2014年11月11日火曜日

自我とデモ

対抗意識を抱く相手がいるほうが、自我は強まるものだと思います。
競っている他者がいるほうが、自我は強まるものだと思います。
嫌っている他者がいるほうが、自我は強まるものだと思います。
それは国や地域、民族でもいえることだと思います。
人間は、自分が属する集団、自分が生まれ育った国、自分の民族などに、自分自身に対する愛着に近しい感覚を抱くものだと思います。
それは自我を国や地域、民族に拡大しているのだと感じます。

対抗意識を抱く他国があると、自国に対する愛着や執着が強まるものだと思います。
対立する他国があると、自国に対する愛着や執着が強まるものだと思います。
かつて自国を侵略した他国があると、自国に対する愛着や執着が強まるものだと思います。
吸収統合された歴史があると、民族意識や地域意識が高まるものだと思います。
支配している国があると、民族意識や地域意識が高まるものだと思います。

そして自国に対する愛着や民族意識が、政治に利用されることも、よくあることだと思います。
ただ近年は、自我が強くなっているため、国に対する執着心や民族意識も強くなり、制御することが出来なくなっていると感じます。

それにしても現代では、多くの人が他国の存在を知っていますし、他国を認識していると思います。
事情は国や地域によって違うと思いますが、古代から人間は集合体を作り、他の集合体と戦っていたと聞きます。
おそらくその頃から人間は、自分が属する集合体に対して、自分に対する愛着に似た感覚を抱いていただろうと思います。

ただ近年、世界的にナショナリズムが高まる傾向があると感じます。
それは、人々が自我を強めていることの表れだと感じます。
そしてそれは、インターネットの普及が一因だと思います。
パソコンは大抵の場合、一人で操作するものだと思います。複数の人間が一つのパソコンの画面を覗いていることもあるかもしれませんが、やはり操作している人一人で画面を見ていることが圧倒的に多いと思います。

一人自室でパソコンを使って、そうしてインターネットを介して他者と繋がっていることも少なくないと思います。
それは物理的に、“自分一人の空間”だと思います。
事業所など複数の人が同じ室内にいても、人はパソコンを使って他者と繋がっているときは、画面に集中していることが多いと思います。
物理的に“一人だけの空間”ではないものの、パソコンを一人で操作し、画面に一人で集中していることで、心理的に“自分一人の空間”のような意識があると思います。

以前インターネットの大型掲示板が、話題になることが多かった気がします。今でも利用されているようですが、書き込みを通じて他者とやり取りする形になることも多いようです。
それはパソコンを使い“自分一人の空間”で他者と関わっている、心理的にそのような状態になりやすいような気がします。

パソコンを使ったコミュニケーションは“自分一人の空間”を作り、“自分一人で他者に対峙している”という感覚になりやすいと感じるのです。
携帯電話やスマートフォンを使うことで、より画面に集中するようになったと感じます。
人間は生理的に小さいものを見る方が集中するものだと思います。
また携帯電話やスマートフォンは、即時的に他者と繋がるため、人間関係に意識を向けなければならないと思います。
それがさらに画面に集中させているように見られます。
そしてそれが“自分一人の空間”という意識を強めさせ、“自分一人で他者と対峙しえいる”という意識を強めさせ、それらが自我を強めさせる要因のひとつになっているような気がします。

近年インターネットは、デモへの参加を呼びかける道具として、世界各地で使われている感があります。
 同調者に呼びかけ、意識を喚起するには、インターネットは適した道具だと思います。
 またもっと深いところで、インターネットはデモに影響を及ぼしているような気がします。
 自我を強めることで、民族意識を高めたり、高度な自治を求めたりする心理を掻き立てているような気がします。

民衆の力が政治を変えることはあると思います。
その場合、勢いが必要だと思います。
ただ勢いばかりに頼ってしまうと、対立を激化させたり、混乱を深めたり、事態を複雑にしたりすることもあると思います。
デモ自体が悪いというのではなく、結果的に手段として有効ではなかった状況もあるような気がします。

これ以上公道を占拠しても要求が通ることはないと思います。
勢いまかせのお祭り騒ぎではなく、本当に変えたいのなら、戦略的に考えるべき時だと思います。このまま押して、市民の反感が高まれば逆効果だと思います。
変えられないことを変えるには、長期的な戦略が有効な場合もあると思います。若い人なら、時間をかけて理想を実現することも出来ると思います。

本当に変えたいのなら、今だけ騒ぐのではなく、5年、10年、20年という視点も不可欠だと思います。若い人にはその時間があると思います。