社会全体のために必要なお金があると思います。みんなのためのお金といえるかもしれません。
みんなのためのお金ですので、みんなで出し合うべきだという考え方があると思います。
“みんな”のなかには、お金持ちもいれば、貧しい人もいるものです。同じ金額を出したら、貧しい人は大変になると思います。
生活していけなくなる人もいると思います。
そうなると、お金持ちのほうが多くのお金をだすべきだと考えられます。
税金はそういうものだといえるかもしれません。
以前、「大きい政府」と「小さい政府」について書いたことがあります。
「大きい政府」は、国が国民から“みんなのためのお金”を多く集めて、それをみんなのために使うといえるかもしれません。
つまり国民は高い税金を払っているけど、そのぶん国が生活するためのお金を出すので、国民はそれについてはあまりお金を使わなくても済むのだと思います。
「小さい政府」は、『自分のことは自分で面倒見る』という観念が根元にあると感じます。国は“みんなのためのお金”を集めるけれど、それはあまり多くないので、生活のためのお金も国はあまり多くは出さないのだと感じます。
国民は“みんなのためのお金”をあまり出さなくて済むので、自分のお金を自分の生活にために使う、そういう仕組みだという気がします。
「大きい政府」にしろ「小さい政府」にしろ、国にはみんなのためにお金が必要だと思います。“みんなのため”のなかには“貧しい人のため”や“弱い人のため”も含まれていると思います。
「大きい政府」の場合、貧しい人や弱い人のためのお金は税金として徴収されますが、「小さい政府」ではそれがあまり多くはありません。
そこで「小さい政府」の場合、お金持ちは貧しい人や弱い人のため、またみんなのために、寄付するべきだという観念が強いような気がします。
国に税金を徴収されるのではなく、自発的に寄付するべきだという考えだと感じます。
では公的年金は誰のためだろう、そういう考えが浮かんできます。
自分が高齢になったときのため、すなわち“自分のため”だと感じている人はいると思います。
また、今の高齢者ため、すなわち“他者のため”だと認識している人もいると思います。
最近は後者のほうが増えてきているかもしれません。しかし以前は、前者だと思っていた人が圧倒的に多かったような気がします。
それは年金制度によるところが大きいような気がします。
日本の年金制度は、今の高齢者のために現役世代からお金を集めているといえるような気がします。
現役世代は今お金を納めることで、将来高齢者になったときに年金を受け取ることが出来る仕組みだと思います。
そして、お金持ちほど多くのお金を納めているように思います。
多くのお金を納めた人は、将来多くの年金を受け取る仕組みだと思います。
それが、年金は自分の老後のために積立ていると多くの人が認識していた理由の一つなのかもしれません。
そしてそれは、年金と税金の大きな違いといえるかもしれません。
税金はお金を出した人ほど、多くのことを得られることは少ないと思います。
お金持ちほど多くの税金を納めることが多いのですが、そのお金は原則的に“みんなのため”や“貧しい人のため”や“弱い人のため”だと思います。
お金持ちのためだけに税金が使われることは少ないと思います。
税金には、お金持ちが貧しい人や弱い人のためにお金を出す、という意味合いがあるといえるかもしれません。
今の日本の年金制度にはその意味合いはあまりないといえるかもしれません。
今の日本の年金制度は“他者のために”納めているのですが、そうすることで将来自分がお金を受け取れるのですから“自分のため”でもあるといえるような気がします。
今の日本の年金制度と税制度では、根っこにある考え方が大分違うと感じます。
それについて考えなければならない時かもしれません。
「年金はあくまで自助であり、互助は税金で賄うべき」なのか。それとも「年金を互助にするべき」なのか。それを考えなければならない時かもしれません。
この国は急速に少子高齢化が進んだ感があります。ただそれにしても、ある朝めざめたら国が高齢化していたわけではないと思います。
実際、少子高齢化を問題視する声は随分前から耳にしてきたような気がします。
そして年金を含めた社会保障制度は、このままではいずれ立ち行かなくなると、何度となく見聞きしている気がします。
社会保障制度を改革し、持続可能なものにしなければならないという声を頻繁に耳にしているような気がします。
しかし改革が進んでいるという感じは、あまり受けていないような気がします。
少し前に「税と社会保障の一体改革」や「身を切る改革」などという言葉を頻繁に目にしたり耳にしたりしました。
税金は上がりました。それだけは実感しています。