2014年11月28日金曜日

見通しが甘くなる行程

“自分に都合のいいように解釈した。自分が好ましいように判断していた”
 誰でもあることだと思います。
その時点で、それを自覚している場合もあれば、無意識にやっていることもあると思います。
ただ個人的な思い入れが強い事柄は、自分が欲するような判断をしてしまいがちだと思います。

また組織のなかでは、上の人が好む状況分析結果を示してしまうこともあります。
それは意識的な場合もあると思います。
『本当はこの分析は違うんだけどなあ。でもこう書くしかないんだよな』
 組織の権力構造によっては、否定的な分析をすることが許されないことがあるものです。
 また集団の内部で、否定的な報告をしてはならない雰囲気が出来ることもあります。

そうではなく、無自覚に上の人に好まれる分析結果をだすこともあると思います。
人間は、自分にとって都合がいいように解釈する心理が作用していると思います。
上の人が喜ぶ報告を上げることは、自分にとって都合がいいものです。

また、一つ事柄に複数の人間が当たる場合、全員が同じ心理状態になることがあります。
特に事態が好ましい方向に向かっていると見えるとき、そのプロジェクトに当たるメンバー全員が、状況を好ましいように解釈してしまうことがあると思います。
しかしそれは客観的な分析ではないことがあると思います。
しかし当事者はそれに気づかないものだと思います。

現場の人間が自分の都合のいいような分析をしたり、上の人を喜ばせる判断をしたりし、その報告を受けた者が上にあげる段階で同じことをし、一番上に報告が届くときには、その人を喜ばせるものになっていることがあります。
一番上に立つ者は、下からの報告をさらに好ましいように解釈することがあると思います。
 その一番上に立つものが政治家である場合、自分の好ましい状況判断を、大々的に示そうとすることがあると思います。
 
つまり、報告が上がってくる段階で、一番偉い政治家を喜ばせる内容に寄っていき、それを受けた一番偉い人は、さらに自分に好ましいように解釈し、それをさらに膨らませて、公表することがあると思います。
 常にそうなるわけではありませんが、組織が大きなことを進めるとき、時々そのようなことが起こると思います。
 ただ、一番上に立つ人物が、個人的な思い入れをもっている事柄に関して、そのようなことが起こりやすいような気がします。
 
 しかしそれが“見通しの甘さ”になるのだと思います。
 首相の政策を見ると、その多くが当てはまるように思います。
 経済政策を見ても、全否定は出来ませんが、もろ手をあげて称賛されるものではないと思います。“見通しの甘さ”が感じられます。
 首相が個人的な思い入れを抱いている事柄に次々と急いで手を付けたものの、その多くが、まとまっていないように見えます。
 そのなかには、明らかに失敗したことがあると思います。
 その行程には、意識的な部分もあれば、無意識も介在していると思います。
ただ“見通しの甘さ”が感じられます。

北朝鮮の拉致問題に関しては、明らかに失敗だと感じます。夏の終わりといっていた一回目の報告が、冬が訪れようとしている今になっても一切ないのでは、日本側はなにも得られていないということになります。
ただ単に、独自制裁を緩めてあげただけということになります。
 しかも調査中だといわれれば、再び制裁と課すわけにいかないと思います。
ましてこれから衆院選があるのですから、年内に進展しない可能性が非常に高いと思います。
政治家は選挙で、拉致問題どころではないだろうと思います。

北朝鮮から見れば、何もしないのに制裁を解除してもらったのですから“いいことずくめ”ということになります。
しかも調査中だと言い続ければ、これから再び制裁を課せられることもないということになります。
もし日本が独自政策を再開するであれば、もう調査はしないといってくると思います。
それでは、日本国内でも制裁を再開することに賛否が分かれると思います。
やがて日本は、制裁を解除したことなど忘れてしまうだろうと思います。
北朝鮮の完全勝利といえる形です。

拉致紋団を最重要課題だといい、行動を起こしたものの、その結果は北朝鮮を喜ばせただけだったということになります。
明らかに失敗したということです。
事態は継続中だという状況で膠着することは、まさに北朝鮮を利するだけということです。
しかし日本にしてみれば、継続中という形にしておけば、失敗を認めなくて済むことになります。
『まだ結果が出たわけではない。失敗ではない。引き続き取り組んでいく』
日本がそうして国内の批判をかわしているのは、北朝鮮にとって好都合だと思います。

このように失敗が明らかであるにも関わらず、多くの日本国民もそう認識していないと感じます。
国民のなかにも、失敗だと認めたくない心理があるからだと思います。
これからも「失敗だ」と指摘されることはないだろうと思います。

実質的に“何も得られず、ただ単に制裁を解除してあげただけ”なのですが、それに気づかぬまま、いずれ誰もが忘れてしまうのだろうと思います。