2015年4月11日土曜日

政治にはカネがかかるが、改革する気はない

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2015年4月 11日「政治にはカネが掛るが、改革する気はない」


概要
『政治にはカネがかかるものだ』地元と東京に置く事務所に関わる費用と、人件費が大きいと聞きます。またポスターの印刷などにも、カネがかかると聞きます。
『政治家は給料だけでなく色々と公費からカネを受け取っているものの、それでは到底足りない』というという趣旨の言葉をよく耳にします。
政治家は法律を作る立場にあるのですから、『政治にカネがかかって困る』のならば、カネが掛らないように改革することに全力を注ぐのではないかと思います。
 しかし政治家は相変わらず『政治はカネが掛る』と言い続け、カネをかき集めていることに必死になっているような印象を受けます。困っていないのかもしれません。むしろ“オイシイ”のかもしれません。
『選挙にはカネがかかる』と、相変わらず耳にします。どんな制度でも、選挙にはカネがかかるのだろうと思います。それならばせめて、『切り詰められるものは切り詰める』ということもあると思います。
 僕が物心ついたときから、選挙期間中は選挙カーが走り回っていました。投票用紙には候補者の名前を書くのですから、選挙カーで名前を連呼すると『名前を覚えてもらう』『名前を印象付ける』という効果が、少しはあるのかもしれません。
 また選挙カーは、選挙の雰囲気を作っていると思います。選挙カーがないと、選挙の雰囲気が感じられず、投票率が下がるかもしれません。
 ただ僕個人は、選挙カーと投票は無関係です。選挙カーがなくても投票には行きます。誰に投票するか、選挙カーで決めたことなど一切ありません。個人的に選挙カーは騒音以外のなにものでもありません。迷惑なだけです。
もし選挙カーがなくなったら投票率は下がるかもしれません。しかし選挙カーがあっても投票率は下がるかもしれません。
 ただ選挙に使う車の費用の一台分は、公費で賄われるそうです。一台以上の車を使う候補者はその費用を自分で負担するそうです。切り詰められるカネだという気がします。しかし政治家にそんな発想はなく、ただ漫然と慣例に従って、騒音のためにカネを使っているような気がします。