『民衆が軽んじられている』
半島を有する国について語られていることを見聞きすると、そう感じるときがあります。
それに対してやけに目につくのが、大国のリーダーの思惑について論じているものだと感じます。
また、その思惑に対する別の大国の動きや、連合が受ける影響とその対応などが語られているように感じます。
そして、大国と連合の経済面での影響と、それが世界経済にあたえる影響などについて論じられていると感じます。
さらに、別の大国の軍や政治について論じられていると感じます。
こうしてみると、半島を有する国の国民には、あまり目が向けられていないような印象を受けます。
首都で民衆の動きがあり、それによって政治が変わったとき、大国は「連合が裏で手を引いた」と非難していたような気がします。
今、別の地域で民衆が動くと、「大国が裏で手を引いている」と、別の大国が非難しているように見られます。
民衆は連合や大国に操られている、という意味合いが込められているような気がします。
それは民衆を軽んじているような印象を受けます。
だから混乱は収まらないのかもしれません。
今、半島を有する国の東や南の地方では、民衆が動いていると聞きます。それは裏で大国が働きかけているという指摘があります。
そのとおりかもしれません。大国が半島に軍を入れたことは、政治的に大きな失策だったと思います。あまりにも短絡的で性急で政治的戦略性のないやり方だったと思います。
その失策が混乱を収めることを難しくさせ、大国にとっても少なからぬ打撃を受けることになっているように見られます。
そこで東や南では、半島の二の轍を踏まぬよう、別のやり方を講じたように見られます。それが民衆を動かすことだと感じます。
しかし東や南の民衆の中に、首都や連合に反撥する土壌があったことは間違いないと思います。
首都を中心とした民衆の行動で、一国の政治が大きく変わってしまったのでは、釈然としない住民もいると思います。
大国に近い地域では大国系の住民が多く、大国に対して親近感をもっている人が多いと聞きます。
その人たちは、首都でおきた民衆の動きは“暴動による政変”に見えるかもしれません。
それに対抗して自分たちが望む体制にするには、首都で起こったことと同じことをやろうという意識が芽生えると思います。
そしてそのような民衆の意識は、制御できないほどに強まるものだと思います。
首都で民衆の動きがあったとき、「連合が裏で糸を引いている」と大国が言っていたように思います。それは“大国の言いがかり”だったのかもしれません。
しかし、首都の動きが民衆の自発的なものだったにせよ、国内から連合に寄ることに反対する声が上がることは十分にあり得ると思います。
首都で民衆による政変があったなら、別の地域の住民がそれに対抗するために、動きを起こすことも、あり得ることだと思います。
そして国内での対立意識が強まると、国内が大きく二分する形にむかうような気がします。
その国内対立が深まり続けると、内戦などに発展することもあり得ると思います。
それなのに世界は、この国の民衆に対してあまりにも目を向けていないような気がします。
国内で意見が割れていて、大国系の住民も多いのですから、この国にとって“連邦化”は現実的な方向だという気がします。
もはや、国を一つにまとめるには無理があるような状況だと感じるのです。
無理があることを、無理やりやろうとしても対立は深まるばかりだと思います。混乱は収まらず、大きくなるばかりだと思います。
対立が深刻化することを避け、事態を収めるには、連邦化は現実的だと思います。
半島も、連邦かそれに類する形にするべきだったと思います。しかし大国は性急に軍を動かし、それが住民の対立意識を強めたように感じます。
そのため大国としても、どんどん進めるしかなくなったと感じます。
そしてそれが混乱と対立を収まりにくくしたと思います。大国にとっても、様々な点において不利な状況を作ってしまったように見られます。
大国が半島をすでに組み込んでしまったことが、連邦化に反対する内外の意識を強めることになったと感じます。
つまり半島の大国編入が、連邦化の足かせになっていると感じられるのです。
そう考えると、大国が半島に軍を入れたことは、歴史に残るような大失敗だったといえるかもしれません。
そんな失敗を挽回するにはどうすればいいか、それは裏で手を回すことではないと思います。民衆は動き出すと制御も操作も出来なくなるものだと思います。
何事も対立を収めるには、双方の妥協や譲歩が不可欠だと思います。