2014年11月9日日曜日

自我とナショナリズム

近年、世界的にナショナリズムが高まっているように感じます。
それは個人の自我が強まっているためだと感じます。
以前書いたことがありますが、ナショナリズムは、自我を国や地域や人種などに拡大した認識といえるような気がします。
そう捉えると、自我が強まると、自然にナショナリズムも強まるということになります。
今、世界中で多くの人たちがそうなっているように感じられるのです。

「自我」という言葉は学術用語として使われることもあるようですが、ここでは[自分の存在そのもの][自分の肉体と精神][自分の存在を身体と精神で感じとっている。それの感覚][自分自身の存在の認識]という意味合いで用いることにします。

 自我が強まるというのは、“自”の意識が強くなり、“我”が強くなるといえるかもしれません。
 自分自身の存在そのものを肯定的に捉え、それが自己を正当化する意識を強めさせ、自己中心的な思考を呼び起こしやすい、今の世界では多くの人がそんな心理状態になっているように感じます。
つまり“自我が強まっている”と感じるのです。
 
自己を正当化することは、決して悪しきことではないと思います。客観的に見て正当性があることも、少なくないと思います。
また自己中心的な思考も、必ずしも良くないとは言い切れないと思います。自己中心的な行いは、誰でもやっていると思います。
自分で意識していることあるでしょうし、無自覚に行っていることもあると思います。
ただ絶対に自己中心的な言動をしない人間など、この世に存在しないような気がします。

ところで“自我が強まる”ということは、すなわち“自我を守ろうとする”ことになると思います。
そして“自我を守る”には、それを脅かそうとするものを“完全につぶさなければならない”という意識が強まるものだと思います。
自我を脅かすもの、要するに“敵”です。

“敵”をつぶすには、出来るだけ早く“敵”を見つける必要があると思います。
 また、出来るだけ早く“敵”に気づく必要があると思います。
 そのために、些細なことから『こいつは敵だ』という意識を持つようになっていると感じます。

『こいつは敵だ』と定めたら、完全に潰そうという意識があると感じます。
 完全に潰すには、出来る限り強い攻撃をあたえる必要があると思います。
 一度『こいつは敵だ』と決めつけたら、徹底的かつ執拗に攻撃する意識が強まっているような気がします。
 それは自我が強まっていることの表れだと感じます。
 しかしそれを自覚できる人間は、とても少ないと思います。
 
 インターネットによるコミュニケーションの普及は、自我を強めさせる理由の一つになったと思います。
公共の場で、スマートフォンを操作している人の様子を傍から見ると、画面にとても集中していることが見て取れます。
多くの場合、周囲には注意が及んでいなように見られます。
『画面を見ているけど、周りにも意識を向けておこう』そういう意思があるようですが、大抵の場合いつの間にか画面に集中しているように見えます。
そしてふとそれに気づき、また周りにも注意を向けるのですが、またすぐに薄らいでいく、それを繰り返しているように見えます。
その様子を見ると、物理的にではなく、意識として“自分一人の空間”を作り出しているような気がします。

 また現代社会は、利害関係や人間関係の繋がりが、非常に複雑で多様だと感じます。 インターネットの普及は、それを促進した要因の一つだと思います。
これからもこの世界における人と人との繋がりは、広く浅く、複雑で多様になるばかりだと感じます。
そんな中で、人間は自然に自我を強めているような気がします。

そして人は、自我を国や地域や民族にまで広げていると感じます。
“自我を守るため、素早く敵を定め、その敵を徹底的に叩く。一歩たりとも引き下がることはない。それでは自我を守れない。そもそも引くことは自我の否定になる”
 その「自我」を「自国」に広げていると感じます。

今の世界には、自国に対する愛着や執着を、他国に対する攻撃性に転嫁する風潮があると感じます。
そして他国からの攻撃性を感じると、どうしても対抗意識が強まるものだと思います。
そして他国への対抗意識が強まると、自国に対する愛着や執着がさらに高まるものだと思います。
そして自国に対する愛着や執着が高まることで、他国に対する攻撃性がまた高まるものだと感じます。
そして攻撃性は、怒りの感情や嫌悪感と連動するものだと思います。

そう考えると、自国に対する愛着と、他国への対する攻撃性は、連鎖しスパイラル状に悪化し続けると思われます。
それが今の世界で起きていると感じます。

そんな世界だからこそ、国籍や人種や宗教を越えて人間であることを教えなければならないと思います。
そんな世界だからこそ、自国に対する執着心を植え付けるべきではないと思います。

それを国や権力者が行うことは、今の世界では最もやってはならないことの一つだと思います。