2014年11月7日金曜日

クレーマーとナショナリズム

「クレーマー」という言葉を見聞するようになって久しい気がします。
 個人的に「苦情を過剰に訴える人」と解釈しています。
不利益を被ったとき、償いや謝罪などを求めるのは、正当なことだと思います。ただ、それが社会通念上過剰であり、常識から外れていると感じられるほど強く要求する人を「クレーマー」というのだと思います。
 またクレーマーは、損害を誇張することがあるようです。
 しかし当人はそれを自覚していないことが多いようです。
 実際に、相手側に誤りや落ち度があることが多いため、自分があくまでも被害者であり、あくまでも正当な要求をしていのだと、本心から信じていることが多いように見られます。

 時々、意図をもって損害を誇張し、多くの賠償を引き出そうとする事例もあるようです。
その場合も「クレーマー」と言われることがあるようです。
ただ多くの賠償を得ようという意図を持って言いがかりをつけるのなら、苦情を訴えるのではなく故意犯だと思います。
クレーマーというより恐喝だと感じます。

 傍からは、過剰な謝罪や賠償を要求し、損害を誇張しているように見えても、当人はその認識がない人が「クレーマー」だと思います。
 しかし今の社会には情報があふれています。クレーマーに関する事柄を見聞きすることで、『自分がクレーマーかもしれない』と思っていたり、『自分はクレーマーだ』と認識したりすることも、増えているように感じられます。

 しかし自覚しながらも、自分があくまでも被害者であり、あくまでも正当な要求をしていのだと主張することが多いように見られます。
「そうだよ。俺はクレーマーだよ。でも、どう考えても向こうが悪いだろ。俺は間違ったことは言ってないだろ」

また過剰な賠償や謝罪を受けることで、勝ち取ったような心理になり、一種の心地よさを感じることもあるように見られます。
「本部の偉い人を呼んで謝らせたんだ。それでやっと新品と交換しやがった。本当はお詫びに商品券くらいもらいたいところだぜ。まあ、それは勘弁してやったんだけどな」
 
 ただ今の社会では、誰もがクレーマーになる心理を強めているように感じます。
“自我を強め、それを守ろうとし、他者への攻撃性を強める”
今の人間にはそのような心理的傾向が強まっていると感じます。
“自分はあくまでも正当だと信じ、自分が被った損害を訴える”
そのようなクレーマーの心理は、自我が強まっていることの表れだと感じます。

自我を強め、それを守ろうとし、そのために他者を攻撃する心理には、情報が大きく関わっていると思います。
膨大な情報が社会全体に、常に飛び交っていることで、他人がなにを得られていて、自分が何を得られていないか、多くの人が知るようになったと感じます。

 また多くの情報が飛び交いながらも、意見や主張は多様化しにくいように感じます。
誰もが同じ意見に賛同しやすく、それに反撥して反対意見が高まる、そんな傾向があると感じます。
それでは対立する構図になりやすいと思います。
何事も対立すると、双方が持論に固執する傾向があると思います。
それは、対抗心や敵愾心をさらに掻き立てることにつながりやすいと感じます。
“持論に固執し、他者への対抗意識の高める”
それは、自我を強め、それを守ろうとし、他者への攻撃性を強めせる心理と繋がっているような気がします。
それは、クレーマーの心理に通じているような気がします。

ところで、今の国際社会にはナショナリズムの高まりを感じます。
それにはクレーマーが増加していることと、共通するものがあるように感じます。
クレーマーが増えていることと、ナショナリズムが高まっていること、その根底には同じ心理的な傾向があるような気がするのです。
自我を強め、それを守ろうとし、そのために他者を攻撃する。そのような心理です。
 
ナショナリズムは、自我を拡大した概念といえるかもしれません。
自分自身を、自分が暮らす国や地域、民族などにまで広げて認識しているということです。
また、自分が暮らす国や地域、民族などに、自分自身を投影するような意識もあると思います。
それは多くの人間が意識せずに持っている感覚といえるかもしれません。

人間は自分の家族、自分が属する集団、自分が加わっている組織、自分が住んでいる地域、自分が生まれた国、などに愛着をもつ心理があると思います。
その愛着は自我に近しい感覚だと感じます。

“自分の正当性を強く信じ、自分が被った損害を強く訴え、賠償や謝罪を強く求める”
そのようなクレーマーの心理が、国と国との関係においても見られるような気がするのです。
“自国の正当性を強く信じ、自国が被った損害を強く訴え、自国に対する賠償や謝罪を強く求める”
 
 今、世界中でこのような心理的傾向が強まっていると感じます。
 多くの国がそのように感じているのでは、相容れることはないと思います。
 対立心が深まるばかりだと思います。