僕は毎日牛乳を飲んでいます。真夏でも温めています。それも出来るだけ熱くしています。
それは昔から続けている習慣ではなく、ここ6~7年前からです。
カルシューム不足をおぎなうためとか、背を伸ばしたいからとか、健康のためなど、特に目的意識があるわけではありません。
毎日のんでいるのですから牛乳が好きであることは間違いないのですが、改めて考えてみると、牛乳に特別な思い入れがあるわけではないような気がします。
毎日牛乳を飲むようになったのは、缶ビール類を飲まなくなってからです。
以前僕は、毎日風呂上がりに350mlの缶ビール類を一本飲んでいました。ある日ふと『別に飲まなくてもいいかな』という思いが湧き、それから缶ビール類を飲まなくなりました。ただ風呂上りはのどが渇いています。そのために缶ビール類を飲んでいたのです。
缶ビール類を飲まないとなると、なにか別の水分が欲しくなります。
そこで水を飲みました。のどが渇いているので美味しいと感じました。
風呂上り、コップ一杯の水は美味しいと思います。あれから毎日飲んでいます。ただそれは、真夏でも冷やした水ではなく、ただの水道水です。
風呂上りですので体が温まっていますから、冷した水でなくても、冷たく感じるのだろうと思います。
缶ビール類を飲まなかったあの時、確かに水は美味しかったのですが、やはり少し味気ないと感じました。
そこで牛乳を飲んだのです。
ただコップ一杯の水を飲んだ後ですので、冷たい飲み物が欲しいとは思いませんでしただからといって熱いものが飲みたいと思ったわけでもありません。
なにか、ゆっくり飲める飲み物を欲したのです。
そこで牛乳を膜が張る程度にまで熱くして飲んでみました。
それが今ではすっかり習慣になっています。
習慣になったのは、やはり美味しいと感じたからです。昔からどちらかといえば牛乳は好きなほうでした。
小中学生のころは、毎日給食に牛乳が出ていましたが、かならず飲んでいました。ただ、休んだ同級生の分の牛乳をもらって飲むほどではありませんでした。
思い起こしてみると、僕は給食全般的にそのような接し方だったような気がします。つまり、何が出ても残さず食べるのですが、おかわりをすることはないということです。
嫌いな食べ物がないわけではありませんが、我慢すればなんとか食べられるものばかりだったような気がします。
また、給食を食べきれないというほど食が細かったわけでないものの、大食いというわけでもなかったような気がします。
以前書いたことがありますが、小中学校時代、僕は給食で特に苦労することはありませんでした。
最近、新潟県三条市の学校給食について、頻繁に見聞きします。少し意外な気がします。初めて耳にしたとき、こんなに騒がれるとは思わなかったのです。
三条市の小中学校の学校給食で、試験的に牛乳を出さないことにしたそうです。三条市では給食の主食は、毎日ごはんが出されているのでが、ごはんを食べながら牛乳を飲むのは一般的な食べ方ではないし、食べ物と飲み物の組み合わせとして、ご飯と牛乳は合わないという意見がよせられていたようです。
また消費税の税率があがったことにより、給食にかかる金額がその分高くなったので、牛乳を出さないことで給食費を据え置くことが考えられているようです。
この話題を聞いたとき『へえ。そうなんだ』と感じたものです。それだけでした。つまり、あまり深く考えなかったというか、特に主張や意見は浮かんでこなかったのです。
ところがそれから、テレビやインターネットでこの話題を度々目にするようになりました。
今回はインターネットで検索するなど積極的に調べていませんので、受動的に目や耳に入ってきたことだけで考えているのですが、意外なほど大きく取り上げられているという印象があります。
そして考えてみると、学校給食は多くの人が経験してきたことなのだと思います。
そのため多くの人が、なにかしら給食にまつわる思い出や思い入れがあるように感じられます。
そのような思いには、なつかしさが込められることが多いような気がします。そして多くの場合、なつかしさは心地よい気持ちだと思います。
そんななつかしを感じる給食が変わってしまうと思うと、理屈ではない抵抗感が芽生えるのかもしれません。
また人間は、自分が経験したことがなくなることにも抵抗感のようなものが湧くことがあるような気がします。
そして人は、理屈ではない漠とした感情に、理屈を後付して意見を組み立てることがあると思います。
多くの人にとって、給食に牛乳が出ることは当たり前のことだったと思います。牛乳が好きな人、牛乳が嫌いな人、多くの人がその人なりに感じることがあるのだろうと思います。
感じることで、人それぞれの意見が組み立てられたような気がします。多くの人がそうしたため、大きく取り上げられているような気がします。