2014年11月2日日曜日

どうして戦争は起きるの?

「戦争はなぜ起きるの?」
「よくわかんないけど、なんかとってもまじめな理由からだよ」
 多くの人がこのような観念を抱いていると感じます。 
「利害や思想の対立など、政治的な理由から戦争は起こるんだ」
 これは知識が乗せられているだけで、観念は上に書いたことと変わらないような気がします。

 何度か書いていますが、戦争は感情が起こすのだと思います。
 しかし人間は、それを認めたがらないと感じます。
『感情的になって国と国の戦争が起きた』
それを認めたくない心理があるように感じられます。
『色々考え、手を尽くした結果、戦争になった』
 人間はそう思いたがる傾向があると感じます。

 確かに戦争は、利害や思想の対立で起こるものだと思います。
 ただ戦争という手段しかないという状況など、本当は極めて少ないと思います。
『戦争するしか道はなかった』そう信じたいから、そう見えるのだと感じます。 

 この世界は複雑で不確実だと思います。それは選択肢が多様であるということにもなると思います。選択肢は無限だといえるかもしれません。
戦争以外の手段は必ずあると思います。
ただそれが見えなくなるのだと思います。
見えなくさせているのが、感情だと思います。
とくに怒りの感情だと思います。

怒りは、とても強い感情だと思います。
強い感情は、人間の行動に大きな影響を及ぼすと思います。 
それは、感情が思考に大きな影響を及ぼすことが大きいと思います。
人間がなにかを考えるとき、それは感情に引っ張られていることが多いと思います。
人間の思考は、感情や性格などの人間性や、人間関係や利害関係などの社会性に引っ張られていることが多いと思います。
しかし多くの場合、人はそれを自覚していないと思います。

人間は、自分好みの主張を導き出すものだと思います。
人間は、自分の得になる主張を見つけ出すものだと思います。
人間は、自分が『そうであって欲しい』という答えをはじき出すものだと思います。
しかし本人は、あくまでも冷静に条件や状況に基づいて考えた上ので主張だと信じているものだと思います。

人間の考えは、本人が思っているより、はるかに性格や感情に左右されているものだと思います。
強い感情には、より強く思考を主導するものだと思います。
怒りの感情は収まりにくく、収まった後でも沸き上がりやすく、時間が過ぎても呼び起こされやすいと思います。
そんな感情は、思考を引っ張ると思います。

そして怒りの感情は、攻撃性につながると思います。破壊を志向する心理に繋がることもあると思います。
怒りの感情が思考を主導すれば、『戦争するしかない』と思考しやすいと思います。
政治家も国民もそうなることで、戦争が起きるような気がします。
有史以来、あるいは有史以前から、戦争とはそのように起こるものだという気がします。

そして現代、人間は怒りの感情を高ぶらせる傾向が強まっていると感じます。
インターネットの発達は、自我を守ろうとする潜在的な意識を強めさせたと感じます。
そして自我を守るために、他者への攻撃性を高める潜在的な意識もまた強まったと感じます。
それが怒りの感情を沸き上がらせ、争いを起こしているように感じます。

今、世界では内戦や武力衝突が起きています。
決して決着がつかないと思われる状況も見られます。
決着などつくはずがない、そう見える状況も見られます。
しかしやめられない。やめようがない。そんな状況も見られます。
それによって非常に多くの人が、不利益を被っていると見られます。

こうしてみると、現代の人間社会で大きな不利益を発生させるのは、怒りの感情を煽ることだと感じます。
そして怒りの感情の煽り方の一つが、対抗意識を掻き立てることだと思います。
そう考えると現代の国際社会では、国や権力者が対抗心を煽ることをしてはいけないという気がします。

近代以降、国や権力者が思想教育を行うことは、高い危険性を孕んでいるように見られます。
その危険性が、現代の国際社会では高まっていると感じます。
今、国や権力者が思想教育を行うことは、自我を守る潜在的な意識を強めることに繋がりやすいと感じるからです。
それが他者に対する攻撃性を強めることの繋がりやすいと感じるからです。
それは怒りの感情を掻き立て、争いを志向させることに繋がりやすいと感じるからです。

『他の国では、国を挙げて思想教育をやっている。だから対抗してわが国でも思想教育をやるのだ』
 自国に対する意識を強く持たせ、他国に対する対抗心を煽ることは、現代の人間社会において、国や権力者が最もやってはならないことのひとつだと感じます。
 
『国籍や人種や宗教が違っていても、みな人間である。人間であるのだから、国や人種や宗教を越えて考えなければならないことがある。国や人種や宗教より深くにある、人間であることを教えるべき』
 現代の人間社会において、道徳教育は必要だと思います。
現代の人間社会において、国や権力者がやるべきことは道徳教育だと思います。
 現代の人間社会において、国や権力者が思想教育をやってはならないと思います。
 道徳教育を装いながら、思想教育をやってはならないと思います。

 道徳教育と思想教育は違うと思います。