2014年11月18日火曜日

チャンスを作った立役者であり、チャンスを逃した張本人でもある

「ようやくつかんだデフレ脱却のチャンスを手放すわけにはいかない」
 何度も耳にしている言葉です。
 同じ映像が、繰り返し流されているのと思います。
 ただそれだけでなく、同じ発言が繰り返されていることも確かだと思います。
 思い起こして見ると、何か月か前からこの言葉を聞いている気がします。
 つまりある程度長い期間、同じ言葉が繰り返し発せられているのだと思います。

『何か月も前からチャンスをつかんでいるんだよね? それなのに景気はよくならないじゃない? 数字がすごく悪かったってニュースで言ってるじゃない? チャンスは手放していないんだよね? それで? いったい、いつになったら景気はよくなるの?』
 
首相の名をもじった経済政策には、一定の成果があったと思います。
 しかし見通しの甘さがあったことは確かだと感じます。
 それが一つではないように見えます。
またその中には、当初から指摘されていた点もあったと思います。
「この道しかない」
 経済政策を始めた頃、首相は繰り返しそう言っていた感があります。
『この道しか思いつかない』というのが、実際のところだったように感じます。
ただそれは“この道”は、わかりやすいやり方だということでもあると思います。

経済政策は、わかりやすいことが有効に働くことが多いと思います。
その点において、首相の経済政策はもっとも大きな効果があったと感じます。
首相の名をもじった呼び方をつけ、「三本の矢」という決まり文句を繰り返し発することは、とてもわかりやすいやり方だったと思います。

また金融の仕組みを使って株価を上げることも、とてもわかりやすいやり方だと思います。
株価という数字が上がれが、それは誰の目にも見えるからです。
ただそれに頼りすぎている感があります。
そしてそれは、この経済政策を始める前から指摘されていた、見通しの甘さの一つだと思います。

『金融市場をよくすれば、それに引かれて実体経済がよくなる』
「三本の矢」といいながら、『金融一本で、かなりいいところまで行くはずだ。他の二本は付録みたいなもんだ』という意識があったのではないかと感じます。
 状況によっては、確かにそうなったかもしれません。しかし近年の日本経済の雰囲気では、そうはいかないと思います。
 金融に頼り切っても景気はよくならない、それは当初から指摘されていたと思います。

『円安になれば、輸出が伸びで経済がよくなる』
実際には、期待したほどではないと言います。企業が生産拠点を海外に移していることが要因だといわれています。
それも、当初から指摘されていたと思います。

ただ円安と株価の上昇は、日本経済にいい影響を及ぼしたことは確かだと思います。
為替レートが変われば、企業が売った数が変わらなくても、業績の数字は変わります。
“数字があがる”ことは、すなわち儲けが増えることになると思います。
 また“数字があがる”という目に見えることで、雰囲気がよくなると思います。
 しかしそれは『所詮、数字でしかない』ということでもあると思います。
 
“昔だったら”というか、“ちがう時代だったら”、思惑通り、金融の仕組みを使って円安にして株価をつりあげれば、それに引かれて実体経済がよくなって、景気がよくなったかもしれません。
 しかし近年の日本経済はそうではないと思います。

首相の名をもじった呼び名を連呼し、「三本の矢」という決まり文句を繰り返し、金融によって数字をあげることで“いいイメージ”を作ることは出来たと思います。
しかしイメージに頼って雰囲気を良くした場合、それを続けていくことは至難だと思います。

ところがイメージによって雰囲気が良くなったことで、首相は先行きを楽観したように感じます。
『このまま経済は良くなる。これからはやりたいことに力を注ぐぞ』
 個人的になんとなくそのような首相の意思を感じました。
しかし政治の意欲を他のことに向けたことで、首相も、他の政治家も、マスコミも、国民も、“経済を良くする”ということに対する意識が薄らいだと感じます。

それが雰囲気を沈ませたと感じます。
しかもその頃には、イメージを良くする“ネタが切れた”感があります。
当初から指摘されていた見通しの甘さが、顕在化したといえるかもしれません。
『首相が政治の意欲を経済以外のことに傾けた』、『国民がそれを感じ取った』、どちらも自覚されないものの、それが経済政策の継続性を削いだ感があります。
継続性は、このところの日本の経済政策にとって、非常に重要な要素だと思います。

『首相は、自ら作りだしたデフレ脱却のチャンスを、自ら手放してしまった』
そう感じます。
そして、一度逃したチャンスを再び手にしようと、もがいているように感じます。
しかし、一度手放したものを再び手にすることは容易ではないと思います。

“ネタ”は、すでに出し尽くしてしまった感があります。