2014年4月17日木曜日

今のウクライナの危険性の大きさに対する認識が不十分な者たち


民衆が動くことには非常に大きな危険性を孕んでいるような気がします。

それは大昔から見られることかもしれません。

民衆が動くことでその国の政治が変わることは、人類の歴史のでは何度もあるような気がします。

また民衆の動きが国の形を変えるきっかけになったことも、何度もあるような気がします。

その中には歴史的に、“いいこと”として評価されていることもあると思います。

ただ“民衆による変革”は“いい印象”に繋がりやすいような気がします。

 そのイメージによって、歴史的評価がよくなる傾向があるのではないかと思います。

 

 現代においても民衆の動きがたびたび見られています。

 中東ではいくつかの国で立て続けに起こったように見られます。当時、好意的な取り上げ方が多かったような気がします。

 しかしその後、それぞれの国が“よくなった”かというと、見方や考え方にもよりますが、そうとばかりは言えないように見られます。

 むしろ、“民衆蜂起”に潜んでいる問題点を浮き彫りにしたという一面があるような気がします。

 

 民衆が大きな動きを起こすとき、集団心理による問題が指摘されることがあります。

“個人”は“集団”になることで、心理状態に変化があるものだと思います。しかしそれを自覚できないことも多いと思います。

人によっては、後になって『あの時は、空気に流された』と考える人もいるかもしれません。

またどれだけ時間が過ぎても、『あの時は、あくまでも自分自身が求めるものを得るために、自分自身の判断で行動したんだ』と考える人もいるかもしれません。

 

ただやはり民衆は集団心理によって動くことがあるような気がします。

 そして多くの場合、集団心理は民衆を大きくし、民衆は大きくなるということは、動きが大きくなるということになり、民衆による動きが大きくなると、それは過激になりやすいものだと思います。

 それが民衆に潜む危険の一つだと思います。

 

 民衆は何かに反対するために集まることが多いと思います。反対する考えは、怒りの気持ちに結びつきやすいものだと思います。

 怒りの感情は、発することで増幅することがあると思います。大勢で怒りを発することで、集団の怒りは増幅し、それは過激な行動に向かわせやすくすると思います。

 そして暴力や破壊が起こりやすいと思います。

 民衆が動くことの大きな危険性のひとつだと思います。

 

 また民衆によって高ぶった怒りは静まりにくいものだと思います。

 民衆の怒りは暴力や破壊を生みやすいと思いますが、それを力で抑え込もうとすると、民衆はより反撥を強めることが多いと思います。

それは、民衆に潜む集団心理の一つだと思います。

 民衆が動くことの、危険性のひとつだと思います。

 

 近年、民衆が動くと、その要求に具体性がないことが多いと感じます。

 現状に不満があるものの、では具体的にどのように変わってほしいのか、考えられていないと感じます。とにかくイメージだけで騒ぎが大きくなってしまうような印象があります。

 また人間の怒りの感情は論理な思考の妨げになることがあるような気がします。

そのため民衆の要求には具体性が乏しく、そのため話し合いで民衆と鎮めることが難しいのではないかと思います。

 

要求に具体性がないことは、後で『こんなはずじゃなかった』と感じさせることになり、次の混乱につながることがあるような気がします。

 それにしても、具体的な要求がなくても民衆は動きものだと思います。

 それは民衆が動くことの危険性の一つだと思います。

 

 しかも現代は情報を発信、伝達する技術が広く普及しており、それが民衆を動かす道具として機能しているような気がします。

 それによって人々は“民衆”になりやすいと感じます。

 そして民衆が動きだすと、何らかの意図によって操作することや、制御することが難しいと思います。

こうして考えると、誰かが何らかの意図をもって、民衆を扇動することは非常に危険だと思います。

 

今のウクライナは非常に危うい状況にあると感じます。この先、よくない方に向かう可能性が高まっているように感じます。

 そんな可能性が高まっていること自体、非常に“よくない”と思います。

ウクライナにとっても、露欧米にとっても、誰にとっても今の状況は非常に危うく、それゆえに“よくない”と思います。

 そう考えると、早急に事態を沈静化に向かわせることが、ウクライナのためにも、露欧米のためになると思います。

 そのためには、露欧米が沈静化に向けて協調する必要があると思います。

 批判しあっている場合ではないと思います。

 まして、ウクライナの国内対立を煽ることは、結局自分の首をしめることになると思います。 

 それは愚かな人間のやることだと思います。

 しかしウクライナを取り巻く国のなかには、愚かな人間がいるのかもしれません。

状況を冷静に分析出来ず、何十年も前の古い観念にとらわれている人物は、自国の利益を長期的に見ることが出来す、短絡的な行動を起こして事態を不安定化し、それが自国にとって損失になることを見通せていない人物は愚かだと評さざるを得ないと思います。