2014年11月3日月曜日

割り増される感覚

 人間は、知らないものを恐れるものだと思います。
 以前書いたことがありますが、生物として本能的な反応だと思います。
 生物が生き延びていくには、危険が迫ったとき、『危険だ』と認識しなければならないと思います。
 一瞬その判断が遅れたことが文字通り命取りになることも、自然界では稀ではないと思います。
 むしろ自然界では、他の動物の一瞬の判断の遅れに付け込むことで、生き延びているといえるかもしれません。

 たとえばチーターの足の速さは、時速100kmに達するという話を耳にします。
 そのチーターに捕食されるインパラも足が速い動物で、最高時速は60kmと言われています。
 時速100kmで走るチーターが、時速60kmで走るインパラを追うのですから、確実に捕えられるような印象を持ちます。

 しかし実際チーターは、インパラを逃がすことが少なくないそうです。
 チーターは極端な短距離走者で、全力で走れば相当に速いものの、長い距離をその速度で走り続けることは出来ないと聞きます。
 対してインパラは、長い距離をある程度の速さで走りつづけることが出来るそうです。
つまりインパラは、数十秒という時間、数百メートルの距離、それだけを逃げ切ることが出来れば、チーターに食べられずに済むのだと思います。
 草食動物は、肉食動物から逃げるすべをもっており、常にやすやすと捕食されるのではないということです。
それで生態系はバランスがとれるのだと思います。

 チーターは狩りを成功させるため、インパラに気づかれぬよう身を伏せて近づき、出来るだけ距離を詰めてから一気に襲いかかるようです。
 チーターが距離を詰めている時点でインパラがそれに気づくと、狩りは上手くいかなことが多いだろうと思います。
そのためチーターは諦めてしまうというか、無駄に全力で走るより次の機会をまつことが多いと聞きます。

 インパラが生き延びるには、チーターが迫っているという危険をすばやく察知することが重要だと思います。
 それが生死をわけることもあると思います。
 そうなると、インパラにとってまったく未知の動物が、身を伏せて迫っていることに気づいた場合、やはり逃げるに越したことはないと思います。
 狩猟銃を持つ人間を初めて見たインパラがいたとします。危険だと判断し、すばやく距離を取ったインパラは生き残り、その判断が一瞬遅れたものは、撃たれてしまうこともあると思います。

危険をすばやく認識することが大事でも、そう判断するには材料が必要です。
何事も材料がなければ、判断のしようがないと思います。
しかし判断の遅れが命とりになることもあると思います。
『知らない』ということは、判断材料がないということであり、それが命にかかわることになるかもしれません。
 生物は『知らない』ことには警戒し、『知らない』というそれ自体に、恐怖心を感じるものだと思います。
 そして生物は、危険の度合いを小さく見積もるよりは、大きめに見ておいたほうが生き延びる可能性は高いと思います。

人間が『危険だ』という判断すると、恐怖心が連動することも多いと思います。
恐怖心は、『逃げよう』という心理を呼び起こすものだと思います。
恐怖心は『危険だ』と感じる度合いを高めることがあると思います。

 現代の人間社会には情報があふれています。
 それが、知らないことを恐れさせる心理を助長させる要因になっていると感じることがあります。
“色々なことを知り得る時代なのに、知ることが出来ない”それは漠然とした抵抗感となり、恐怖心に似た感覚を抱かせる気がします。

 そんな時に、少しだけ情報が入ってくると、それから受ける印象を大きめに見積もることがあると思います。
 殊に『危険だ』という印象を抱いたときは、事象については事実として受け止めるものの、感じ方は少し割り増しになることがあると思います。
 
 宗教による支配を掲げる過激派勢力は、なかなか詳しいことを知ることが出来ないと思います。
 人間は『知らない』ということが、恐怖心を呼び起こすことがあると思います。
 そして危険度を大きく見積ることがあると思います。
 そして『危険だ』と感じる伝聞を信じやすくさせると思います。

 そうはいうものの、思考は事象を冷静に事実として受け止めることもあると思います。
 しかし無自覚なまま、その事実の中にある危険度を大きめに見積もっていることもあると思います。

 そして人間は危険なものや、恐怖心の対象から『逃げよう』という心理が湧くとともに、『敵だ』という認識することがあると思います。
 現在の社会において人間は、『敵』だと認識したら、徹底的に叩き潰さなければならないという心理を抱く傾向があると思います。

 過激派勢力が残虐な行いをしているのは、事実だと思います。
 過激派勢力が強力な武装勢力であることは、事実だと思います。
 過激派勢力は危険なのは事実だと思います。
過激派勢力は恐怖の対象だと思います。
 過激派勢力は『敵だ』であり、『やっつけるべきだ』と感じるものだと思います。
 それらはすべてその通りだと思います。

 ただそれらはすべて、無意識に少し割り増されていると感じます。