2014年4月27日日曜日

議論の場として純粋ではない


「ねじれ国会」は、衆議院と参議院で多数派の政党が違っている状態だと思います。

そうなると衆議院を通った法案が、参議院では否決されることもあると思います。

国会が議論の場であるなら、それは悪いことではないと思います。むしろ議論の場では健全な状態にあるという見方が出来るかもしれません。

衆議院で多数を占める政党が好き放題に法案を決めてしまうことを、参議院で抑える役割を果たすこともあると思います。

 

日本ではしばらくの間「ねじれ国会」だったと思います。

議論の場としてそれは悪い状態ではないと思うのですが、あまりいい印象で語られないことが多いと思います。

国会がねじれていることは、政治の停滞と混乱の表れの一つであるともに、政治を停滞させ混乱させている理由の一つである、そのような捉え方をされることが多かったように感じます。

議論の場での状態としては悪くないのに、悪い印象が持たれる。それは国会が議論の場として純粋ではないからかもしれません。

政治家の勢力争いや権力争いや利権争いの場という意味合いが強いのかもしれません。

 

衆議院を通過した法案が参議院で通らないとなると、参議院のせいで政治が停滞し混乱していると感じられ、「参議院なんていらない」という意見があがることがあるような気がします。

しかし国会がねじれておらず、衆議院を通過した法案を参議院があっさり通したら、衆議院とおなじことを参議院でもやっているだけ、それなら「参議院なんていらない」という意見があがることがあるような気がします。

法案と通さなくても、すんなり通しても、どちらにせよ「いらない」と言われるのですから、参議院は本当に「いらない」のかもしれません。

 

国会議員は国のことについて話し合い、決定する国民の代表者といえるかもしれません。

国のことを決めるとき、国民全員、また大人の国民全員が話し合いをすることは、相当に難しいと思います。

情報技術が目覚ましく発展していますので、もしかしたら技術面では可能になるかもしれません。それもそう遠くない未来に実現できるかもしれません。

それは政治のあり様を劇的に変えてしまうかもしれません。

しかし当面は、大人の国民全員で意見を交わし、最後に多数決をとることなど出来ないと思います。

今の日本で国のことを決めるには、国民の代表者が話し合い、決を採るというやり方がとられているように思います。

国民は代表者を選ぶ権利をもっていて、その権利を行使することで、間接的に意見を国政に反映させる仕組みといえるかもしれません。

つまり政治家は国民の代表者ということです。

 

そして、政治家は地域の代表者という意味合いもあると思います。

地域のために国で決めなければならない、そういうことが色々とあるような気がします。 そこで地域で選挙をし、国民の代表者を選んでいるのだと思います。

しかし地域ごとに人口は違っています。同じ得票数でも、地域によって当選する場合もあれば、落選することもあると思います。

国会で決を採る場合、政治家はみんな同じ一票を持っています。しかしそれぞれの政治家が、選挙で得た票数には大きな違いがあると思います。

それでは有権者の考えが、国会に反映されているとはいえないかもしれません。

 

そうはいうものの、地域に人口差があることは仕方ないと思います。それを前提で制度を考えなければならないと思います。

そうすると“政治家は国民の代表者であり、地域の代表者でもある”それは元来無理な気がします。

無理ならば、国民の代表者と、地域の代表者で、分けるという考え方があるような気がします。

二院制なら、衆議院を国民の代表者、参議院を地域の代表者とし、その役割を明確に分けるという考え方もあるかもしれません。衆院選は比例代表制を主にし、参院選は小選挙区制を主にした選挙制度ということです。

地域の代表者であれば、「一票の格差」はなくしようながないと思います。つまり、参議院議員は、一票の格差を前提として選ばれた国会議員ということになります。そうなると、参議院のあり様自体を、衆議院とは大きく違ったものにするべきだと思います。

 

先日、参議院選挙の改革案がだされたようです。それに対して国会議員の間から賛否の声が上がっているようです。あくまで個人的な印象ですが、この改革案ならば数年前に出されていてもよかったような気がします。少なくても数か月前には示されていてもいいような気がします。それでも相当に遅いと感じます。もうとっくに議論されているべき内容だと感じます。

参院選と衆院選、それぞれに選挙制度改革が論じられていること自体、“いまだにその段階なのか”という印象を受けます。選挙制度改革に対する政治家の取り組み方が見て取れるような気がします。それは政治家の選挙制度改革に対する意識の低さを表しているような気がします。