[自分を守ろうとする意識]に似ていると感じます。

 人によっては、同じかもしれません。

[自分を守ろうとする意識]は[自我を守ろうとすること]と言い換えることが出来るかもしれません。

[自我を守ろうとすること]は[自分の存在を守ろうとすること]、あるいは[自分の存在意義を、自分で認め続けようとすること]などといえるかもしれません。

 

 そんな意識は[無条件な自己肯定]に繋がりやすいような気がします。

 思考では自己批判をするものの、意識的にも無意識にも、どこかで自己弁護していることは誰でもあることだと思います。

 つまり頭のなかで自分自身を批判しながらも、どこかで自分をかばっているということです。

 かばう方法はその時々だと思います。環境や状況がよくなかった、つまり運が悪かったと思うことで自分をかばうことがあると思います。

 また、他者のせいにすることで、自分をかばうこともあると思います。

 

人間は自分を肯定するときや、自分自身に対する批判を自分で弁護するときに、無意識にやってしまいがちなことは、他者に悪役を押し付けることだと思いま

悪いのは他人だと考えることで、自分は悪くないと認識するということです。そして多くの場合、それを自覚していないような気がします。

『自分は他人を悪者にしようとしている』という意識があったとしても、それに対してさらに自己弁護していることもあると思います。

『いや冷静に考えても悪いのはあいつだ』

『確かに俺はあいつを悪者にしているのかもしれない。しかしそうさせたのはあいつなんだ』

 

そしてそれは[自分]という[個]に対するばかりでなく、[自分が属する集団]や[自分の国]に対しても、いえるような気がします。

[自分の国を愛すること]は[自分自身を愛すること]が形を変えたのかもしれません。[自分を無条件で肯定すること]が広がったのかもしれません。

 

 今、世界中で広がりつつある風潮があるように感じます。

他国に対して、強く自国を主張する政治家が増えていると感じます。

その背景に目を向けると、他国に対して強い態度をとる政治家が、国内で支持されていると感じます。

自国の主張を強く発信し、他国に対して強い態度にでる。そういう政治家が人気を集めている。そのような政党が支持を集めている。そんな傾向が世界的にみられているような気がします。

 

政治家自身に“他国に対して強く出たい”という観念が強いと感じることもあります。

ただそればかりでなく、“他国に対して強く出る”ほうが、国内での支持が高くなるため、政治家はさらにそうしていると感じることがあります。

“他国に対して強く出る”ほうが国内の支持が高くなるのは、インターネットの普及が深くかかわっていると思います。

 

以前書いたことがありますが、スマートフォンやパソコンは、画面をみるのも自分ひとりですし、操作をするのも自分ひとりである場合がほとんどだと思います。

そのため、インターネットは多くの人とつながっているものの、各人はあくまでも一人であり、そのため誰もが[自我を守ろうとする意識]を強める傾向があると思います。

そしてその意識が、自分の国に対する意識に反映されているような気がします。

 自覚できないまま[自分の国を無条件で肯定する意識]が強まり、それは[自国を強く主張する][他国に対して強く出る]ことを求める意識を強めることになり、そういう政治家を支持する心理を強めることになっていると感じます。

 政治家のなかには、強硬にでることが国のためにならないと考える者がいるかもしれません。しかし国民から人気を得るために、強い態度をとっている者がいるかもしれません。

 

 世界的に、かつての独裁者を彷彿させるような政治姿勢を支持する風潮が強まりつつあるように感じられます。

 かつてと違うのは、世界中の多くの国でそのような政治家が増えるということです。

 そしてそれはとても危険なことだと思います。

 強い態度をとる外国には、こちらも強く出るべきだという風潮が強まるものだと思います。それでは対立は深まるばかりだと思います。

 そのようなことが世界中でおころうとしている、そんな空気を感じます。

 

 かつてナチス党は選挙によって躍進したと聞きます。ヒトラーは民衆から絶大の支持を受けていた時があると聞きます。

 それに近いことが、これから世界中の国々で同時におこるかもしれません。

 今の世界には、そんな危険性を孕んでいるような気がします。

 

 今、インターネットのなかには、“小さなかつての独裁者”が無数に存在しているような気がします。

 無数の“小さなかつての独裁者”によって、“かつての独裁者”のような政治家が生まれるかもしれません。

それが世界各国で起きるかもしれません。

インターネットの中でも、民衆が動き出したら簡単には止まらないものだと思います。しかし多くの人は、その危険の大きさを認識していないと感じます。

 この危険を収めるには、一人一人が自分の中の“かつての独裁者”を抑え込むしかないと思います。