2014年4月26日土曜日

人類は滅亡します


『どうしてこれほど栄えた文明が崩壊したのだろう?』

 過去の文明を扱ったテレビ番組を見たり、読み物を目にしたりしたとき、ふとそのような疑問を抱くことがあります。

『たぶん、どれほど高度な文明も永遠に続くことはないのだろう』

 そしてそのような考えが浮かんできます。

『それは歴史が証明しているといえるかもしれない。過去に栄えた文明はどれも崩壊している』

 過去に栄えたすべての文明に関する知識はありませんが、古代から現代まで続いている文明はないような気がします。

『そうなると、今の文明もいずれ滅びるのだろうか?』

 そんな問いが湧きます。

『たぶん滅びるだろう』

 そんな答えが浮かびます。

 

現代は、様々な事物が世界中で繋がっていると思います。

世界中が一つの文明といえるかもしれません。先進国、新興国、途上国と分類されることがありますが、現代社会はそれらを切り離して考えることは出来ないような気がします。

古代文明は、一定の地域で栄えたのだと思います。外との交流や交戦はあったと思いますが、現代ほど結びつきは強くなかったのではないかと思います。

現代はあらゆる物事が速く広く伝わると思います。それは、あらゆる物事を広く深く、また複雑に繋げていると思います。

 

先進国、新興国、途上国、お互いになにかしらの繋がりがあると思います。そしてそのつながりは複雑で、簡単に切り離すことは出来ないと感じます。

そう考えると、今の世界はすべての国をひっくるめて、“人類の文明”といえるかもしれません。

そうなると、“現代の文明が滅ぶ”ということは、すなわち“人類が滅ぶ”ということになるような気がします。

世界は地域によって社会も環境も違っていますので、生き延びる人間はいるかもしれません。

しかし「文明」と呼べるものは、全世界において崩壊してしまうかもしれません。

 

そんなことを考えていると、子供のころから、世界の終末について色々と見聞きしていることを思い出します。

多少なりとも科学的根拠に基づいた予想もあります。

それらを後付しているような予言のようなものもあります。

どちらかというと後者のほうが多いような気がします。神秘的なイメージがあり、それが人を引き付けるのかもしれません。

あくまでも個人的な印象ですが、予言の多くは、ことが起こった後で、当たっていると解釈と付けているように感じます。

またあくまでも個人的な考えですが、数々の予言があたっているということは、回避できなかったということであり、予言されても結局あたってしまうのならば、実利的な観点から予言を見ると、あまり役に立たないのではないのだろうかと思います。

 

そういえば少しまえのことですが、インターネットで、人類文明が滅亡するという調査を取り上げている記事を目にしました。

あまり長くない記事ですし、専門的なことはわかりませんが、過去に栄えた文明はすべて崩壊していて、それはどんな文明も永遠に続くことはない証しだということが書かれていました。

 

そして、文明が崩壊するには、大きな二つの社会状況が深くかかわっているようです。

“資源の浪費”と“貧富の差”です。

 富は一部の人間にのみ集中し、しかもその一部の人間によって資源が浪費されるそうです。

 そしてその浪費は加速するもののようです。

 大衆に富は行き渡らず、貧困層はより貧困になり続けることになるようです。

そしてそれは社会から労働力を失わせることになり、社会の崩壊につながると考えられるようです。

 

過去の文明に比べて、現代の文明は資源の消費は格段に多いと思います。

技術を進歩させることで資源消費の効率をよくしたとしても、人々が消費する資源の量が増え続けていくために、資源全体の消費量を抑えることは難しいようです。

しかし人間は“資源の浪費”と“貧富の差”を解消することは相当に難しいと考えられるようです。

つまり、人類が文明の崩壊を回避することは難しいということです。

 

インターネットの記事を読んだだけですので、僕の理解が不十分だったり、勘違いしていたりするかもしれません。

ただ予言ではなく調査や研究によって導き出された答えが「人類文明の崩壊は不可避である」というものなのかもしれません。

そして、過去の文明が崩壊した理由に、人間のおごりや油断があるようです。

『今まで大丈夫だったんだから、これからも大丈夫さ。今まで通りにしてりゃいいのさ』

 そして文明は滅びたそうです。

 次に滅びるのは“現代の文明”かもしれません。