2014年11月10日月曜日

自我と独立

自己の存在を認識するには、他者の存在が不可欠だと思います。
 世の中には、自分以外のあらゆる事物が溢れかえっています。
 自分自身は一人だけですが、自分以外の人も、自分ではない物も、無数に存在しています。

“もし、自分以外はなにも存在しない異次元空間に迷い込んだら?”
 それでも自分が存在している以上、他に何もなくても人は自分の存在を認識することが出来ると思います。
 しかし自分以外の人間が一人もおらず、自分以外の物がなにもない状況では、自分の存在に対する認識はとても弱くなると思います。

 そう考えると自我は、他者の存在が強く関わっていると思います。
 おそらく他者がいなくても、人間には自我があると思います。
またおそらく他者がいなくても、人間は自我を強めることがあると思います。
しかし人間は他者との関わりによって、自我を持ち、自我を強めるものだと思います。

インターネットの普及は、現代人の自我を強める一つの要因だと思います。
人はスマートフォンの画面を通して他者と繋がり、他者と関わることが急速に増えたと思います。
他者との関係を築き、他者との繋がりを保つためには、小さな画面に集中しなければならないように見えます。
その小さな画面に集中することで、人は心理的に“自分一人の空間”にいるような感覚をもつような気がします。
自分一人の空間で、画面の向こうにいる複数の他者と関わり、対峙している、心理的にそのような状態になっていると感じます。

“自分一人と他者”その構図を無意識に認識することで、人は自我を強めていると感じます。
 また、インターネットは大勢で一人を袋叩きにする状況を作りやすいものだと思います。
その状況を恐れる心理は、“自分一人と他者”の構図の認識を強めるような気がします。
そして人はまた、自我を強めているように感じます。

自我が強くなると、それを守るために、出来るだけ早期に“敵”を定め、徹底的に叩こうとする、現代人にはそのような傾向を感じます。
それは、自我を他者への攻撃性に転嫁しているといえるような気がします。
対立する相手側も、同じだと思います。
対立する双方が攻撃性を高めることで、相互に攻撃性を強め、相互に対抗心を強め、相互に嫌悪感を強めることになると思います。
それにともなって、怒りの感情や嫌悪感も強まっていくと思います。
対立は激化するばかりで、収めようという意識すら湧かなくなるような気がします。
やはり自我は、他者との関わりによって強まるものだと感じます。   

また人間は、自我を拡大して認識するものだと思います。
自分が属する集団、自分が生まれ育った国や地域、自分が信じる宗教やその信者の集まり、自分の人種や民族、それらに対する意識は自我に近いものがあると思います。
人は、国や民族に自我を広げているように感じます。
人は、自国や自民族に自我を投影しているようにも感じます。
“自国の正当性を強く訴え、他国に対抗心を持ち、攻撃性を強めている”
 対立する国や地域が、相互にその意識を強めていると感じます。
 そのため対立は激化しやすく、また収めることが非常に難しいと感じます。

 ところで少しまえに、スコットランドの独立を問う住民投票がありました。
 投票することを決めた時点で独立賛成が過半数を得るなど、多くの人が考えていなかったようです。
 住民投票は独立反対が過半数になることを見越し、“独立はしない”という結果を出すために行われた感があります。
 しかし投票日が近づくにつれて、随分と雰囲気が変わったようです。独立賛成派が勢いづき、反対派と拮抗してきたと伝えられました。

“独立”を欲する心理には、“自我”が少なからず関わるものだと思います。
 地域が国として独立する場合、その地の個人が抱く自我は、地域や民族に拡大されやすいような気がします。
 スコットランドの場合、経済面などの面では、英国に属していたほうが得るものが大きいように見えます。
 独立賛成派のなかには、油田の利権の得方によって、独立しても経済的に十分やっていけるという考え方もあるようですが、やはり“独立ありき”の論理だと感じられます。
 
 ただ経済面で落ち込んだとしても、独立したいという意見も少なからずあったと聞きます。
 それは利害より、民族意識を優先させたといえるかもしれません。
 スコットランドの独立機運は、数か月前まで決して高いとはいえなかったように思います。
 それが経済的に落ち込むことになっても独立に賛成する意見が、住民投票を前にして急速に支持を集めた感があります。
 投票に向けて、独立賛成派の主張を見聞きすることで、民族意識が高まった人が多かったように見られます。
 民族意識を掻き立てられ、それを強めた人が少なくなかったのかもしれません。 
 それは、現代人が自我を強めていることの表れかもしれません。

自我が強くなっているため、民族意識を高める声に感化されやすくなっていたのかもしれません。