2015年7月6日月曜日

究極の民主主義ではない

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2015年7月 6日「究極の民主主義ではない」


概要
 国民投票は『究極の民主主義』でも、『民主主義における万能の意思決定手段』でもないと思います。民主主義は話し合いによって、全体のことを決めることが基本だと思います。しかしそれでは結論が出せないため、やむを得ず多数派の意見を採用する仕組みが多数決だと思います。ただ多数決は勝った方に、少数派を切り捨てるお墨付きを与えることになることが多いと思います。
 また人間は誰も“甘い言葉”に引き寄せられやすく、国民投票は“大衆うけ”する結果になりやすいと思います。ただそれは、国民投票に潜在していることだと思いますので、前提として考えるべきだと思います。つまり国民投票には、事柄によって向き不向きがあるということです。
 ただ大衆が“甘い言葉”に引かれるのは、間接民主主義でも起こることだと思います。選挙で、明らかに見識のない美人有名人が政治家になったり、世界的に見ても稀なほど無能で愚かにみえる首相が生まれたりすることもあると思います。
 ギリシャで国民投票が行われました。「民主主義の勝利」という言葉を聞きますが、結果的に4割近い意見が切り捨てられることになると思います。それは民主主義として、芳しいことではないと思います。
欧州連合のお金の多くは、加盟国の国民から集めた税金だと思います。一つの国のお金を援助するとなると厳しい条件をつけなければ、他の加盟国の国民から「納得できない」という声があがると思います。また、緊縮策を緩和してもギリシャの景気が劇的によくなるわけではないと思います。そんな中で、欧州連合、国際通貨基金、欧州中央銀行は、ある程度の譲歩をしてきたように見えます。
財政債務を隠した上に緊縮策を拒否しているとなると、それを受け入れたのではユーロ圏の秩序が保てないような気がします。 
混乱が大きく世界経済の影響もあると思いますが、欧州連合に留めて支援をしながらも、ユーロからは離脱させたほうがいいような気がします。