2015年3月20日金曜日

無自覚の傲慢と圧力

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2015年3月 20日「無自覚の傲慢と圧力」


概要
 昨年首相がテレビ番組に出演した際、番組の内容に偏りがあるという趣旨の批判をしたそうです。首相は『自身にも言論の自由があり、それに基づいて放送内容を批判した。放送中に発言したのだから、テレビ局側出演者もその場で反論出来たはず。反論しなかったのは、論破されることをおそれたのかもしれない』といった旨の答弁をしたようです。
たしかに言論の自由は報道機関にもあれば、総理大臣にもあると思います。
マスコミが言論機関であるなら、権力者に対しても反論するべきだと思います。
そしてマスコミが言論機関であるなら、権力者に対して反論出来ないようなことは、端から報じるべきではないと思います。
ただ権力者からの批判や要請は、そのつもりがなくても圧力の意味合いを帯びるものだと思います。権力者はそれを踏まえて行動するべきだと思います。
権力者から圧力を受ければ、誰でも萎縮するものだと思います。それを権力者が情けないというのは、その発言自体に傲慢さを感じます。
今の日本の政治は政党一強ではなく、首相一強の感があります。一人が強い状況は、その一人はどうしても傲慢になるものだと思います。多くの場合、それを自覚していないものだと思います。
または自覚しながらも、それを小さく認識しているものだと思います。『確かに俺には傲慢な一面もあるのだろう。だがちゃんと皆の声を聞いている』
あるいは自覚しながら、自己弁護し、自己容赦しているものだと思います。『確かに俺には傲慢な一面もあるのだろう。しかしようや登りつめたのだ。少しくらい傲慢になっても許されるべきだ』