2015年4月25日土曜日

論理より数字

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2015年4月 25日「論理より数字」

概要
 人間の趣味嗜好は変わるものだと思います。それに比べて、思想や信仰、主義主張は変わりにくいと思います。議論や論争によって、持論や主張を変えることは非常に稀だと思います。むしろ議論や論争を重ねるたびに、持論に固執し、主張を強めるほうが圧倒的に多いと感じます。
 報道機関が言論機関であるなら、その機関としての思想や主義主張があると思います。報道機関が言論を発する場合、その思想や主義主張に沿っているものだと思います。しかし言論ではなく、報道を発信する場合は、客観性と中立性に基づいていなければならないと思います。それは法律でも定められていると思います。
 しかし報道機関は、報道に主義主張を含ませるものだと思います。多くの場合、それが意図的に行われていると思います。
 報道を受ける側の人間は、持論や思想や信念、主義主張、など通して、言論や報道を見聞きするものだと思います。そして時に、過剰に反応するものだと思います。特に自分とは考え方の方向性が違うマスコミが発信する報道や言論に対して、勝手に意味を拡大したり、勝手に意味を付けくわえたり、勝手に意味を深読みしたりすることが多いと思います。それによって些細なことに強く反発し、感情を高ぶらせることもあると思います。
 ところで数字には、説得力があると思います。客観的であり、ゆるぎない絶対的なものだという印象を受けるものだと思います。世論調査は、数字で表されることが多いと思います。ただ世論調査は、質問の仕方によって結果を変えることができるそうです。それを知っていても、また数字が必ずしも実態を表しているわけではないと思っていても、人は数字を信用してしまうものだと思います。

 だから報道機関は、世論調査の数字を利用しようとするのだろうと感じます。