2015年3月14日土曜日

70年前の記憶と記録

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2015年3月 14日「70年前の記憶と記録」

概要
 記憶は本来、100%主観によるものであり、ゆえにとても個人的なものだと思います。しかし記憶を根拠や証拠にすることが多いと思います。
『絶対に間違いありません。記憶違いなどするはずがありません』と強く主張されると、信ぴょう性が高いと目されることも多いと思います。
しかし記憶は無自覚に書き変えられることが、思いのほか多いと思います。もしそうだとしても、嘘を言っているわけではなく本人は事実だと確信しているため、信ぴょう性が高いと判断されることが、思いのほか多いと思います。
そうなると、事実と違っている記憶が、事実として扱われることになります。この社会では、そのようなことが実は非常に多く発生しているような気がします。
また公的な記録は、客観的な根拠だと見なされるものだと思います。ただ一口に「公的な記録」といっても様々です。記憶による供述を記憶したものも多いと思います。
 記憶が完全に主観に基づく個人的なものだとすれば、それを書き示した書類は、公的な記録だとしても客観性はそれほど高くないという見方が出来ると思います。
 また公的な記憶には、時の統治者の思惑など、様々な意図が介入していることが少なくないと思います。

それに数字は、必ずしも実態を表しているわけではないと思います。調査の仕方、統計の取り方、計算の仕方などによって、同じ事柄に関する数字でも違ってくることはよくあると思います。誰もが、自分にとって都合のいい数字を取り上げるものだと思います。